6-01 砂礫の大地
―ミレー地方 西部―
トランゼスト砂岩地帯。
ミレー地方のほぼ全域を占めるこの一帯は、砂と岩で覆われた荒野である。
周囲の高山地帯が雨雲を遮るため、年中を通して降水量は少なく、空気は乾燥している。昼夜の寒暖差が非常に激しく、人が過ごすには厳しい土地だ。
砂漠続きとなる東端の国境を隔てて、ここから東方文化圏へと到る道がある。内陸における東方への唯一の交易路がこの砂漠を横断するのだ。
日が昇り始めた。
ソルフィスは、砂塵を高く巻き上げながら東へ向かって矢のように飛んでいた。
これから暑くなる。ソルフィスは全身をすっぽりと包む砂色の防塵マントの着心地を手で触りながら確かめた。
今朝は日の出前に起き、砂漠に入る準備を済ませた。
ヴィヴィアンの作ってくれたボリュームたっぷりのサンドイッチを食べ、谷川の清流を汲んで水筒を満たした。それで食後の紅茶も作ってみたが、猫舌のティノには不評だった。
カイトがくれた日焼け止めオイルを塗っているときに、ティノが黒い顔を青くして叫んだ。
「やべぇ。俺の体って、真っ黒じゃん。砂漠なんか行ったら、干からびて死んじまう」
そこで「いい考えがあるよ」と、ソルフィスが黒猫を指差して進み出た。
カバンからナイフを取り出して、「ティノくん。キミのその体毛、剃るかい? 剃ってみるかい?」
ソルフィスが怪しげな笑みを浮かべてティノへにじり寄る。
「馬鹿か。お前だってその服真っ黒だろ。今日はきっとお肌ムレムレだぞん。ウケケケ」
黒猫がからかうようにして体をくねくねさせた。
「ぬぬ……」頬を赤らめるソルフィス。
そのあたりでシャナトリアがティノの頭をぽかりと叩いた。
「ぐぐぐ。もう今日は俺、引きこもってるからな。寝る!」
「ええ、そうしてなさい。見張り番、ご苦労さま」
そういうわけで、今日のティノはカバンの中に引きこもっている。彼は昨夜から不寝番を務めてくれたのだ。おかげで姉妹は十分な休息をとることができた。
石礫の大地を小一時間ばかり飛んできたが、日が出てから見渡せば辺りはすっかり砂だらけの砂漠になってきた。草木の一本も見えない、不毛の土地だ。
マントの下でシャナトリアがあくびした。
「どしたの、シャナ眠いの?」
「うん……目が冴えちゃってあんまり眠れなかった」
「カバンの中入る?」
「ううん、ここがいい」
シャナトリアはソルフィスの肩につかまって首元に寄り添った。
それにしても砂漠は空気が乾いている。
飛翔術が形成する気流の障壁のおかげで、飛んでいる最中は砂塵の進入を防いでくれるが、乾燥した空気ばかりはどうにもならない。ソルフィスは少し涙が出てきてしまった。目元を拭い、フードを目深に引き下げる。肌の露出も最小限にするよう気をつけたいところだ。
シャナトリアが心配そうに見上げた。
「ソル、大丈夫? 少し速度落とさない?」
「大丈夫、大丈夫。早く着いて、仕事済ませちゃおう」
ソルフィスは気張って彗の速度をさらに上げた。
グラスウェルから国境のダリアまで、ほぼ一直線にのびる交易路の途中には、四つの隊商宿が設営されている。西側から順に、クヌート、オブクト、ジェチ、アークと呼ばれるこれらの隊商宿は、各々を取り仕切っている遊牧民の部族の名前から付けられているらしい。
ダリアから先の国境を越えてもまだまだ砂漠は広がっているので、このような遊牧民の拠点は国外にも点在している。
めいっぱいに飛ばして、ソルフィスは朝方のうちに目的地のジェチサライに到着した。
町はもぬけの殻となっていた。
急報を聞きつけた住民たちは未明のうちに慌ただしく撤収を済ませたのだろう。必要最低限の家財が持ち出されており、通りは散らかり放題となっていた。遊牧民たちの移動式住居もそのままになっている。畳む余裕すらなかったのだろう。
町に人の姿は無く、家畜も犬や猫も、ねずみ一匹たりとも気配がなかった。つい先刻までそこに息づいていたであろう生活の名残が、今ではただ物悲しさを伝えるばかりだ。
砂漠の乾いた風が、建物の間を通り過ぎてゆく。
ソルフィスは町の中心にある聖堂の上に降り立つと、周囲を見下ろした。
ティノの立てた作戦は、ここジェチサライを拠点としている。作戦がうまくいけば、ここを含めて西方三つの隊商宿は砂蟲の脅威から救えるかもしれないのだ。
「着いたよ、シャナ」
ソルフィスが肩を指で軽く叩くと、のそのそと白猫が腹のところまで降りてきて、マントの隙間から顔を出した。強い日差しにシャナトリアは目を細めた。
「蟲は、もうすぐそこまで来てるのかしら」
「ちょっと見てみよう」
ソルフィスは上空に舞い上がり、地平の彼方が見渡せるところまで上昇していった。
遠い東の地平線に砂煙が見えた。そのあたりの一面は真っ黒だ。蟲の群れに違いない。
まだかなり遠い場所だが、ここからの距離を考えれば驚くほど広い一帯が砂煙に包まれていた。一目で恐ろしく巨大な大群だとわかる。
「シャナ。見えた、あれだ」
「うぅ、地面が動いてる……。はぁ、もう帰りたいわ」
シャナトリアはその光景を見て呻き声をあげ、早々にマントの中に引っ込んだ。
ソルフィスは自分の高度と地平線に見える砂煙の大きさからおおよその距離と群れの規模を目測してみた。
「とんでもなく大きな群れだ。下の街が簡単にぺちゃんこになっちゃうくらい……。ここからの距離は20リーグってところかなぁ」
ソルフィスは驚くほど目が良かった。日頃から空の上で遠くを見るのに慣れているおかげで、普通の人には地平線上の点でしか見えないような小さな物も見定めることができるのだ。計算は苦手なので、ざっくりとした感触で言っているのだが、意外と的確だったりする。遮る物のない、だだっ広い砂漠だからなおの事、感覚は掴みやすい。日頃の訓練の賜物だ。
「20リーグ? ってことは……お昼過ぎにはここにやってくるの?」
「そうかもね。急がなくちゃ……。ティノ、着いたよ。ほれ起きろ、起きろーっ」
お尻の後ろに乗せてあるカバンをパンパンと叩くと面倒くさそうな返事が返ってきた。
黒猫がカバンの隙間からちょっとだけ顔を出した。
「うぅぇぇ~、あちーな。もう着いたのか~?」
「着いたついた。地図の通りあったよ。えーと、ジョ……ジュ……」
「ジェチサライ」
「そう、それ」
ティノはカバンからのっそりと這い出てきた。
「それで、これからどうすればいいんだっけ?」
シャナトリアが訊ねる。
「河を作る」
「それはわかってるわよ。次はどうするの?」
ティノはマントの下に潜り込んで、器用に肩の上に登ってきた。
「昨日話したとおりにいくぜ。ほら下を見てくれ。街の近くに河が流れたような跡が見えないか?」
見下ろせば集落のすぐ東側、丘の下にうっすらと川床の跡のようなものが見えた。
涸れた川だ。それが南北に向かってずっと延びている。
「あった、あった! あれって川なの? 水無いけど」
「よーし、調べ通りだな。そう、あれでも立派な川さ。夏の間だけ北の山の雪解け水がここを流れるらしい。これからここに水を流すんだ。それじゃあ、川の線に沿って北に向かって飛んでくれ」
「了解っ!」
ソルフィスは言われるままに彗を飛ばした。
「目の前に、ずーっと白い山脈が広がってるだろ。あれが《北壁》ってんだ」
国土の北の一辺を、西から東へと貫くように聳え立つ高峰群のことを《北壁》と呼ぶ。
屏風のように連なる高峰は、寒冷な北風と魔獣、そして蛮族の脅威を遮るための天然の要害となっている。北壁より北は未踏の大地とされており、忌むべき蛮域として人々は立ち入りを避けているのだ。
「あの山の雪をいただいて、下の川に流す。そこは我らがシャナトリアさんにお願いしよう」
シャナトリアはむくれた様子で顔を出してきた。
「簡単に言ってくれるわね。これ途方もない作業になるわよ」
「なんとか頑張ってくれよ。ここは伝説の魔導士様の大魔法に頼るしかないんだぜ?」
「その呼ばれ方、気に入らないわ。あなた達は勝手にそう言うけど」
「うーん、じゃあ、シャナトリア先生! これならどうだい」
「やめてよ、恥ずかしい……」
シャナトリアは今度は照れたように首を引っ込めた。
「それって、わたしも先生になるのかな? ソルフィス先生って!」
「おめぇはそういうガラじゃないな……」
「ぶーっ! どういう意味よソレ」
シャナトリアが横でくすっと微笑んだ。
「ねぇねぇ、そういえばティノ、キミがグーグー寝てる間にアイシャさんに会ったよ?」
「なにっ!? ヤベェ……怒られなかった?」
「ううん、全然。キミによろしくって。そうそう、作戦がうまくいったら、おいしいごはんご馳走してくれるみたいだよ~!」
やけに嬉しそうなソルフィス。
「マジかよ……それじゃ、ここはひとつ頑張って師匠のサイフ軽くしてやろうぜ」
「それはいいわね、望むところよ」
「よーし、頑張ろぉーっ!」
北壁が近づいて来る。果てなく広がる天嶮の白い輪郭が、大劇場の垂れ幕が吊り上ってゆくように押し迫ってきていた。




