5-01 魔導士の出立
――エストレア文化圏の東端にまたがるトランゼスト砂漠は世にも珍しい過酷な気候を誇る不毛の大地である。
毎年多くの命を奪うこの砂漠は、夏の昼間は灼熱地獄、冬の夜は極寒の風が吹き荒れる。
人も獣も寄せ付けぬ苛烈な環境に生きる道を見出した頑健な遊牧民も、小さな集落を築くので精一杯だった。
やがて彼らのたゆまぬ努力が実を結び、砂漠に点在するこれらの街は今では東西交易路を結ぶ命のオアシスとして重要な拠点となっている――
―アゼル地方 魔導学院の城砦―
碧い空に濃く深く陰がおち、黒々と翳った山稜が藍色に溶けこむ頃。
アゼル魔導学院の城壁は月の光に照らされて青白く輝いていた。
ロッド魔導師長を先頭に、数十名の魔導士達が慌ただしく出立してから既に数時間が経っている。喧騒から解き放たれた学院の構内は嘘のように静まり返っていた。
リノー学院長は魔導士達を見送った後で一旦執務室に戻っていたが、夜風に当たりに中庭に出て来ていた。
この場所は森林限界を超える高さにあるため大きな樹木は育たないはずだが、学院構内は魔法設備の力で常に暖かいお陰なのか、麓と同じ植物が活き活きと茂っている。
谷に面した月明かりのテラスの前で、リノーは樫の木に寄り添うように佇んでいた。
あとは彼らに任せるしかない。祈るような思いで、ただ吉報を待つしかなかった。
風もないのに木々の葉がざわめいたような気がした。人の気配がしたのは気のせいではなかったようだ。リノーがそちらに目を凝らすと、木立の向こうに数人の人影が見えた。
見覚えのある姿。ソルフィス、それにシャナトリアだ。
しかし気になるのは二人とも修練生の制服ではなく魔導士の装束に身を包んでいることだ。
ソルフィスはぴったりと身を包み込むような真っ黒な衣装。
対してシャナトリアは真っ白な装いで、百合の花びらのようにふわりとしたスカートが印象的だった。
アゼル魔導士の装束は制服といったものが定められておらず、各自で好きな装束を纏って構わない。このルールは古くからの伝統的な慣習だ。
城下の商業区にある、学院ご用達の仕立て屋に頼めば、自分だけの装束をあつらえてもらえる。イメージを伝えれば、学院出身の熟練スタイリストが適当にデザインしてくれるのだ。
しかも費用は学院負担ときている。このあたりの寛大さは個人の資質に左右される魔術文化とともに、個性を尊重するアゼル独特の風土からきているようだ。
修行中の身である修練生は学院指定の制服を着用するのが習いだが、学院の外で活動するとなると、一端の魔導士と同じく自分だけの装束を着用してもよいことになっている。
こんな夜から二人して修練? いやいや、そんなわけがない。
ソルフィスの手には飛翔彗が握られている。そして肩に掛けたズックの大きなカバン。
明らかにこれからどこか遠出しようと言わんばかりの格好だ。
でも、こんな時間にどこへ? どうにも気になってしまい、リノーは彼女らの声が聞こえるところまで木陰に隠れながらそっと近づいた。盗み聞きするような真似を恥じたが、二人の様子がただならぬので、こっそりと確かめることにしたのだ。
姉妹は何事か話し合ったあと、シャナトリアがぴょんと跳ねた。
その瞬間、彼女の体が白く輝き――
なんと真っ白の雪玉のような仔猫の姿に変身してしまった。変身の術だ。
これにはリノーも驚いた。あの子ったら、あんな術まで使えるなんて!
可愛らしい白猫となったシャナトリアはソルフィスの肩の上に跳びのった。が、それと同時にそれまで彼女が着ていた真っ白な装束がバサリとその場に落ちた。
きゃっ、とシャナトリアが悲鳴をあげた。
「ああっ! 服がぁ……そうだった。やだぁ、もう」
高度な変身の術ならば、体だけでなく、身につけた服装や装飾品の類、極めれば手持ちの小道具までもを変化の中に含めてしまうのだが、どうやらシャナトリアの術はその域までに到らないらしい。
「あー、何やってんだよ」
ソルフィスの反対側の肩から見慣れた黒猫が顔を出した。ティノだ。
「へぇ、パンツも白いんだな」
「み、見るなバカっ! 変態!」
怒った白猫が黒猫をぽかぽかと叩いた。
「にゃにゃにゃっ、暴力反対!」
「しーっ!」
「しまって、しまって」
「まだカバン入る?」
「お姉さま、このマントは出しちゃお。こうして彗にくくりつけちゃえば……。やった、これで入りそう! あら、靴も?」
どうやら他にもだれか居るらしい。奥にいる誰かとも慌しくやりとりしているようだ。
しばらくして、荷造りが整ったようだ。
「もうパンパンだよぉ」
「ありがとう、もういいよ」
「気をつけてね、お姉さまっ!」
「うん。よしっ、じゃあ、行ってくるね!」
ソルフィスの一際明るい声が聞こえた。リノーははっとして木陰から飛び出た。
「ま、待って、あなた達! どこへ行くの!?」
「げえっ、院長せんせ!」
茂みから突然現われた学院長にティノが絶叫した。これにはソルフィスたちも心臓が張り裂けんばかりに驚いた。
ソルフィスの飛翔彗はこれからまさに飛び立たんと光の尾をのばし、彼女のつま先は地面を離れようとしている。
「こんな時間に、そんな大荷物抱えて、どこへ行くの!?」
「あぅ……、これはですね……、その……」
しどろもどろのソルフィスはリノーと目が合ってしまった。みるみるうちに狼狽の色を浮かべるソルフィス。ところが次の瞬間、口を突いて飛び出してきた言葉は豪快だった。
「はい、大丈夫ですからっ! なにも問題ないのでっ! だからだいじょうぶですっ!」
「ハァ!? ちょっと!」
ティノとシャナトリアは頭をかかえた。
「どういうことなの!? ちょっと待ちなさい、ソルフィス!」
「ごめんなさいっ、あとで必ずお話します!」
「ソルフィスっ!?」
「行ってきまーすっ!」
リノーの制止を振り切るようにそう言い放つと、ソルフィスは脇目もふらずにものすごい勢いで上昇していった。あっという間に声の届かぬところまで飛んでいってしまったソルフィスの後ろ姿をリノーは呆然と見送るしかなかった。
月の光が少女の黒い輪郭を象っていたが、やがて光の尾は向きを変え、南の空へと消えていった。
再び訪れた静寂の中で、かさりと物音がした。
リノーがそこに目を向けると、物陰に動く二つのあやしい影。
ソルフィスたちを見送りに来ていたカイトとヴィヴィアンは、そこで学院長と目が合ってしまった。
「あなたたち」
「はひっ」
二人は飛び上がって背中で返事をした。
まことに残念ながら彼らの命運はこれまでのようだ。
今飛び出して行ったソルフィスたちがこれから一体、どこでなにをやらかそうとしているのか――この二人をきっちり問い詰めて、しっかり聞き出す必要がありそうだ。




