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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
第一幕 アゼル魔導学院
19/51

4-03

 しばしの静寂があった。

「行っちゃったね」

 沈黙を破るようにカイトがつぶやいた。

「アイシャさん、無事だといいね」

「心配ないよ。あんなんでも強いんだぜ、俺の師匠は」

 ティノは祈るような視線を窓の外に投げかける。

 一方で、ソルフィスも物思いにふけるようにぼんやりとしていた。


 別れるときのアイシャの(うれ)いを帯びた眼差し。それが(まぶた)にこびりついて、どうしようもなく気になってしまうのだ。

 ふいに学院長の話が思い出された。魔獣に襲われたエント村で犠牲になった人たちのこと。人々を守るために戦い、傷つき(たお)れた魔導士たちがいたことに思いを()せた。アイシャとて例外ではない。彼女が無事に帰ってこられるかどうかは、誰にも分からないのだ。

〝戦いは大人たちに任せておきなさい〟言われたばかりの言葉が思い返された。

 それでも、ソルフィスは胸にわだかまり続ける何かに突き動かされずにはいられなかった。


 助けたい。


 アイシャさんを助けなくちゃ――アイシャさんを助けるんだ。わたしたちの手で!

 燃える思いにソルフィスは奮い立った。

「よしっ」

 ソルフィスは膝を叩いた。

「だめだ」

 ソルフィスはころげ落ちた。

「まだ何も言ってないよ!?」

「おまえが考えていることなんてお見通しだ」

「ふぬぬ……、でもね」

「いいか、最初に言っておく。俺たちはここを動かない。言われたとおり、学院で大人しく留守番してるんだ。院長にも言われたろ。ぜんぶ大人に任せておけばいいんだ」

 即座的確にティノに心中を見抜かれたソルフィスは頬をぷっくりとふくらませた。

「ううーっ」

 ソルフィスは無念そうに歯を食いしばってソファに戻るしかない。

「ねえ、さっきから状況が把握できないんだけど」

 ここでようやく、置いてけぼりだったシャナトリアが、不満そうに唇をとんがらせてきた。

「何があったのか説明してくれない?」



 (あかね)色の空が山陰を色濃くし、その輪郭を鮮やかに染め上げていた。

 夕方には少し早いくらいだが、山を背にしているアゼル魔導学院の敷地は、次第に薄暗くなり始めている。


 ヴィヴィアンが紅茶を出してくれた。

「なるほどね」

 すっかり酔いも覚めて落ち着きを取り戻し、事の次第を知ったシャナトリアは紅茶をすすりながら目を閉じて思考の世界に入った。

 学院内はにわかに騒々しくなってきている。武官の魔導士がひっきりなしに駆け回り、広場には馬が集められ、積み上げられた荷物の整理が始まっていた。戦いの準備だ。

 様子を見にいっていたカイトが戻ってきた。外は物々しい雰囲気になっているようだ。


「これからどうするの?」

 カイトが訊ねる。

「どうするもこうするもないよ。まぁ、師匠たちを信じて待とうぜ」

 ティノがそう答えると、すかさずソルフィスが身を乗り出してきた。

「信じるよ。アイシャさんを信じる。でもね、わたしは何もしないでここで待ってるより、少しでもアイシャさんの助けになりたいんだ!」


 でた。

 でたよ。こいつの悪癖が。


 ティノはため息をついた。

「あのなぁ……」

 またソルフィスを(いまし)めんと言葉が口を突いて出そうになったがティノは思い留まった。

 ソルフィスの気持ちは痛いほど分かるし、彼女はそれを言えるほどの資格がある。なぜなら彼女は持っているからだ。アイシャの助けになれる確かな力を。俺だって、そんな力さえあれば、きっと同じことを言うだろう。

 ティノはソルフィスの真剣な眼差しが(まぶ)しくて、正直少し(ねた)ましくもあり、まともに見ていられなかった。

 皆、一様に口を閉ざしていたが、意外なところから静寂が破られた。


「行ったところで、役には立てないわ」

「む……!?」


 シャナトリアが済ました顔で紅茶を飲みながら、きっぱりとそう言った。

 ソルフィスは少なからずショックを受けたようで、驚いて妹を見つめた。

「冷静に考えてみなさいよ。たしかにソルは至近距離の格闘戦なら無敵だと思うわ。でもね、タフで巨大な敵に大群でこられたら……。それがずーっと続いたら、どうなると思う?」


 うまく立ち回ったとしても、体力・魔力共にいずれスタミナは底を尽き、蟲たちに殺到され圧殺されてしまうだろう。さらに砂漠の厳しい環境がソルフィスを追い詰める。

 シャナトリアの指摘は正しい。

 何も言い返せないソルフィスは、そのことを承知してはいたのだろう。動けるものならこんなところで釘付けになって悶々としてはいないのがソルフィスだ。

 ソルフィスはさらなる助力を求めている。

 圧倒的な火力支援を。

 そして、その期待に応えられる者が、すぐそばに居るのだ――


「だからね……」

 祈るような気持ちでソルフィスはシャナトリアに呼びかけようとしたのだが。

 機先を制するように、シャナトリアはソルフィスの唇にすっと人差し指をあてた。

「あたしを頼ろうとしてもダメよ」

「どうしてっ?」

 胸中を見抜かれたようでソルフィスは少し戸惑いと苛立ちをみせていたが、シャナトリアの冷たい表情は揺らがない。

「理由は二つ。まず、あたしの魔術は水を使う。砂漠では半分も力を引き出せないわ。これがひとつ。それから敵は砂の中に潜るんでしょう? 潜伏範囲が広すぎて敵の位置が分からない。これが二つ目の理由。力は出せないし、無駄弾は疲れるだけ。あたしは役に立てない」

 ソルフィスは(うな)るように妹を見下ろしていたが、反論できずに(うつむ)いてしまった。


 ヴィヴィアンが心配そうに二人のやりとりを見つめている。

 さらに畳み掛けるようにして、シャナトリアが決定的なことを言った。

「それに、あたしは絶対に行かない」

 ソルフィスが驚いた顔で妹を見た。

「自分の持てる能力より外の範疇にだなんて、とても行くことなんてできない。何でもかんでも安請け合いして突き進むのは、無責任で軽率というのよ。最も慎むべき愚かな行為だわ」

 その言葉を聞いて、ソルフィスはひどく悲しくなった。

 何も言い返すこともできない自分が、情けなくて悔しくて、ただただ悲しかった。


 シャナトリアの言い分は間違っていない。しかしそれでも、とソルフィスは思うのだ。

 自らの手にあまるほどの避けられぬ脅威は遠い過去にもあった。

 あの恐ろしい竜に、それでもなお立ち向かえたのは、二人で手を取り合い、互いに励まし合い、恐怖を乗り越えてきたからに他ならないからだ。だというのに――


 ソルフィスの肩がふるえ、頬を伝ってはたはたと(しずく)が落ちるのが見えたが、シャナトリアはわずかに視線を逸らしただけで、腕を組んだまま平然としていた。

 だが、それに平然としていられぬ者もいた。

「シャナトリアさん、ちょっと冷た過ぎやしませんか」

 静かな怒りを(たた)えたヴィヴィアンが、ずいっと割り込んできてシャナトリアに詰め寄った。

「ソルフィスお姉さまがアイシャさんのことを心配するの、よくわかるの。あたしだって少しでも助けられたらと思う。でも、あたしにはまだ、その力が無い」

「……なにが言いたいの?」

 シャナトリアが凍てつくような眼光でヴィヴィアンを見上げる。

 急転直下で険悪になってゆく二人の雰囲気に男衆はただオロオロするばかりだ。


「持ってるんでしょ? あなたは、力を!」

「ちょ、ちょっと、二人とも落ちついて」

 二人を止めようと割って入ったカイトの制止を振り払い、ヴィヴィアンは食って掛かるようにしてシャナトリアに(つか)みかかった。

「助けてあげなさいよッ! 持ってるんならっ! あんたの力を貸してあげなさいよ!」

「あんた、あたしの話を聞いてなかったの!?」

「お姉さまを助けてあげてよぉっ!」

「やめようよ、二人とも、ね?」

「こっちの気も知らないで勝手なことズケズケと言うんじゃないわよ!」

「よく言うわ、アンタこそ妹のクセしてお姉さまの気持ちをちっともわかってないくせに!」

「なんなのよあんたは! お姉さまお姉さまお姉さまって! ほんっっとにウザいわね!」

「ウワー、言った」

「ハン、あたしはソルフィスお姉さまの魂の妹なの! 魂でつながってるの! だからお姉さまの気持ちが痛いほどわかるの! 血だけでつながったトンチキなクソ妹とは違うのよ!」


「ふうぅぅう……。どうやらいろいろと、わからせてあげる必要があるようね!」

「おおぉおぉ、上等じゃないのぉ。来なさいよホラ! 絶っっっ対に退かないわよ!」

「だめー」

 勇敢にもカイトは二者の間に立ってとりなそうとするが――虎と虎に挟まれて、まさにそこは死地であった。軽く死を覚悟したカイトは鉄火(てっか)の心意気でもって、空気の置物と化した。

「この出しゃばりのチビ助がぁ! 引っ込んでなさいよアンタはぁっ!」

「わからず屋のケチんぼのガンコ者の酔っぱらい冷血馬鹿ぁ!」

「ギャース*&%@!?」


 ――その時だった。


『やかましいっ!!』


 魔獣の咆哮(ほうこう)の如く、小さな黒猫が轟然(ごうぜん)と怒鳴りちらした。

 瞬間、体を包むほどの衝撃が襲い、四人の体は大きくのけぞった。そこいらに積んであった本が崩れ、雑紙が吹き飛んで散乱した。


 空気が凍りつき、沈黙が支配した。

 皆、慄然(りつぜん)として動けぬまま、信じられぬものを見る目で、黒猫を凝視していた。


『少し、黙れ。ガキ共が』


 ティノの声がまるで別のものに変わっている。

 黒猫の眼光が妖しく光る黄金色に輝いていた。

 たちまちソルフィスの心の奥底に眠る記憶の断片がひとつの像を結んだ。

「ティ……ノ、キミは……」

 ソルフィスは絶句した。

 まさにその眼は――


「――――!!」

 突然、シャナトリアが黒猫に飛び掛かった。

 片手で乱暴に黒猫をつかみあげ、もう片方の腕を手刀のようにかざし、その尖端(せんたん)を黒猫の頭に差し向けた。たちまち凍てつく冷気が生まれ、その指先が白く輝きだす。

「やめて!」

 悲鳴をあげてソルフィスがシャナトリアの手刀を抱え込んだ。その手から金色の衣が飛び出し、抜き身の氷刃を包み込む。

「離して! あいつよ、あいつが出たんだわ――」

 必死の形相で叫ぶシャナトリアをソルフィスが懸命に取り押さえようとする。

 先ほどの剣幕から一転、ヴィヴィアンはショックのあまり泣き出してしまった。

 カイトは突然のあまりの事態に呆然としたまま動けなかった。

「やめてっ、ティノを殺す気!?」

 ソルフィスの悲痛な叫びがシャナトリアの凶行を辛うじて押し留めた。

 シャナトリアは体を震わせ、歯噛みしたままどうすることもできなかった。


『その様子だと、どうやら俺のことを覚えていてくれたようだ』

 黒猫がにやりと笑った。

 彼はまったく抵抗しようともせず、体をぴくりとも動かさなかった。

『久しいな、魔女の娘らよ』

 ソルフィスとシャナトリアの顔が瞬時に強張る。

 胸を鷲掴(わしづか)みにされるような低く重い声。記憶を失おうとも身体が覚えているのだ。芯から凍えるような畏怖に姉妹は(おのの)いた。


「――ドレイク」

 シャナトリアが口にしたのは、かつて二人が滅ぼした邪竜の名前。

 記憶の断片が七百年前の光景を呼び起こす。



 ――熾烈(しれつ)な闘いだった。

 強力な魔力をも自在に繰り出す強大な竜を相手に、姉妹は一体となって勇敢に戦った。

 ソルフィスは盾、シャナトリアは矛となって互いを懸命に支え合う。

 岩をも溶かす竜の火焔をソルフィスの魔法の光衣が防ぎ、鋼玉をも凌ぐ堅さを持つ竜の胸殻をシャナトリアの魔法の氷槍が貫く。

 その瞬間、勝負は決した。

 たちどころに竜の肉体は滅んだ。

 そうして、姉妹は秘術をもって竜の魂を小さな珠に封じ込めた――



 そのはずだったのだが。

 沸々(ふつふつ)と蘇る忌わしい記憶の断片がつながってゆき、ソルフィスとシャナトリアを圧倒した。

『また会えて光栄だ。ついでにこの手を放してくれると有難いんだが』

「あんた……何のつもりよ。そうやってティノの体奪っておいてどうするつもり!?」

『別に、なにも。折角こうして出てきたのだ。少し、話でもしよう』

 声の主は、軽い調子だった。

「フザけんじゃないわよ、あんた一体なにをたくらんでるの!」

 シャナトリアの震える手に力がこもる。

『お前、このままこの小僧を絞め殺す気か?』

「お願いシャナ、離してあげて」

 ソルフィスはシャナトリアに懇願した。シャナトリアの手を包む金色の光の衣から、脈動するかのような暖かさが伝わってくる。

 しぶしぶ承諾したシャナトリアは、ゆっくりと、油断なく黒猫を机の上に降ろした。


 黒猫がゆるりと振り返ると黄金色の眼を(きらめ)かせた。

『その危なっかしい(ほこ)を収めてくれないか。別にこっちは殺り合おうと思ってはおらん』

 殺気みなぎらせ、いまだ警戒感を漂わせるシャナトリアではあったが、対しての黒猫――かつて邪竜と呼ばれた存在――は、落ち着き払った様子で静かに姉妹を眺めている。

 (はた)から見れば、シャナトリアの方が鬼か悪魔のようだ。

「こいつは何も悪さできないよ」

「どうしてそんなことがわかるのよ」

『それは、もはや俺にはまったく力が無いからだ』

「な……」

 平然とそう答える黒猫にシャナトリアは絶句した。

「そんなわけないでしょう!」

『嘘ではない。正確には、この小僧……ティノという少年がまったく魔力を持ち合わせていないのだ。したがって、この俺も無力なただの小さな猫だ』



 魔力が空っきし。ということで、日頃からティノが悩んでいたことは皆もよく知っていた。 確かにティノは、魔力が人並みより極端に弱く、文字どおり空っきしなのであった。

 精神は魔力を(たた)える器だという。魂だけの存在となってしまった竜は力の根源を宿主たるティノに頼らなくてはならない。ところが肝心のティノの魔力がすっからかんなのであれば、竜も魔力を振るえない、ということだ。

 竜の魂をその一身に負うことになってしまったティノは〝魔力がゼロ〟という自身の欠点が、皮肉にも竜の暴走を抑える安全弁となってしまっていたのだ。



 ソルフィスが祈るような瞳でシャナトリアを見つめてくる。

「……わかったわ」

 シャナトリアは束ねていた指をパンと開いた。一瞬にして冷気が霧散し、消滅した。

 それを見て安堵したソルフィスもまた、ベルベットを解除して妹の体から放れた。

「驚かせてごめん。二人とも、もう大丈夫だから。さあ座って」

「うっ、うえぇぇえ。ティノが、ティノがぁ」

「ビビ、もう大丈夫。大丈夫だから。怖がらせてごめんね」

 泣きじゃくるヴィヴィアンを(なだ)めながら、ソルフィスは椅子をすすめた。後ろで固まっていたカイトもこの夢から覚めたように反応し、注意深くヴィヴィアンの隣に付き添った。


「みんな、ティノから冗談半分で聞かされてたと思うけど」

 ソルフィスが遠慮がちに、それでもしっかりとした声で切り出した。

「こいつがドレイク。その……昔、わたしとシャナが戦った竜だよ」

『こいつ呼ばわりとは無礼だな』

「オマエは敵なんだから当然だ」

『休戦中だろう。少なくとも今は』

「ふんっ」

 ソルフィスは黒猫を見ようとしない。

 いくら恐ろしい竜とはいえ外見は愛らしい仔猫の姿、ティノなのだ。それを見ると胸の奥が苦しくなってしまう。ティノと同じ姿で言葉を喋ることに許せないものがあるのだ。


 カイトとヴィヴィアンは恐怖に顔を強張らせたまま、いつもと違う黒猫を凝視していた。

 前々からティノには「竜を喰っちまった」と笑い飛ばすように話して聞かされていたが、まさかこんな二重人格のようなかたちで竜が(あらわ)れてこようとは。

 ティノの本性はどこかに引っ込んでしまったようで、今はまったく面影が感じられない。

「あの話、本当だったのか……」

「うえぇえぇ、ティノがぁ。あたし悪い冗談だと思ってたのに……」

 胸の中で泣きじゃくるヴィヴィアンをソルフィスは宥め続けていた。

 ソファにどっかと身を沈めたシャナトリアは高々と膝組み腕組み、黒猫を見下ろした。

 それこそ猫が威嚇するかのように全身に敵意をみなぎらせ、まさに一触即発な様子だ。

 妹の危険な雰囲気を見て取ったソルフィスは、この場を収められるのは自分しかいないと、そう気負ったが、この竜との接触がどこへ向かって進んで行くのか、正直まったく見当がつかなかった。


「それで、ドレイク。話をしようって、あたしたちに何の用?」

 シャナトリアが鼻息まじりに訊ねた。

『お前たちにひとつ頼みがある』

「頼み? あんたが、あたしたちに? どういうつもりよ」

「待ってシャナ、ひとまず話を聞こう……、続けて」

 シャナトリアは攻撃的な睨みを黒猫から放そうとしない。

 こいつにだけは()められてはいけない。そんな思いだろうか、火花のように神経を(とが)らせるシャナトリアを、ソルフィスはなんとか抑えにまわった。


『東の砂漠に現われたという、魔獣の群れ――これを殲滅(せんめつ)してもらいたい』

「ぬ?」

「……なんですって?」

 姉妹は驚いた。なぜ竜がそのような頼み事をするのだろうか。

 いやそれよりも、生物界の頂点に立ち、極めて高慢な性格で知られる竜が、己より下等な存在として見下している人間たちに頭を下げるという、この事態が有り得ないことだ。

 ソルフィスとシャナトリアは自然と身構えた。積年の智識を蓄えた竜はまた、老獪(ろうかい)であることも知っているからだ。自分たちを(おとしい)れるための罠かもしれない。


「何故、あんたがそんなことを頼むわけ? 関係ないでしょ、あんたと魔獣とは」

 シャナトリアの問いに竜はゆっくりと答える。

『奴らがこの俺を……、つまり、この小僧の命を狙っているからだ』

「ハァ!?」

「えぇ!?」

「どういうこと!?」

 驚きの声は三者三様であったが、ソルフィスは黙ったまま聞いていた。

『悪鬼悪霊の類が魔獣に取り憑き、狂奔(きょうほん)に駆り立てている』

 黒猫はその小さな体からはとても似つかわしくない厳かな声色で静かに話し始めた。

『元々その悪霊たちは俺が喰らった者どもだ。だが、この小僧の体を手に入れた折に、そのすべてを吐き出してしまった』

「悪霊?」

「喰らった……?」

 ヴィヴィアンとカイトはポカンとしてしまう。

『これが何を意味するかわかるかね?』

 ソルフィスは唇を引き結んだまま硬直している。かすかに震えていた。


 数百年前に自ら共々封印したはずの存在は、竜の魂だけではなかったのだ。

 かつて〝世界を喰らう者〟と呼ばれたこの竜は、幾多の国を()き、山を砕き、数多の死の嵐を巻き起こしたあげくの果てに無数の怨霊(おんりょう)を抱くに至ったのだ。

 それが、竜の復活とともに世界中に解き放たれてしまった――


『散っていった先の地で奴らが何をするか……。そうだ、奴らは拠り所を求める。居心地の良い新たな〝器〟を渇望するのだ』

「お前がティノに、そうしたようにか」

 怒りに震えながらソルフィスがそうつぶやいた。

 黒猫は涼しげな目で続ける。

『……怨恨(えんこん)に歪み狂った悪霊どもが、新しい〝器〟を得たら――次はどうすると思う?』


 報復だ。


 ここに居る全員が、黒猫の云わんとしていることを理解した。

「その悪霊のお旧友ってのが、あんたに復讐しようとつけ狙ってるってわけ?」

『そうだ』

「そんなの自業自得じゃない!」

 ヴィヴィアンが悲鳴に似た声をあげた。

 黒猫の眼光が彼女を射抜くと、ヴィヴィアンは小さく悲鳴をあげてカイトの後ろに隠れた。だが、まったく彼女のいう通りであろう。因果応報とはまさにこのこと。(ごう)の報いをどこかで受けるのは必然の(ことわり)。これは竜といえど逃れようもない。

 しかし、その禍根(かこん)の中にティノはまったく関係がない。これが神の与えた試練だというには酷過ぎる運命だ。何も罪のない彼が巻き込まれるのはあってはならない。

 この竜はティノの命を盾に取り、姉妹に己の身を護らせようという腹づもりなのだ。

 分かっていてどうしようもないもどかしさと腹立たしさに、ソルフィスとシャナトリアは険しい顔をして押し黙ったまま、黒猫から睨むような視線を外そうとしなかった。


 卑怯な……。

 憤慨(ふんがい)尽きること無いが、口にしても詮無きこと。

「ドレイク」

 シャナトリアの隣に腰をおろしたソルフィスが静かに訊ねた。

「最近になって増えてきてるという魔獣騒ぎ。あれはお前のいう悪霊が原因なの?」

『さあな。なんせ無数に殺したからな。俺に恨みを抱く奴はごまんと居るだろうて』

 ソルフィスは昨夜遭遇した魔獣の群れが頭をよぎった。あれはひょっとすると、コリンではなく、ティノを狙って現われたのではないだろうか。そんな気までしてくる。

 どれだけの悪霊が飛び散っていったのだろう。これから続々と現われるかもしれない怪異を前にして、どうやってティノを守ってゆけばよいのか。ソルフィスは不安と恐怖で胸が締め付けられる思いがした。


「もし」心の内に沸き立つ怒りを抑えつけながらソルフィスは言った。

「もしティノが傷つけられるようなことがあったら……絶対に許さないんだからね」

『小僧のことに関しては不幸なことだとしかいえんが、いずれにせよ今の俺にとってはどうしようもない事実だ。あとはお前たちに(ゆだ)ねるしかない』

 ソルフィスは自分でも気付かぬうちにシャナトリアの手を強く握りしめていた。

 ティノの事となるとつい熱くなってしまうソルフィス。彼女をいつもそばで見守ってきたシャナトリアにはその気持ちが十分に伝わっていた。おかげでシャナトリアの方が本来の冷静さを取り戻しつつあった。


 シャナトリアは話を一歩先に踏み込ませた。

「で、仮にあたし達が砂漠に行って、首尾よくその魔獣を倒したとして、そのあとはどうなるの? 悪霊はまたどこかへ逃げて行っちゃうんじゃないの? あたしたち退魔師じゃないんだから、そういう手合いの浄化とかはできないわよ」

『簡単だ。俺も一緒に連れて行け』

 これにはソルフィスが驚いて反対した。

「なんで!? ダメだよ、ティノをそんな危ないところに連れて行けないよ!」

『聞け。俺を砂漠に連れて行き、(くだん)の魔獣を倒すのだ。そうすれば悪霊どもは魔獣の体から逃げ出す。そこを俺が喰ろうてやる』

「喰らうですって? 悪霊どもを? 今のあんたにそんなことができるの?」

『できる。先に魔獣を倒してくれればの話だが』

 平然と言ってのけるドレイクから危険な匂いが漂う。ソルフィスは唇を引き結んだ。

 握りしめたソルフィスの拳にシャナトリアが自分の手を重ねる。

「それまであんたを護らなくちゃいけないわけね」

『そういうことだ』黒猫はうっすらと笑みをもらした。

『心しておけ。悪霊に()かれた魔獣はより強大なものとなる。すでに砂漠に向かったお前の仲間たちも、ただでは済まないだろう』

 最後の最後で、彼はしれっと重大なことを言ってくれた。

 ソルフィスはたまらずシャナトリアを見た。シャナトリアもまた、頬に指をあてて驚きに凍りついたような顔をしている。


『伝えるべきことはすべて伝えた……』

 黒猫は姉妹の様子を順に確かめ、やがて静かに口を開いた。

『さぁ、どうする?』


「行こう」

 真っ先にソルフィスがそれに応えた。

『お前は? シャナトリア』

 少しの沈黙があった。カイトとヴィヴィアンが固唾(かたず)をのんでこの様子を見つめた。

「……わかったわ、私も行く」

 シャナトリアもついに応じた。

『結構だ。これで話は済んだ』

 黒猫が口の両端を微かに跳ね上げ、満足げに笑ってみせたような気がした。

『また会おう』

「えっ、ちょっと! 待って……」

 驚いたシャナトリアはあわてて黒猫に手を伸ばした。



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