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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
第二幕 熱砂の丘
30/51

6-04

   ―ミレー地方 北壁の山岳地帯―


「見て見て! 水が流れてるよ!」

 ソルフィスがフードを掴み上げ、わーっと歓声をあげた。

 川の上流を目指して、ソルフィスたちは北壁の入口にあたる山林に入ってきていた。


 万年雪から沁み出す雪解け水がそこかしこから集まり、小さな流れとなって飛沫を上げていた。毎年、春季から夏季に掛けて、そこかしこから集まった北壁の雪解け水が、やがては河となって夏の短い期間だけ砂漠に流れ出すのだ。

 清水を求めて谷間に沿って上昇していくと、次第に雪渓が視界を覆うようになった。山頂は雲に(かす)んでいる。季節は春だというのにまだ雪が降り続けているらしい。


「ヒャッホーイ、ぜんぶ雪だこれ」黒猫が(ほうき)の上ではしゃいでいた。

 北壁の山々は昔から魔物の棲む山として恐れられているが、少なくともこのあたりに魔獣の気配は無いようだ。これは幸先がよい。

「ちょっと季節的に早いけど、そこらへんの雪、あらかた川の水になってもらおうぜ」

 軽い調子でそう言うティノだが、河を作るには途方もない量の水が必要だ。その原料だけは目の前にたーんとあるのだが……。

 シャナトリアの指示でソルフィスは雪山の中腹まで昇っていく。木々はすっぽりと深雪に覆われ、見渡す限りの白銀の世界になってきた。

「ひあぁ、さ、さ、寒むっ! 先生、お仕事なるべく早めで頼むぜ」

「暑いだの寒いだの、うるさいわね」

 山肌から突き出るようにして、具合の良い岩棚を見つけると、シャナトリアはそこで降ろすように言った。


「ここでいいわ」

 肩の上から白猫が跳びだすと、その体がぱっと白く輝き――(あお)く輝く銀髪の少女となって、その場に降り立った。

 透きとおるような白い肌。スラリとした長い脚。そして細い体つきのわりにやや豊かな胸から、くびれた腰への曲線がひときわ目を惹く。


 ゴクリ。ティノは唾を呑み込んだ。


 シャナトリアのその姿はまさに――素っ裸!

「シャナっ、服っ、服っ!」

「いッ!? イヤぁーっ! また忘れてた……もうやだぁ……」

 シャナトリアは屈みこんで泣き出してしまった。

 ソルフィスがあわててカバンの中から妹の服を引っつかんで取り出す。

「シャナ、ほれ、パンツ」

「黙って渡してよッ! もうッ……へっ……くちん!」

 ティノは少女の裸を見ないようしきりに前肢で顔をぱしぱし覆っていたがやっぱりダメだ。

「おぅ……大丈夫か。せ、先生、風邪ひくなよ」

「うるさいッ、あっち向いてろ、バカ猫ぉっ!」


 (たま)りかねたソルフィスは妹のそばに降り立ち、バカ猫をつかんでポイッと捨てた。

 柔い新雪に黒い毛玉がボスッと穴を開けた。

 ソルフィスはベルベットを出してシャナトリアの体をやさしく包みこんであげた。虹色の輝きが穏やかな温もりを放つ。

「あったかい……。ありがとう」

「いいのいいの。ささ、ゆっくり着替えてくださいな」

 真っ白な雪玉になって、わたわたとティノが復活してきた。それを見たソルフィスは笑いこけた。

「こ、このやろー」

「ゴメンゴメン。それよりねえホラ見て。うふ。これがね、ベルベットの本当の使い方だよ」

「だ、ダメっ! ティノこっち見るなっ」

「へいへーい。俺はあっちで雪と(たわむ)れてますからね、終わったら呼んでくださいな」

 そう言い残して黒猫はくるりと後ろを向くと、「にゃっはー」と、征服者の勢いで猛然と雪の中に飛び込んでいった。


 しばらく経ち、ソルフィスの光の衣の中で着替えを済ませたシャナトリアは立ち上がった。

「助かったわ。ソル、どうもありがとう」

「どういたしまして。……む?」

 ふとソルフィスが下を見ると、いつのまにか足元にティノがいる。

「ソル、俺も……ちべたい……」

 もこもこの羊のようになった黒猫が声を殺してぷるぷる震えていた。



 シャナトリアは足元の具合を確かめ、少し歩いて山頂を振り仰いだ。

 肌にぴたりと張り付くような上品なジャケットの下には革のコルセット。きゅっと締まった腰には花びらのようにふわりとしたスカートを穿()いている。それに加えて膝を覆う丈高のソックスと、高いヒールのブーツ。これらすべてが雪のように真っ白だった。

 その中で腰に巻いた長いスカーフは目の覚めるような紫色で、彼女が歩くたびに揺れ動く。そして腰に下げた金色の丸い宝石籠が陽の光を受けて輝き、ひときわ存在感を主張していた。

 彼女はまるで雪の精のように高潔で、神聖なものであるかのようだった。


 ティノは束の間、シャナトリアの神々しい姿にすっかり魅了されてしまった。

 惚けていた自分に気がついて、あわててそれをごまかすように口を開いた。

「お、おう。先生、もう平気か? 寒くね?」

「大丈夫よ。あとは任せておきなさい。あなたたちは安全なところにさがってて」

 シャナトリアは山頂を見つめながら答えた。もはや寒さを感じていないかのように平然としている。精神集中はもう始まっているようだ。

「シャナ、気をつけてね」

 ソルフィスが後ろから妹の頬に手を寄せるとシャナトリアはその手をやさしく握り返した。肩越しに振り向いて、笑顔でそれに応えた。

 ソルフィスとティノは上空の少し離れたところで待機することにした。



 シャナトリアは両手を握ったり開いたりして何事か具合を確認し、顔を上げた。彼女の眼前には、白銀の山稜が幔幕(まんまく)のように果てしなく広がっている。

 久しぶりに大きな魔力を使うことになる。体がついてこれれば良いのだが。

 昨夜はティノのことに気を張りすぎて結局眠れなかった。そのせいか今になって全身がだるい。頭も少しぼうっとしている感じがする。

 シャナトリアは微かな不安と雑念を取り払おうと頭を振った。

 やがて大きく深呼吸をすると、静かに両腕を水平に突き出し、ゆっくりと交差させていった。手を握って数本の指だけを真っ直ぐにのばし、意味ありげな印を組む。片脚を前に出して、少し腰を落とした。


 舞踊のような滑らかで精妙な手つきは神聖な儀式を思わせる。彼女特有の大魔法の術式だ。

 シャナトリアは静かに息を一つすると、瞳を閉じ、そのまま体を静止させた。

 次の瞬間、シャナトリアの体は青白い光に包まれ、その長い髪と腰のスカーフが風に煽られるがごとく強くはためいた。

 この様子を上空から見ていたティノは驚嘆の声をあげた。

「す、すげぇ。あいつから魔力が溢れてる。尋常じゃないぞ、あの力……」

 魔力反応に敏感なティノはひしひしとその力を感じていた。シャナトリアの体から波打つような力強い魔力の波動が伝わってくるのだ。

 ソルフィスも緊張した面持ちで黙って妹の様子を見守っている。

 耳鳴りのような、甲高い響きがあたりを包む。山鳥の群れが一斉に悲鳴を上げながら飛び立った。山の獣達がなにか異変を察知して逃げ出し始めたようだ。

 そう、今のうちに逃げるんだ。ソルフィスは心の中で動物たちにそうつぶやいた。

 程なくして金属が砕けて(きし)むような小さな破裂音が山のいたる所から聞こえるようになってきた。山が震えている。



 数分が経過した。

 突然、山の一角で地滑りが起きた。いや、雪崩だった。

 雪の塊が針葉樹の森に飛び込み、砕け散って霧となっていった。

 これを機に、各所で雪崩と氷の崩落が起きはじめた。

「わわわ、どうなってんだ? なんでこんなに雪崩が?」

「シャナの魔力で雪を強引に融かしてるんだよ。融けた水が雪塊の下に溜まるから、そこが滑って雪崩が起きてるんだと思う」

「うへぇ」

 ティノは改めて感嘆の眼差しでシャナトリアを見た。

 今や彼女の力が近隣の山々にまで行き渡ろうとしているのが感じて取れる。

 天の水を幾星霜(いくせいそう)と蓄え込んだ万年雪が惜しげもなく一気に蕩尽(とうじん)され、下界へと向かってとうとうと流れ落ちてゆく。育み出された融水はやがてひとつの大きな流れとなり巨大な瀑布の如く轟々(ごうごう)たる大音響となって砕け落ちていった。


「な、なぁ、ソルもあれくらいの魔力出せるの?」

 おっかなびっくりにティノが訊ねると、ソルフィスはすました顔で首を横に振った。

「ムリ。わたしとシャナの魔力(マギナ)は同じくらいだけど、あの子は特に外気(マナ)を取り込む力がすごいから、あの子の方がずっと強いよ」

「そ、そうなんだー」



 大河を作り出すほどに膨大な量の水を生み出すには、途方もない魔力が必要にある。その凄まじい力をシャナトリアのような小さな少女がどうやって捻り出しているのだろうか。

 魔導の世界に、《マギナ(Magina)》という言葉がある。

 これは術者の力量を示す、いわゆる〝魔力〟を意味する言葉として一般に知られているが、魔導学におけるマギナは、あらゆる魔術効果を具現化するために介在する特殊な媒質のことを指している。


 マギナは自然界のどこにでも存在する目に見えないほどに極小の粒子だとされている。

 空気や土、鉱物、草木や動物、あらゆる場所にマギナは存在しているのだ。このマギナが自然界のあらゆる物質と結びつくことによって引き起こされる神秘的な作用のことを〝魔力現象〟と呼ぶ。様々な魔力現象を再現するために使われる知識や技術がすなわち〝魔術〟だ。


 通常、魔導士は体内の魔力《内気(オド)》を放出させて対象に働きかけ、魔力現象を引き起こす。

 これに加えてシャナトリアは雪や氷に含まれる自然の魔力《外気(マナ)》を引き込んで自らの力に上乗せし、術をより強く、広範囲に働きかけるよう循環させているのだ。

 周辺環境を味方に引き込むこの力こそが彼女の大規模魔術を支える根幹となっていた。



「つーことは、たとえばケンカとかしたら、シャナの奴はソルより強いの?」

「そだよ。わたしよりずっと大きな(パワー)が出せるもん。こういう綺麗な水がたくさんある場所だと、あの子は無敵だよ。たいしたもんでしょ、わたしの妹は」

 ソルフィスは誇らしげに胸を張った。自慢の妹の働きぶりが心底嬉しいようだ。

「お、おぅ。なるほどね……」

 ティノはしっぽを震わせて苦笑いするしかない。おっかないシャナトリアのイメージが彼の中でさらに強化された模様だ。見渡す限りの雪と氷だらけのロケーションも彼女のビジュアルにまさにピッタリ。『シャナトリア=冷たい・ツヨイ・超コワイ』という名誉的な印象にさらに磨きが掛かった。


 冠雪した一帯の山系から雪解け水が流れ出し、やがてひとつの大きな川を形作ってゆく。

 ここまでは順調のようだった。ところがソルフィスがここで少し異変を感じ始めた。


「……む?」

 土砂が崩れ、岩盤が揺らぎ、針葉樹の森が音を立てて(かし)げ始めた。瞬間的に大量発生した水が地中に染み込み、地盤を弱らせ始めたのかもしれない。

 大規模魔術による悪い影響が出始めていた。

「お、おい。なんか少し、やばくね? あいつ、ちょっぴり張りきり過ぎとかさぁ……」

 ティノの言うとおりだ。少し魔力にムラが――雑というか、場所ごとに掛けるべき魔力に偏りがあるような気がする。いつも繊細な魔術を使うシャナトリアが荒れるなんて……。


 ソルフィスは妹に視線を移した。

 彼女は最初と同じ姿勢を保ったままだ。しかし、よく見てみると、その足元はどことなく頼りない。ふらりふらりと夢遊病者のように揺れている。

 術に夢中になり過ぎてる……? いや、まさかこれは……

「大変! あの子、酔ってる!」

 ソルフィスは血相を変えて叫んだ。

「一気に魔力を出し過ぎたんだ!」



 魔導士特有の疾患に魔力酔いと言うものがある。

 魔力の使い過ぎによって一時的な心神喪失、忘我(ぼうが)、虚脱状態になることである。

 未熟な者はもちろん、熟練の者でも、膨大な魔力を瞬時に発揮しようとすると、ある種の興奮状態に陥り、意識朦朧(もうろう)とし、神経衰弱、躁鬱(そううつ)の症状を発する。これが酩酊状態のそれとよく似ているため、しばしば〝酔う〟といわれる。ひどくなると意識喪失し、そのまま死亡してしまう場合もありうるのだ。

 シャナトリアは術を発動させたまま、忘我(トランス)状態に入ってしまっていた。暴走といってもよい。自己制御のできない危険な状態だ。



 そのとき、頭上から轟音が聞こえた。

「ウワー、雪崩れだ! あぶなーい」

「助ける!!」

「フガッ」

 尻を引っぱたかれたように彗を急発進させるソルフィス。

 雪崩がシャナトリアを飲み込む寸前、間一髪のところでソルフィスは彼女を抱き留めた。

 衝撃でシャナトリアの結んだ手の印は解かれ、彼女は自身の術から解放された。

「ん……、ソル?」

 シャナトリアは我に返った。

「あ、あれ?」

 いつの間にか目の前のソルフィスに抱き留められていたシャナトリアは驚いた。

 足元にあるはずの地面の感覚がない。己の置かれた状況を確認しようと首を回すと、ソルフィスが片方の手で飛翔彗を握り締め、ぶら下がるようにして二人とも宙に漂っていた。

 すぐ下を大きな雪崩が滑り落ちていく。雪煙が二人の体を包んだ。危機一髪だった。


 姉が命懸けで自分を助けてくれたのだと知ったシャナトリアはパニックになりそうな心を抑えるのに必死で、堪らず涙が溢れ出てきてしまった。

「あ、あうぅ……、ソル……あたし……」

「危ないあぶない、持ってかれるとこだった。もうっ、あんまり心配掛けさすんじゃないよ」

 妹の無事にソルフィスは安堵のため息をつく。

「ご……、ごめんなさい……」

 シャナトリアは下の惨状も目の当たりにした。

 谷川には洪水のように水が溢れ、森の土を削ぎ落とした濁流が轟々と流れて落ちていた。

「ああ……ごめんなさい……、ごめんなさい」

 シャナトリアは顔をくしゃくしゃにして、ぽろぽろと涙をこぼし、ソルフィスの胸の中で泣き出した。作為ではないにせよ、自然を傷つけてしまった申し訳なさと不甲斐なさで胸がいっぱいだった。

「動物たちは早いうちに皆逃げ出したよ。大丈夫、だいじょうぶ」

 ソルフィスはやさしく(なだ)めてシャナトリアを落ち着かせようとした。


 気丈なシャナトリアのめったに見せることのない涙にソルフィスの心は揺れた。いつもはそっけなく冷たい振る舞いを見せるが、本当は心優しく温かい子なのだ。

「頑張ったね、さすが我が妹だ。よーし、よしよし」

 魔力酔いの影響か、少し心の平静を失っているシャナトリアの心中を気遣うように、ソルフィスはやさしく励まし続けた。

 この子はよくやった。下に降りたら真っ先に頭を撫でてやろう。ソルフィスはそう思った。

 流れ落ちてゆく濁流はやがて大河となり、隊商宿(サライ)へと行き着くだろう。下界を見つめるソルフィスの目はさらなる使命へと向けて決意の光を放っていた。


 さっきから反応のない黒猫はソルフィスの肩の上でぶらんぶらんとのびていた。


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