7-01 魔獣現る
――赤銅蟲の名で知られるこの砂蟲は、砂漠のハンターとして旅人から恐れられている。
強靭な顎門で人間やラクダを簡単に引き裂くし、キチン質の外殻は刃物を通さないのでまず手に負えない。
砂蟲は地中に潜って獲物が来るのをじっと待つ。こうして毎年犠牲がでてしまうのだが、ひとつだけ有効な活路がある。彼らが食事を取る時だけは地上に出てくる必要がある。
だからまず充分な食料を与えて、彼らの食事の隙に逃げればいいのだ。
もっともその食料は自分以外の誰かでなければならないが――
―ミレー地方 ジェチの隊商宿近隣―
アゼルの魔導士達がその砂塵を見たのは正午少し前のころだ。
目的地の街まであと少しの地点で、小高い丘の上からその全貌を視界に入れることができた。地平の彼方から迫り来る巨大な砂塵が、世界を圧し包もうと両腕を伸ばす魔王のように渦を巻いていた。
――でかい。でかすぎる。その威圧感に大地は押し潰されそうだ。
魔導士たちが隊商宿に到着した頃には東の空が砂塵で覆い隠され、天地晦冥となっていた。風に乗って微かに地鳴りが聞こえる。魔獣がすぐそこまで迫ってきている。
下馬した魔導士たちが広場に集まった。
「楽しい旅は終わりだ。だが諸君、知ってのとおり、おまけの仕事がひとつ残っている……。ご苦労だが今しばらく付き合ってもらうぞ」
ロッドの低い声が響きわたる。軍隊でない彼らがこのような集団で戦闘行動をとることは滅多にないことではあったが、この初老を迎えたばかりの魔導師長の統率は隅々まで行き届いているようだ。
アゼルの魔導士達は不安や恐怖に緊張してはいるが、誰一人として泣き喚いたり逃げ出したりする者はいない。みな溢れんばかりの士気で漲っていた。かつての師弟であり、先輩後輩であり、あるいは同級の輩であった間柄が自然と絆を深くし、彼らを束ねる師長への信頼を堅固なものにしているのかもしれない。
ロッドに促され、代わって宮廷魔導師オクシスが前に進み出た。
「アークの宿場は既に亡く――なんとしてもこのジェチは死守せねばならん。魔獣の脅威を打ち砕くには魔導の力をもってあたる他に無い。諸君らアゼル、ひいては国の安危が我々の双肩に掛かっているのだ。諸君らの奮励、奮闘、切に期待する。幸運を!」
若い宮廷魔導師の張りのある声が響きわたった。再びロッドが歩み出て発破をかける。
「では諸君、おもてなしの時間だ。くれぐれも、丁重にな」
軍隊式の号令や喊声もなく、ロッドが手を挙げると彼らは静かに行動を開始した。
総勢六十名足らずの魔導士たちの、戦がはじまった。
彼らは、街の中心を囲うようにして魔術による防御結界陣を敷いた。
どのような規模の戦闘であれ、自分たちの領域を築くことは欠かすことのできない要素だ。城の周囲に防壁や堀を築くことと同じ要領で、魔術による結界を張るのだ。
元からあった簡素な防壁の上から新たに魔力障壁が構築されてゆく。
召喚された石塊の壁が地面に穿たれ、聳え立ち、燃える光の防御鎖が張り巡らされた。その防御陣は全体を見渡すと矢尻の形をしている。魔獣がやってくる方向に真っ向から立ち向かう形だ。
ロッドは街の中心にある一際大きな石造りの建物の上に立ち、作業の様子を見守った。
すでに戦闘が始まっているところもある。先触れの赤銅蟲が前線に現れたらしい。まもなく本体の群れもやってくるだろう。
「これはまた、ずいぶんと小さな結界ですな」
後ろで行動を共にしていたオクシスがやや失望が込められた調子でそうつぶやいた。
確かに、防御結界陣は街の中心を囲う程度で、外縁部は結界の外に取り残されてしまっている。
「まだ外にもたくさん家屋が残っているが、どうするんです?」
「そこは、あきらめるほかないですな」
肩をすくめるロッドに、オクシスは食ってかかった。
「外側は見捨てると、そうおっしゃるのか」
なんとも文官らしいお言葉がきた。
「いかに我々の力をもってしても、守れる範囲には限界がある。下手に戦線を拡げて手薄になった所を食い破られては元も子もない」
「そこは理解できるが、最初から放棄するとは……それでこの街を守るといえるのですか」
どうやら彼は戦というものをわかっていないようだ。はるばる視察にきて頂いた宮廷魔導師殿を無下にはできないが、敵が目前に迫ったこのタイミングで下手に搔き回されでもしたら困る。目先の成果と体面の維持だけにとらわれた役人気質の人間が、識者の忠告を聞き入れずに暴走していく光景をしばしば見てきたからだ。さて、どうしたものか。
ロッドが頭を掻いていると、副官のアースラドがやんわりと割って入ってきた。
「守れませんよ、この街は」
「なんですと」
平然とした顔でそう言う副官にオクシスはぎょっとなって目を見開いた。
「もっとも、オクシス殿のおっしゃる意味で言うならば、ですがね。魔力障壁は磐石というわけではありませんし、いずれは突破されこの場所も踏みにじられるかもしれません」
「正気でいってるのか」
副官のアースラドは落ち着き払った様子でうなずいた。
「ですが、問題はそこではありません。この戦いの主眼はあくまでも魔獣の撃滅です。言葉は悪くなるが、この街が餌箱になることで蟲どもを釘付けにする。そうして可能な限りここで魔獣を打ち滅ぼす。それによって地域全体を救う。守るとは、そういうことです」
「…………」
やがてオクシスは首を振りながら手を挙げてアースラドの考えを受け入れた。
「わかった。それに従おう」
そう言ってオクシスはおもむろに懐から本を取り出した。呪文書だ。それを見たロッドが興味深そうに眉を動かした。
「少しばかり壁を補強してまいります」
「ありがたい。では前線から重点的に強化願えますかな」
「了解した」
部下を率いてオクシスは前線の堡塁へと向かった。その様子を魔導師長とその副官が高台から見守る。
「思ったより、ものわかり良さげで助かるのう」
「はぁ……、でもいいんですか? あれ」
「問題なかろう。こうして轡を並べる友軍である以上働いてもらわんと。こっちも人手足りんし、奴さんらも納得せんだろうしな」
「足引っ張らないように願いたいもんですけどねェ」
「案ずるな、心配ないない」
オクシスが堡塁の先端に登り、ロッドに向けて手を振ってきた。ロッドも同じようにして応える。この場所は前線の様子もよく見える。
「ほれ、見ものだぞ。久々にルヴェンディ流の魔法とやらをお目に掛かれる。お手並み拝見といこうじゃないか」
オクシスは懐から呪文書を取り出し、おもむろに頁を開いてその中の一枚を破き、宙に放り投げた。片手をかざし、なにごとか呪文を唱えると、漂う紙が一瞬にして燃えた。
次の瞬間、オクシスの足元に光る魔法陣が現れたかと思うと、前方の大地が勢いよく隆起した。
見る間に巨大な砂の壁が出来上がった。それは堡塁の外側をさらにカバーする楯のようなもので、壁というより堤防と呼んだほうがふさわしい代物だった。
魔術で出来た鈍重な砂の堤防はモルタルを固めたような硬さがあった。しかも、防御陣の先端に沿ってV字形をしている。船の舳先のように尖った先端は、押し寄せる蟲どもを波のように掻き分け、激突の衝撃をやわらげることができるだろう。
「おお、なかなかやるのう」
防壁のすばらしい出来栄えに喜ぶロッドの隣でアースラドも仏頂面の片眉を吊り上げた。
得意げにこちらを振り返るオクシスにロッドは手を振って礼をのべ、さらに身振り手振りで「是非他も頼む」と注文した。これに気を良くしたのか、オクシスは勢いよく腕を振り上げ部下を引き連れて動き出した。
「あの〝呪文〟ってやつ、いつ見ても面倒臭そうにみえるんですけれど、どうなんですかね」
「そうでもない。ルヴェンディの術式は臨機応変さが真骨頂だ。それに比べれば詠唱が手間だの、そんなものは些細な問題だ。ああやって本にして、いろんな魔術を〝持ち歩ける〟という利便性は我々の様式よりずっといいもんだよ。あのでっかい砂壁も、おおかた砂漠と聞いて砂の魔法でも仕込んできたんだろうて」
ロッドは自分たちと異なる流派の魔術を快く評していた。
オクシスの使う魔法は西方諸国で広く普及している《ルヴェンディ》という流派だ。
西方圏ではアゼルと双璧をなす二大魔術流派のひとつといわれているが、普及度においてはアゼルをはるかに凌駕しており、配下に数多くの分派も存在している。
彼らの使う魔法の特徴は魔法陣と呪文詠唱だ。アゼルの自然発生的な、ある種の超能力に近い原初魔術と比べると、彼らの魔術は準備に手間の掛かる術式だが大きな利点がある。
彼らの魔法は学習によって効率的に習得でき、使いたい術を道具のように持ち運べるのだ。
ルヴェンディの魔法は学問として体系化されており、門下の魔導士は相応の魔力さえ備わっていれば、自分好みの術を選んで習得することができた。これは個性や環境に強く依存するアゼル流とは違って、極めて普遍的な形態といえる。
そして、覚えた魔法の術式を本などの道具に刻印して持ち運ぶことができる。必要なときに道具を使って魔法儀式を行うわけだ。
オクシスの使用した呪文書のすべての頁には、大地の元素霊を使役するための魔法陣が描かれている。彼はこれを使って砂の壁を生み出す魔術を再現したのだ。ロッドの言うとおり、砂漠ですぐ使えそうな類の呪文を選んで準備してきたのだろう。
「あとは後方の守りですねぇ。うまい具合に流れてくれるといいんですが」
「相手は虫だ。そこそこの馬鹿であることを祈ろう。アースラド、様子を見てきてくれ」
「承知しました」
胸に手をあて頭を垂れると副官アースラドは陣後方の確認に走った。
ロッドはもう一度街の様子を見渡した。防壁の設置は整いつつある。あとはどこまで魔獣の猛攻に耐えられるかだ。
ロッドは空を見上げた。
魔獣の襲来は天災のようなものだ。天が相手となれば時として人の力ではどうにもならぬこともある。万事を尽くしてあとは天にゆだねる。人にできることはそれだけだ。
……そういえば、あの子たちはどうしただろう。城を飛び出したいたずらっ子の修練生たち。彼らの動向だけがロッドは気がかりだった。




