6-02
―ミレー地方 オブクトの隊商宿―
早朝、アゼルの魔導士達は隊商宿オブクトに到着した。
この西側から数えて二番目の隊商宿では慌ただしく撤収の準備が始まっている。砂蟲襲来の騒ぎを聞きつけた住民達が荷物を纏め、我先に西側へと避難しようとしているのだ。
喧騒の中、その光景を視界の片隅に、どこを見るともなく、アイシャはぼーっとしていた。
ラクダを日陰に座らせ、自分は土塀を背にもたれ掛かるようにして佇んでいた。
乗り心地は快適とは言いがたかった。ラクダの背は右や左へずいぶんと揺れるので、慣れないアイシャはしたたかに酔ってしまった。普通に立っていると地面が揺れるように感じる。
「うぅ~……気持ち悪ィ」
一級魔導士ともあろう者がなんとも情けない。不覚。
眠気と疲れと腿の痛みと乗り物酔いとが同時に到来して最悪の気分だ。
アイシャは息吹きかけて冷ましたコーヒーを煽るようにして飲んだ。東方の砂漠の国から伝わったという、黒くて苦い飲み物だ。興奮作用があり眠気覚ましに効果があると聞く。
「うぅ~……苦ェ。なんだコレ」
アイシャは堪らず舌を出した。
現在、アイシャをはじめとするアゼルの魔導士たちは、このオブクトの街で休息中である。
この街に留まって守備体勢を整えるか、さらに次の街に進むのかで上の方で揉めているらしい。結論が出るまで各自待機とのことである。
魔導士がこうも集団で居ると一般の目には異様な光景に映り、警戒されるものだが、住民たちは彼らに対して驚くほど無関心だ。家財の積み込みと家畜の運搬に血まなこになっている。街から避難するために手と足を動かすので必死なのだ。魔導士にとって好都合なことではあった。
ここに留まって防御陣を敷くにも、こうも住民にバタバタと右往左往されれば邪魔になって作業にならない。ということで、じっと動かず体力を温存するのが良策なのであった。
前日からの強行軍は確実に魔導士たちを疲労で蝕んでいた。補給班の治癒術師が仲間の回復に走り回るが、本当に休息が必要なのは彼らの方だろう。
早いところ任務を終わらせてこんな砂漠とはオサラバしたいところだ。
そういえば、とアイシャは思い出すことがあった。ここに来る途中で楽しいことがひとつあったのだ。日が昇る少し前のことである。
未明のうちにクヌートを発ったアゼルの魔導士たちは、一路オブクトへ向けて砂漠を進んでいた。慣れないラクダの乗り心地にアイシャは気分が悪くなり、集団から遅れそうになってしまったときのことだ。
「……さん、アイシャさん……」
どこからともなく人の囁く声が聞こえる。
誰もいないはずの声の方を振り返ると、人影が宙に浮いていた。
アイシャは飛び上がって驚き、はずみで落馬しそうになったが、その人影がとっさに腕を掴んで支えてくれたので事なきをえた。と同時にアイシャは驚いた。よく見るとその人物は棒に跨って宙に浮いている。そんなけったいな奴は一人しか知らない。
「……ソルフィス? あれ、お前……ソルフィスか?」
ソルフィスは口の覆いを引き下げて、にこりと笑った。そして無断で城を飛び出して、ここまで来てしまったことを詫びた。
「ティノもカバンの中に居ます。今は寝てますけど」
ソルフィスはそう言って、彗をアイシャの鞍に寄せてきた。
近くにいたアイシャの同僚の魔導士たちもこれに気付き驚きはしたが、喜んでこっそりと彼女を迎えてくれた。
「アイシャさん、顔色悪いですね。大丈夫ですか?」
「ああ、心配すんな。こいつの乗り心地が思ったよりひどくてね……。ちょっと酔っただけ。お前の顔見たら元気でたよ」
睡眠もろくに取らずに移動を続けるアイシャ達を気遣うように、ソルフィスはずっと心配そうな顔をしていた。
「わたし達これから、この先にある……、えーと、ジャ……ジョ……」
「ジェチサライか?」
「そう、それ」
「そこに河を作る、という話は本当か?」
アイシャにそう言われて今度はソルフィスが驚いた。
「どうしてそれを知ってるんですか」
「学院長さまからのありがたいご一報があってだな……」
そう返すと、ああやっぱり、という顔でソルフィスは苦笑していた。
「赤銅蟲は水が苦手だ。ジェチの涸れた川に大量の水を引くことができれば、あいつらはそこを通れないだろう」
今回の件で問題となっている砂蟲・赤銅蟲は、体にある気孔から空気を吸い込んで噴射することで移動するが、濡れた砂を吸い込むと気孔が塞がり、動けなくなってしまうのだ。川に水を引けば、蟲の進行を効果的に止められるだろう。
「川は街のすぐ東側を通っているはずだ。水さえ通れば自然の外堀になる。そこで蟲たちを塞き止めることができるし、塊になったところを丘から一網打尽にできる」
ソルフィスは噛みしめるように「なるほど」と、うなずきながら聞き入っていた。
「でも、そんなこと本当にできるのか?」
「街から少し離れたところに行くと雪山があるそうです。そこの雪を融かしてしまえば、砂漠に大きな河を作れるんだとか。ティノがそう言ってました」
「おいおい、それって〝北壁〟のことか? 少し離れたとか、それどころの距離じゃねーぞ。それに簡単に言うけど、どんだけ山の雪を融かすんだそれ……本当に可能なのか?」
「大丈夫。飛ばせば間に合うと思うし、あとはシャナがきっとやってくれます」
「シャナトリアが?」
ソルフィスが肩のあたりに手をやると、マントの下から見慣れない白猫が顔を出した。
なんとなくそれが何者なのかすぐにわかった。
「ははっ。おまえシャナトリアか? かわいいなぁ」
白猫はニャアと鳴いて返事した。
こうして話ができる時間はあまり無い。アイシャは改まってソルフィスに訊ねてみた。
「それで、お前ら。やれるのか?」
「はいっ、やれます」
即答だった。シャナトリアも任せてくれ、といわんばかりに大きな瞳で見つめてくる。
アイシャは二人の反応をしばらくうかがっていたが、やがてうなずいた。
「……わかった。このことは上に報告しておく。それに加えて、こちらもお前らの動きに合わせて行動するよう進言してみる。大丈夫だ、まかせとけ」
「ありがとうアイシャさん。お願いします」
「じゃあ、ジェチサライで会おう。言っとくが危険なマネはするなよ。その作戦とやらが終わったら、まっすぐあたしに会いにくるんだ」
「はいっ」
「よし。ティノによろしく言っといてくれ。ああ、それと、作戦がうまくいったら旨いメシをおごってやるよ」
ソルフィスはぱあっと目を輝かせた。
「本当!? 本当ですか!? 楽しみにしてます!」
「あ、ああ、頑張れよ」
「はいっ!」
ソルフィスは近くにいた魔導士たちのささやかな応援の声と共に見送られながら空に戻っていった。やがて流れ星が尾を曳くようにして、あっという間に荒野の丘へと消えていった。
アイシャはその時の記憶を反芻していた。
ソルフィスと逢えたことで、学院長からの知らせについて裏が取れた。当然、この出来事はすぐに上長のロッドに報告したが、彼は「わかった」と一言だけつぶやいてうなずくだけだった。この一見ぶっきらぼうにみえる反応は、ロッドのことをよく知る人間なら、なかなかの好感触だと見るだろう。
しかし本当にこれでいいのだろうか。
「アイツら、さも当然のように〝できます〟とぬかしやがった」
あの姉妹が図抜けた魔力を持っているということについては以前から聞かされてはいるが、実際にこの目で見たわけではない。でも、あの伝説のことなら知っている。
学院長がこうも特別扱いする、あの姉妹が本当に本物なのだとしたら――
「こりゃあ、賭けだな」
楽しくなってきた。うなだれていたアイシャの顔からふっと笑みがこぼれた。
そういえば、飯をおごる、と勢いで言ってしまったことが気掛かりだった。
思い起こせばソルフィスが「絶対ぜったい絶っっっ対に、約束ですよ!」などと、やけに念を押して食いついてきたのが気になる。今になって背中にうすら寒いものを感じてきた。
アイシャは少し心配になってサイフの中身を確認した。
まぁ、大丈夫だろう。たぶん。




