4-01 変事
―アゼル魔導学院 学院長執務室―
学院長執務室奥の会議テーブルに、四人の高官が着席していた。
ブラッセオ副院長の向かいには魔導師長のロッド。その隣に居るのは法務官のケプラー。リノー学院長は奥の座長席に座っていた。
「砂蟲?」
リノーが訝しげに訊ねた。
副院長のブラッセオが重々しくうなずいた。
「ダリアからの情報です。砂漠の砂蟲が大群を伴って移動しているというのです」
「地元では赤銅蟲の砂渡りとかいわれているやつですな……。だが、その数が異常なのです。報告のような大群での移動は文献にも伝承にも記録は無い。前代未聞です」
落ち着いた口調でそう付け加えるのはロッド魔導師長。
若手の魔導士たちを束ねる、武官の長だ。彼は〝師階級〟の最高位である大魔導師であり、このような有事の際に参謀の役割も兼任していた。
リノーが身を乗り出すようにして訊ねる。
「大群とはどの程度なのです? あの砂漠には隊商宿がいくつかあるわよね。被害はどれほどになりそうなの?」
「聞くところによれば地平線が覆い尽くされるほどとか……。飲まれれば隊商宿など跡形も残らんでしょうな」
そう言ってロッドは腕組みをし、椅子の背もたれに身を預けた。
砂蟲とは、砂漠に住む蟲の魔獣のことをいう。
中でも赤銅蟲は有名だ。この砂蟲は、多肢を持つ扁平型のムカデのような体形をしており、その長大な体躯は馬十頭並べてまだ余るほどの大きさだという。
体を伸張させて体内に溜め込んだ空気を噴射することで砂の上を滑るように進む。狩りのときは砂中の浅いところに隠れて潜み、突然飛び出しては地上の獲物に襲い掛かるという危険極まりない生物である。
「蟲の洪水……まさに砂漠の大海嘯というわけね。どこへ向かっているの?」
「はい、先触れの情報によりますと」
法務官のケプラーがゆっくりと話しはじめた。
「今朝、砂蟲の先頭の集団がダリアで確認されたそうです。幸いにもダリアは堅牢な巨岩の高台にあるので被害は免れました。が……、蟲どもはまっすぐ西へ向かって進んでいるようです。その先にはご存知のとおり、四つの隊商宿が点在している――」
机に広げた地図を指し示しながらケプラーは説明を続けた。
「砂蟲は人が走る程の速度で進んでいるそうです。ですので、おそらく今晩には最初の隊商宿アークに到達すると思われます。この調子でいけば残り三つの街も飲み込まれる」
「確かなの? 情報の出処は」
「私の持つルートですから、それなりの確度は保障できます」
ケプラーは岩のようにつめたい顔でそう申し述べた。
この男、アゼル魔導学院所属の文官ではあるが、生え抜きの幹部ではない。政府直属の魔導士組織〝アンセム〟から派遣されてきた法務官なのだ。
アンセムは国内のすべての魔導士組織の上位組織であり、国の機関だ。ケプラーの使う情報網はアンセム、つまり政府のものであるので、それなりに信用のおけるものといえる。
法務官は、魔導士の裁判や組織内の法的な処置を司る官職である。つまり彼は、政府から派遣されてきた法の番人というわけだ。
国内の魔導士は修練過程を経て一人前になると、どのような流派であってもアンセムに届出て免許を取得しなければならない。そうしないと正式な魔導士として認可されないのだ。
アンセムは全国の魔導士名簿を管理しており、この情報をもとに魔導士の汚職や不正を捜査し、取締る役割も担っている。魔導士が魔導士を裁くというわけだ。人並み外れた力を持つ魔導士だからこそ、安全弁の役割を果たすこのような組織構造が生まれたのだろう。
「ちょっと待って。砂蟲は最初から隊商宿を狙って移動しているっていうの?」
「でしょうな。おそらく彼らは感覚的に知っているのです。エサとなる人間の住む場所をね」
赤銅蟲は何の変哲もない砂漠の甲虫から驚異的な進化をとげた魔獣の一種といわれている。にわかには信じられないが、超常的な感覚器官を蟲たちは持っているのかもしれない。
それにしても、今だかつて観測されたこともないような大群が一体どこから、どうやって現われたのか。なぜこの時期なのだろうか。魔獣の生態はまだまだ未知の部分が多い。
だが、いちいちそれに悩んでいても仕方がない。これは現地だけの問題ではないのだ。
話題に取り上げられている砂漠地域は、アゼル地方の南東に隣接するミレー地方にある。
砂と岩の砂漠だらけの地域で、その広大な荒野の上を東方文化圏へと至る重要な交易路が横断している。
交易路には四つの隊商宿が点在し、立ち寄る隊商に旅の安全を提供しているが、突如として発生した砂蟲の大群により砂漠のオアシスは壊滅の危機に瀕していた。
隊商宿の壊滅はそのまま交易路の壊滅を意味し、もしそのようなことに陥ればアゼル地方の経済は大打撃をこうむってしまう。
「交易路の壊滅、おそらくそれだけでは済まないでしょうね」
リノーは顔の前で両手を組み、眉根にしわを寄せた。
「蟲の大群に押し出されるようにして他の魔獣たちも移動を始めるでしょう。それは予想もつかない第二、第三の余波を各地に生むはず……」
「いかにも、そうなるでしょうな」
ロッドは不動の姿勢のまま同意した。
「その影響は計り知れないわ」
室内を重苦しい空気が立ち込める。
「やはり、我々から出るしかないですかね……」
副院長のブラッセオが沈痛な面持ちで呻くように訊ねた。
「うむ」
魔導師長がそれに答える。
「ダリアに自衛団は居るが戦力としては期待できない。元々あそこは天然の要害なので、防衛にそれほど戦力を必要としなかった。気候的にも食料のゆとりもそんなにありませんから、あんまりそこに人を割けないんですな。隊商宿も同様だ。最低限の防壁と守衛でなんとかなっていた。今まではね――」
だから、アゼルからの救援が必要だと、ロッド魔導師長はそう進言した。
「よろしい、わかりました」
リノーは両手を机に置いた。
「時間がありません。情報を整理して、出来ることを検討しましょう。まず、ケプラーさん、アンセムでは今回の件、どうなっているの?」
「検討中です、とだけ申し上げておきます。申し訳ありませんが、現在、めぼしい手の者が現地付近に居ないのです。おそらく中央の方でも混乱しているでしょうが……、今は拙速が尊ばれます。ここはアゼルの魔導士のお力に頼るほかありません」
大方の予想通りな返答にリノーはうなずいた。
そこそこの規模の魔導士集団を地方へ動かすとなれば、政府にも話を通しておく必要がある。その窓口をケプラーが引き受けることになった。
「参謀殿、何かご意見は?」
ロッドが咳払いをした。
「すぐ南のグラスウェルに軍の東方司令部があるでしょう。あそこの兵力を借りれないもんですかなぁ。せっかく砂漠の手前に居るのだし」
そういってロッドはちらりとケプラーの方を見た。
「残念ながら……」ケプラーは首を横に振った。
「彼らは砂漠から東を守るべき地として考えていない。あまり期待できませんな。
魔獣を倒したところで金も名誉も得られぬ、とくれば彼らは動かない。勅命でもない限り、アンセムでも動かせないですよ」
「ハァ、なるほど、それは……」
国にとって常備軍はなるだけ温存しておきたい資産だ。魔獣の脅威とはいえ、地方の問題は地方で片付けろ。まずはそれから。というのが中央の考えそうなことではある。
「聡明な軍隊ですな」
「……相手が魔獣ですしね。まずは魔導士で、ということになるんでしょうかね」
「くだらん、実にくだらん」
「とはいえ、彼らを無視して我々だけで動くのはマズい。彼らの面子を潰すと後々なにかと面倒になります。後ろを任せるつもりで一応は出動要請を送っておいたほうが良いでしょう」
民の危急を前にして、なんとも馬鹿げた話だ。リノーはため息をついた。
「わかりました、それは私の方から軍の司令部に書状を送ります。ロッドさん、我々だけで戦力は足りるかしら?」
「学院内の魔導士だけでは心許ない。近隣からも掻き集められるだけ集めましょう。
だが、そうすると周辺の守りが手薄となってしまう。そこで傭兵を募りたいのだが……、コモナ騎士団に頼むというのは、いかがですかな」
「南方のコモナ島のですか?」
ケプラーが訊ねた。
「左様。彼らは飛竜を駆る。足が速いからすぐに駆けつけてくれる」
「しかし、コモナの竜騎兵は高価いですよ……」
学院の財務も預かるブラッセオが難色を示した。
「背に腹はかえられません。多少高くついても、安全を買うにこしたことはありません」
そのとおりだと、ロッドがうなずいた。
しばしの瞑目ののち、リノーは一同を見つめて申し渡した。
「わかりました。では、それで行きましょう。東方面の武官を召集して現地に派遣します。当院の攻勢魔導士も惜しみなく出しましょう。そして手薄になった我が方の拠点はコモナ騎士団で固める。それでよろしいですね?」
一同はうなずいた。
「ではロッドさん、作戦をお願いします」
「承知いたしました。ですが、最東端のアークサライはもはや間に合いません。ジェチサライも相当に厳しい。こればかりは諦めて頂きたい。残った二つの街を救えるかどうかになりますが……、なんせ時間がありません。実際は出たとこ勝負になりそうですな。まぁ存分に暴れてみせます。今より復興の手はずを整えておいてください」
リノーはお願いします、とだけ言った。
「ブラッセオさん、あなたはコモナ騎士団に要請を。難民が出るでしょうから、受け入れの準備をお願いします。今のうちからダリアと協議しましょう」
ブラッセオはうやうやしく頭を垂れた。
「では私は事の仔細をアンセムに伝え、できる限りの援助を迅速に回すよう要請します」
ケプラーがそうこたえた。
「よろしくお願いします」
再び報告の場を設けることを約束して、四人は解散した。




