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気がつくと、彼は〝ティノ〟に戻っていた。
黒猫から漂っていた異様な威圧感は嘘のように消えてなくなり、いつも見慣れた鳶色の瞳でシャナトリアを見つめていた。キョトンとしたつぶらな瞳。
「ん……、あれ? なんだ、シャナ?」
ティノの声だ。皆が呆然とした目で彼を見ていた。
「な、なんだ? あれっ、いてぇ。ナニコレ痛てー! いてぇよ!」
「あっつ! ご、ごめんなさい!」
シャナトリアははっとして掴んでいた手を放した。ティノは逃げるように机に降り立った。
カイトが黒猫の様子を恐る恐る覗き込んでくる。
「ティノ、ほんとにティノなのかい?」
「なにを言っとるんだお前は」
「ねえ! あ、あたしの名前言ってみて?」
「……どうしたんだ、ビビ?」
全員が顔を見合わせた。黒猫のこの反応をみる限り、どうやら本物のティノらしい。
「どうやら元に戻ったらしいね」
「ハァ?」
不思議そうに目をぱちくりさせる黒猫に、今度はソルフィスがドワーと飛び込んできた。
「ティノ~っ!」
「にゃわー」
ソルフィスは泣きながらティノを抱え上げると頬ずりした。頬ずりしまくった。
「よかった、ティノだ。よかったぁ! もうっ、心配かけさせて……」
「ふがにゃにゃにゃ、ヤメロー」
ティノはいつものソルフィスにされるがままのティノに戻っていた。
シャナトリアが彼を放すように言ってもソルフィスは口をとがらせるだけで断固拒否した。ソルフィスの胸に抱かれた黒猫を、シャナトリアはまだ不安そうに見つめている。
「なんだよ、俺の顔に何かついてんのか」
ティノは前肢でくしゃくしゃと顔を撫でた。
「それよりも、ビビとシャナ」
「な、なに?」
ヴィヴィアンとシャナトリアはびっくりして我に返った。
「ケンカはやめろよ。ギャーギャー騒いで、もう見てらんないよ。頼むから仲直りしようぜ」
ティノの言葉で皆が何かに気づいた。
「……ティノさぁ、ひょっとしてさっきのこと、覚えてない?」
「あん? なんだよカイト、さっきのことって? ひょっとしてもう決着ついた?」
話が噛み合っていない。どうもティノは、竜の人格になっていたときのことを覚えていないらしい。そのときの記憶だけすっぽりと抜け落ちている様子だ。
そのことについてヴィヴィアンがなにか言おうとしたが、ソルフィスがさえぎった。
「お姉さま、どうして?」
何か思うところがあるのか、ソルフィスは首を横に振った。
「ごめん、ビビ。後でわたしから言っておくから。カイトもごめんね。今ここであったことは、わたしたちだけのヒミツにさせてほしいんだ。みんな、お願い」
「う、うん……、僕はいいけどさ」
ものわかりの良いカイトとヴィヴィアンは不安ながらも、うなずいて返した。
「ありがとう、シャナもいいよね?」
シャナトリアも肩をすくめて、同意を示した。
ティノは一人だけ置いてけぼりで何が何だかわからない。
「? ? お前ら何いってんの? ケンカは? ケンカはもういいの?」
ドレイクの件ですっかり脇にどけられていたケンカのことを彼はしつこく蒸し返す。
カイトがため息をついて天井を見上げた。
「そういえば、そんなこともあったよね」
「そうだよそうだよ。俺ァ二人が仲直りするとこ、見てないよ?」
ティノはパタパタと前肢をふって小言を並べた。他の者にとっては今さら感があるのだが。
「ビビ、お前は熱くなり過ぎ。もうちょっと頭冷やせ。シャナ、お前もだ。もっとまごころというものを持て。ほらほら、二人ともごめんなさいしろよ」
小さな黒猫にたしなめられて、ヴィヴィアンとシャナトリアはこそばゆいものを感じていたが、先ほどの見苦しいケンカのことを思い出すと二人とも耳まわりを赤らめて視線を落とした。
「ティノもそう言ってることだし、じゃあ二人とも仲直りしようよ?」
カイトに手と手を取られて、ヴィヴィアンとシャナトリアは向き合わされた。
「そんな、今さら……」
こぼすシャナトリアだったが、「シャナ?」とソルフィスも覗き込んでくるので逃げられない。ヴィヴィアンも同様だ。お互いに視線を合わすのが恥ずかしくて目が泳ぐ。
二人共もじもじしていたが、やがてヴィヴィアンから先に頭を下げた。
「ごめんなさい、シャナトリアさん。さっきは少し言い過ぎました。謝ります」
(少しですって?)
シャナトリアの眉根がぴくりと動いた。
「あたしもちょっと大人げないことを言ってしまったわ。ビビ、本当にごめんなさい」
(ちょっと大人げない?)
ヴィヴィアンの目尻がやや引きつった。
ぎこちない笑顔の二人はカイトにうながされて仲直りの〝固い〟握手を交わした。
((なんなのコイツ……!))
そばで見ていたカイトは彼女たちの雰囲気から何かこう、引っかかるものを感じていたが、二人の仲直りをひとまず喜んだ。
「シャナはもう一人、謝るべき人がいるよな」
ティノの言葉に背中を押されて、シャナトリアはそっとソルフィスの手を取った。
「ソル、さっきはその、少し冷たく言い過ぎたわ。ごめんなさい。あたしを許してくれる?」
ソルフィスはにっこりと微笑んでうなずき、シャナトリアを抱き寄せた。
「よっしゃ、よっしゃ。これでめでたしだな」
満足そうにうなずくティノだったが、その顔面はすぐに凍りつくことになる。
「よーし! それじゃあ、始めよっか!」
「おーっ!」
ソルフィスが高らかに宣言すると、四人は拳を突き上げた。
「は?」
ティノはあんぐりと口を開けた。
「僕、砂漠用の装備探してくるよ!」
「エッ」
「あたしお弁当作ってあげるわ! まかせて!」
「ちょ」
カイトとヴィヴィアンがさっそく準備作業に取り掛かりに飛び出していった。
「オ、オイ……。お前ら」
シャナトリアがどこからか地図を引っ張り出してきた。
「あたし達は作戦を練りましょう」
「うむっ」
「なんですと?」
テーブルの黒猫を脇にどかして地図を拡げ、ソルフィスとシャナトリアは向かい合った。
「ちょっと! なにしとんのお前ら!」
「何言ってんのよ……」
シャナトリアがうんざりしたようなため息をついて黒猫を見おろした。
「全部あんたのためじゃない!」
「…………?」
ぽかんと首をかしげるティノの頭をソルフィスがやさしく撫でた。
「だいじょうぶ! わたしが絶対にティノを守ってあげるからね。だから心配しないで」
「エェー?」
事の次第を把握できぬティノは大混乱した。パタパタと肢とシッポを振ってナニかを訴えようとするが声にならない。
あわてるティノの頭をシャナトリアが指でぴこっと小突いた。
「何やってんのよ、ほらっ。作戦立てるわよ。あんた、早く妙案を出しなさいな!」
東の砂漠で魔獣退治――急遽ぶちあげられたその計画にティノはさっそく猛反対した。
「ダメだダメだダメだーっ」
いつものように食い下がったがソルフィスの鬼気迫る勢いにずんどこ押されてしまう。
反対していたはずのシャナトリアまでどういうわけか心変わりを起こして突然ソルフィスに協力的になったことも不思議でならない。
「理由をいえ、理由を!」シャナトリアに迫ってみるが、「あたしはソルを助けたいだけよ」そう答えるだけでそっぽを向いてしまう。
ソルフィスに視線を移せば「ティノ、早く作戦! 作戦!」と煽るばかりだ。
うぬぬぬ、結局は双子か。
「どうなっても知らんからな」
ティノは嫌々ながらも協力するハメになった。心の中で悪態を吐きつつ、この件についてあきらめたティノは、気持ちを切り替えていくことにした。
これからやろうとしていることがどれほど危険なことかは承知しているつもりだ。
それなのに、怖いもの見たさ、とは少し違うかもしれないが、ティノは恐ろしいと感じつつも、心底では膨らんだ好奇心と探求心が抑えがたくなりつつあるのを感じていた。
ティノは目の前に拡げられた地図を食い入るように見つめていった。
また学院長にこっぴどく叱られそうだ。




