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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
第三幕 黄塵の激闘
36/51

8-01 巨魁

   ―ミレー地方 ジェチの隊商宿―


 まばゆい光が空にあがった。信号弾だ。

 アイシャの放った矢に仕込まれていた薬品ビンが上空で炸裂し、鮮やかに発光したのだ。アゼルの錬金術師が調合した良質の特殊火薬だった。

 ロッドは防壁の上から北東の低地に目を凝らした。白波が猛り狂ったように沸き立ち、まっすぐこちらに向かってくる。その音も風に乗って伝わってきた。


「やったな」

 皆がその様子を固唾(かたず)をのんで見守った。

 轟音をたてて大水が押し寄せてきた。

 シャナトリアが解き放った雪山の融水(ゆうすい)が連綿と流れきてついにここまでたどり着いたのだ。

 枯れた川床にぐわっと白い波頭が砕け散るように押し寄せ、そこを這っていた蟲の大群にぶち当たった。砂色の濁流がそこに居たすべてのものを木っ端のように飲み込んで押し流し、(さら)っていった。

 甦った河の水によって蟲の行軍はあっという間に遮断された。

 エサ箱を目の前にして、後続の蟲達は口惜しそうに立ち往生し、もぞもぞとその場で行ったり来たりを繰り返している。仲間の臭跡が途絶えたことに動揺しているのかもしれない。

 勝利を確信しながらもロッドは努めて冷静に、次の一手のために行動を開始した。あとは街周辺の蟲どもを殲滅し、川向こうの蟲を遠隔射撃で袋叩きにするのだ。



「あー、腕が痛い。もう射てん」

 アイシャは不機嫌な顔で泣き言を垂れた。

 そう言いながらも、彼女は淡々と次の矢を手に取り、視線は常に前を向いている。既に矢筒の半数以上は空になっていた。もう二百本近くも射っている計算だ。だというのに、彼女の所作(しょさ)はまったく乱れがなかった。

 休憩に戻ってきたソルフィスは、アイシャの凛とした射の動作に目を(みは)った。

 さきほどまで主力部隊に混じって蟲退治に精を出し、伝令の手伝いも引き受けて街中を飛び回っていたソルフィスは、張り切りすぎてへとへとの状態でやってきたところだ。


「うぅ、ソルフィスぅ、疲れた。替わってくれー」

「たはは……、わたしもお腹が減って、もう動けません……」

「なんだよ、めずらしく情けない声出しやがって。しょうがない奴だな」

 アイシャは前を向いたまま表情ひとつ変えずに弓矢を射る。集中を切らさずに、こうやって後輩との会話を楽しんでいるようにもみえる。さっきからこんな調子だ。

「ソルフィス、そこの荷物に食料がある。今のうちに食っときな」

「え、でもこれ、アイシャさんのじゃ……」

「いいから、持って行け。下の部屋に二人が居るから、分けて食え」

「う、うんっ。ありがとう」

 そのとき招集が掛かった。アイシャたち射撃手に集合命令がかかったようだ。

「悪ィ、ソルフィス。ちょっと行ってくる。お前はここに居ろ。下で休んでるんだ、いいな」


 別れ際に荷物を受け取ったソルフィスは、アイシャのバッグをもぞもぞと物色しながら下の部屋に向かった。ふと足元を見るとうつぶせに寝そべっている黒猫に目がとまった。

「ぬ?」

 いつしか見た、土下座の姿勢。ソルフィスは不思議そうに首をかしげた。

「なにしてんの……?」

「お仕置きよ、オシオキ」

「ぬぬ?」

 見るとシャナトリアが壁に背もたれて座っていた。腕を組んで憤然とした様子だ。

「オシオキ? こんな日なたにずっと居させたら可哀そうでしょ。黒猫の干物になっちゃう」

「ふんっ、当然の罰よ!」

 なにがあったの? と訊くと、

「こいつ、見たのよ」

「なにを?」

 するとシャナトリアは口ごもった。

 ソルフィスはティノとシャナトリアを交互に見て、ビスケットと乾燥肉をもすもすと齧りながら答えを待つ。シャナトリアは顔を赤らめてうつむくと、ボソボソと小さい声で答えた。


「……あたしの、ハダカ」

「ハダカ?」

 恥ずかしそうにうなずくシャナトリア。ソルフィスはきょとんとして唇をとんがらせた。

「なんだ、それくらいのことで」

「そ、そ、それくらいとは何よ。こいつったらね……」

「申しわけございませぬ!」


 それまで深々と床に頭をこすりつけていた黒猫が釈明をはじめた。

「俺はシャナトリア先生の着替えを覗こうとした不埒なムカデ野郎を征伐しようとしただけなのです。決して(よこしま)な理由ではございません! あれは不可抗力なのでございます。まさか先生が大のムカデ嫌いだったとは……」

「う、うるさい! ダマレこの……なにが不可抗力よ! じっとり見てたクセに!」

 黒猫はがばっと顔をあげてまくしたてた。

「そもそも〝そばに居て〟って言ってきたのはお前だろ! そのくせ〝こっち見んな〟とか、なにそれ意味分かんない。おかしいじゃないかね!?」

「そ、それは、あんたが変なことしないように見張ってたのよ!」

「見張る? ナンデ? 俺が変なことするってなによ!? あなた言ってることオカシイ! あなたヘン!」

「う、それは……」

 口ごもるシャナトリアにティノはさらに追い討ちをかける。


「それにハダカで抱きついてきたのはお前の方だろ!」

 ソルフィスの目つきが変わった。

「馬鹿ァ!」

「助けてぇ!」


 シャナトリアがまた荒ぶりそうになるのをソルフィスが制止した。

「わかった、よくわかったから。つまりこういうことだね? ハダカのシャナはムカデに驚いて、ハダカのままティノに飛びついて、ハダカをティノに見られた。そうなんだよね」

「そうだけど……。なんか引っかかる言い方ね」

 ソルフィスはひとつ大きな深呼吸した。

「シャナ……、ちょっといいかな。前々から思ってたんだけど――」

 ティノをその場に残して、ソルフィスはシャナトリアを部屋のすぐ外に連れ出した。


 そこで妹の瞳を静かに見据えて、ソルフィスは誰にも聞こえないように耳元で(ささや)いた。

「シャナがそーやってティノの気を惹こうってんなら、わたしにだって考えがあるからね」

「え!?」

 ソルフィスはシャナトリアの肩に手を回し、首を横に振った。

「まさかとは思ったけど……双子だし、考える事は一緒かぁ。でもさ、正々堂々といこうよ」

「ちょ、ソル、何を――」

「シャナがそのつもりなら、わたしだって負けてらんない。だからがんばろ。お互いに悔いのないようにね」

 ソルフィスは微笑をたたえてはいるが、目が笑っていない。

「ね、ねえソル、なにか勘違いしてない……あたしは」

「どっちが勝っても、うらみっこなしだよ?」

 ソルフィスはシャナトリアの胸にちょんと指を突きつけた。

 いつも姉を叱り飛ばす気の強いシャナトリアだったが、このときばかりは心底ソルフィスが恐ろしく思えた。

 完全にソルフィスの誤解なのだが、どうやらシャナトリアは姉に恋のライバル認定をされてしまった上に、完全に焚きつけてしまったらしい。シャナトリアは頭の中がぐるぐるした。


(ど、どどど、どーしよう)


 妹から体を離すと、ソルフィスは部屋に戻って黒猫のそばに屈みこんだ。

「ティノくん」

「ハイ!」

「このまま干物になりたい?」

「かんべんして!」

「キミはシャナのハダカ見て、鼻の下のばしてたんだよねぇ?」

「反省してます!」

「ほんとかなぁ?」

「だれか助けてぇ」

 満足するまでいたぶりの言葉をかけ続けたあと、ソルフィスはつやつやした笑顔になってシャナトリアを振り返った。

「ね? この者も十分に反省してるようだし、ここはわたしに免じて許してあげて?」

「え、えぇ……」

「シャナ?」

「う、うん」

 シャナトリアはひどく当惑していたが、微笑む姉を前にしぶしぶとうなずいた。

「ありがと。さすが我が妹だね」


 お仕置きから解放されたティノは泣きながらアイシャの所へすたこら逃げていった。

 シャナトリアは先ほどの姉が自分に寄せた衝撃的な言葉が耳にこびりついて離れない。

「シャナがそのつもりなら、わたしだって負けないからね――」

 そのときのソルフィスは、まるで好敵手を見るかような鋭い、それでいて刺激に沸きたち歓喜に満ち溢れているかような熱い目をしていた。


(あうぅ、そういうのじゃないのに! 完全な誤解だわ)


 弁解すればすぐにでも誤解は解けそうなものなのに、ティノのことなんてどうとも思ってないのに、どういうわけかシャナトリアはそれ以上の言葉が出てこなかった。

 こうして姉妹はお互いにかけがえのない存在でありながら、ライバルとしての思いを少しずつ少しずつ、胸のうちに秘めていくことになった。



「はぁ? ムシが苦手? ああいうのがか?」

 アイシャがそこらへんの赤銅蟲の死骸を指差すと、シャナトリアは気色悪そうに顔を伏せた。外を覗くことはできない。おぞましい蟲の姿なんて見たくない。怖くてとてもできない。

「ふつうのは大丈夫だけど……。あんなに、あんなに肢が、肢があると思わなかったし」

 シャナトリアはひどく怯えたふうに顔をおさえてイヤイヤと頭をふった。

 それを見て黒猫ティノは、なにか言いたげに口をパクパクさせていたが声にならなかった。

 アイシャは愉快に笑い出した。

「シャナトリア、おめぇ、ほんっとにかわいい奴だな」

「なななっ」

 シャナトリアはかーっと顔を赤くしてアイシャを睨みあげた。

「普段はツンツンおすまししてるクセに、ムシが怖いだなんて、なぁ? 案外かわいいとこあるじゃないの。お姫さまみたいじゃん」



 ひどすぎる!

 今日はもう踏んだり蹴ったりだ。雪山でヘロヘロになる失態にはじまり、ティノにハダカ見られるし、アイシャさんにバカにされるし、ソルからは恋のライバル宣言されるし。

 おまけにあたりは大っ嫌いなモジャモジャのムシだらけ! サイアク!


 そんなわけでシャナトリアはいつもの調子をなかなか取り戻すことができず、座り込んでアイシャの仕事をそばから見守るのであった。

「なー、シャナよ。そんなんじゃあ、今後の魔獣退治の仕事も先が思いやられるんじゃね?」

 ティノが哀れみを込めた上から目線で問いかけてくる。

「もうっ、アイシャさんもティノも、そんなに言わないでよ。シャナだってつらいんだから。 あんなムシ、誰だって嫌いでしょ」

 ソルフィスの言うことはごもっともで、多足虫の見た目の気味悪さは誰もが知るところだ。

「そりゃあ、まぁ確かにアレは腹下がウジャウジャしててグロ」

「ティノ、それ以上言うと」

「スミマセン」

 ソルフィスが指をコキコキと鳴らすので黒猫はアゴを蹴られたように口を閉じた。


 涙をにじませて耳を押さえるシャナトリアを前にして、ティノは内心ざまあみろとでも言いたくなった。普段から毅然(きぜん)とした態度で何事も動じず冷静な振舞いをみせるシャナトリアが、まさか虫ごときに幼児のごとく泣いて嫌がるのが可笑しくてたまらない。日頃から彼女に無体(むたい)にどやしつけられていた鬱憤(うっぷん)が一気に晴れるかのようだ。とはいうものの、彼女がここまで本気で怯えているのかと思うと、少し可哀想な気もしてくる。


 妹に寄り添い、ソルフィスはシャナトリアの心身を気遣った。今のシャナトリアには姉のぬくもりだけがありがたかった。

「ま、あんまりムリをさせてもな。今回はしょうがないか……」

「ん、師匠、なんかあるの?」

 アイシャが首をならして立ち上がった。

「これから川向こうに溜まってる蟲どもを、うちら射撃手で掃討するんだ。この近辺は結構片付いたんだが、まだ地中に潜ってる奴がいそうだしな。そいつらも炙りだして叩く。それでシャナトリアの手も借りようかと思ってたんだが……」

 それを聞いてシャナトリアは顔をあげた。


「あたし、やる。手伝うわ」

「無理すんなお嬢さん。お前さんの言うとおり、あの蟲はデカくてキモい。そこで休んでな」

 アイシャは手袋をはめ、シャナトリアたちに背中を向けて弓矢の点検をはじめた。

「やさしいのね、アイシャさん。それはあたし達が修練生(こども)だから?」

 シャナトリアの挑むような問いかけに、アイシャも振り返って真っ向から答えた。

「そうだな……。お前さんが本職(プロ)の魔導士だったら、そのケツを蹴っとばしてるところだ。

〝なに甘ったれてんだクソが〟ってね」


 その言葉に喚起されたのか、シャナトリアは意を決して立ち上がった。

 隣であわあわオロオロと狼狽するソルフィスとティノを尻目に、シャナトリアはアイシャにつめよった。

「放して、ソル。あたし大丈夫だから!」

「いけるか、お嬢さん?」

「平気です! ムシなんかあたしがぶち潰してやりますから!」

 狙いどおり彼女の闘争心に火をつけたアイシャは、体を脇に避けて進めという仕草をした。

 シャナトリアはふらふらと前線の見える場所まで屋上のテラスを歩いた。

 目の前には雪山から引っ張ってきた豊富な水がある。今なら自分の力をすべて引き出せる。なにも問題はない。

「うぐ」

 問題あり。わさわさと蠢く蟲の腹下が視界に入り、シャナトリアは思わず顔を背けた。

「大丈夫だって。こんなとこまで来て噛みつきゃしないって。慣れろ。何事も慣れだ。慣れ」


 サイアク!


 込み上げる嫌悪感を必死で堪えるシャナトリアだったが、涙で視界がにじむと蟲の姿がぼやけるので都合がいいかもしれない。そんな暢気なことまで頭をよぎる始末だった。

「な、平気だろ? そうだな、アレはちょっと大きなムカデだと思えばいい」

「…………」


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