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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
第一幕 アゼル魔導学院
15/51

3-03

 魔導学院本館の階段を昇り、赤い絨毯(じゅうたん)の敷かれた廊下を進むと、奥の区画に本館とつながるようにして大きな円形の塔がある。谷側へとせり出した見晴らしの良い塔の内部に学院長の執務室があった。

 途中ですれ違った何人かの教官や文官に挨拶しながら、ソルフィスは学院長の部屋へと向かっていた。普段このあたりに修練生が立ち入るようなことは滅多にない。典雅(てんが)一廓(いっかく)を修練生の黒マントが肩に黒猫を乗せてとことこ歩く姿はどこか浮いていた。


 学院長室の手前の秘書室でソルフィスの姿を認めると、秘書官は作業を手を止め、にこやかに立ち上がって奥へと通してくれた。

「失礼します。ご報告にまいりました」

 リノー学院長は机の書類に目を通していたが、入ってきたソルフィスをちらりと見るとにこりと微笑した。

 ソルフィスは胸に手を当ててぎこちなくお辞儀をした。目上の人物に対する、どこの魔導士でもこうする、世界共通の作法だ。

「そろそろ来る頃だろうと思ってたわ」

 持っていた書類をバインダーに閉じ、学院長はソルフィスに机の前へ来るよう促した。

 後ろで秘書官が扉を閉める音がした。それを合図に、緊張でソルフィスの胸は高鳴りはじめた。


 修練生の身分で学院長に面と向かって会うことはまずありえない。

 しかしソルフィスは、自分たちの身になにかあれば逐一報告に来るように、との命令を学院長直々より受けている。というのも、学院長リノー自らがソルフィス・シャナトリア姉妹の指導を行っているからだ。


 リノーはソルフィスの後からついて来る小さな黒猫にも視線を投げかけた。

「ティノ、こっちいらっしゃい」

 リノーは手を広げて黒猫を迎えた。少し戸惑い、躊躇していたが、ティノはリノーの胸に飛び込んだ。

「おお、よしよし」

 黒猫を胸に抱いたまま、彼女は棚の陰から家具を引っ張り出した。上着掛けかと思ったが、猫用に作られた台座らしい。

「どう? これ。先日ね、日曜大工で作ったんだけど。あなた床にいるといつも見上げてばかりだから、首が疲れるでしょう」

 リノーはティノを台座の上に放した。

「なかなかの居心地です。こんなの作るなんて器用ですね、院長」

 ティノは足元を確認するように尻尾を立てたり垂らしたりした。

「うふふ。ずっとそこに居てもいいのよ」

 リノーは満足そうにうなずくと、ソルフィスの方に向いて片目を(つむ)ってみせた。それでソルフィスの緊張が少しだけほぐれた。

「ティノ、あれから体のほうは大丈夫なの?」

「はい、とくになんともありません。……猫だけに不自由なところもありますが」

「よろしい。ならば結構だわ」

 リノーは椅子にゆったりと腰を沈め、「さて」と眼鏡を外してソルフィスに目を移した。

「魔獣が出たそうね。昨日のこと話してもらえるかしら」

 ソルフィスはうなずいて、一部始終の報告をはじめた。


 この穏やかな物腰の老女が、アゼル魔導学院長にして当地方の行政を司る最高権力者かと思うと、誰もが拍子抜けするほど意外に感じることだろう。

 ()せていて、髪の中にも白いものが多く混じっているが、澄んだ瞳の中には老練な強い意志と、卓越した知性の光が宿っている。ティノはそんなことを思いながら彼女の横顔を見ていた。


「魔獣が現れたのはエント村だったわね」

「そうです」

「廃村みたいなところでした」

 リノーはうなずき、沈痛な面持ちで事情を話し始めた。

「もう二年も前になるかしらね。魔獣の群れが突然現われてね、あの村を襲ったのよ」


 村は壊滅した。守衛として駐在していた魔導士ごとやられてしまったのだという。

 かろうじて危険から逃れたごく少数の村人以外は皆殺しにされ、何名かの行方不明者もでた。

 一度でも集落が魔獣の勢力圏に入ってしまった以上は、力ずくで奪い返すか、放棄するしかない。エント村は後者の運命になった。辺境の小さな村の防衛のために派遣できる魔導士を捻出することができないからだ。


「昔からあの近辺は古い大物の魔獣が棲んでいないとされていたから、比較的安全だと思われてきたんだけど、後の調査で、原因が分かったわ。

 どうやら、あの付近のどこかに〝境界〟が出現したものと思われるのよ」

「境界? ですか」

「ええ。突如として現われた〝境界〟から魔獣の群れが押し寄せ、ろくな防備態勢が敷けないまま、村は壊滅してしまったのよ」

「ね、ねぇ、ティノ、境界ってなぁに?」

「おぅ……、教えてもらってなかったっけ?」

 ソルフィスの問いにリノーがやさしく答えてくれた。

「〝境界〟とはね、現世(うつしよ)常世(とこよ)の境が曖昧となる一帯。時空の歪みといえばいいかしら。

 簡単にいえば、あちらの世界とこちらの世界をつなぐ通路みたいなものよ」

「アッチとコッチ?」

「そう。この世界はね、普段は目に見えない、いくつかの異なる世界の層で重なってるのよ。境界は、それらの異なる世界をつなぐ門よ」


 さらにティノが横から耳打ちする。

「昨日の帰りにチラッと話したろ。幻想界と幻魔界ってのが、他にもあるんだってよ」

「その通りね、ティノ。いわゆる、天国と地獄よ」


 ぽかんとした顔で相づちをうつソルフィスにリノーはさらに続ける。

「〝境界〟は、いつ、どこで生まれるか予測がつかないし、時が経てば消滅してしまうのよ。他の自然現象に例えるなら、地震に似ているかしらね。とにかく原因もよく分かってないの」

「それって記録に取っておけば、発生しやすい地域とか予測できるんじゃないですかね」

「良い考えだわ、ティノ。確かに統計である程度の絞り込みはできるわね。それに、この手の情報は昔から文献や口伝でも伝えられてきて、そういう場所は代々()み地として避けられてきた。境界が起こりやすい場所とそうでない場所はそうやって判断してきた。でもね、それでもまだ十分じゃない。経験則的に説明のできない事例もあるし、まだまだ謎の多い問題なのよ」

 リノーはソルフィスを見て言った。

「あなたたちが昨夜遭遇した魔獣はね、幻魔界、つまり地獄からやってきたならず者たちよ。我々は、そういうのを〝妖魔〟と呼んでいる」


 魔導士の界隈(かいわい)では、常世の世界から渡ってきた魔獣を〝妖魔〟と呼び、土着の魔獣と厳密に区別しているそうだ。一般の人々にとってはそのような区分にほとんど意味はなく、恐るべき脅威という点では変わらない存在だが。

 妖魔の行動には特徴があるようで、いつも日没後や暗闇のある場所に出現し、境界付近を徘徊して人を襲う。境界から離れ過ぎると姿を保てなくなるらしい。

 奇妙なことに妖魔は肉体を持たない。見て触れることもできる実体があるのに肉体が無いという奇妙な事実は、妖魔が常世の住人であるという根拠になっている。


「それであいつらの死体、消えて無くなってたのかな?」

「あの者たちの本当の体は、本来の居場所である〝向こう側〟に(ひも)付けられてるのよ。

 そして彼らは肉体を持たない故に、普通の武器では意味を成さない。つまり、我々魔導士の魔力による攻撃でなければ対処できない。まさに脅威なのよ」

「ふむむ、なるほど」

 ソルフィスは噛みしめるように何度もうなずいていた。

 この世界で起きているまだまだ知らない事象について、そして自分が失ってしまった記憶を少しでも取り戻して、その断片を繋ごうと必死で吸収しようとしていた。


「はぁ。何はともあれ、あなた達が無事で良かったわ。妖魔にせよ魔獣にせよ、彼らはとても凶暴で危険な存在なの。もう絶対に手を出したり近寄ったりしては駄目よ」

「あれくらい大丈夫ですよぉ。結構たくさん居たけどボコボコにしちゃいましたし」

「ほんと、昨日はソル大暴れしてたよな」


「調子にのるんじゃありません!」

 ピシリとした学院長の一喝に二人とも首を引っ込めた。

「あの近くには村を壊滅させるほどの勢力が潜んでるのよ。下手すれば殺されてしまってもおかしくない状況だった。魔獣はそんなに生易しいものじゃない。もっと真剣に考えなさい」


「ごめんなさい……」 

 ソルフィスはしゅんとなって頭を垂れた。

 とはいうものの、ソルフィスとティノが申告していることが確かであれば、昨夜の魔獣勢力を食い止めるのに並みの魔導士なら10人は必要になるだろう。それをソルフィスはたった一人で撃退してしまったというのだ。

 さすがは、伝説の魔導士といったところかしらね――リノーは二人に気取られぬよう、心の中でくすくすと忍び笑った。


「あの……院長さま」

「なにかしら、ティノ?」

「あの村はずっとあのままなんでしょうか? 復興とか、しないんですか?」

 ティノが気になることを訊ねたが、リノーは首を横に振るだけだった。

「難しい問題ね」


 一度失ってしまった土地の回復は難しい。理由の多くは人手不足だ。

 アゼル魔導学院は地域の安全維持のため、拠点防衛や危険地域の監視のために、武官の魔導士を各地に派遣しているが、魔導士の不足が慢性的な問題となっている。

 兵士を派遣して集落を護るのは一般的だが、魔獣に対してはあまり有効ではない。昨夜の妖魔のように、しばしば通常の武器では歯がたたない者が居るからだ。


 従って対魔獣の攻勢魔術を修めた専門の魔導士が求められてくるのだが、この数が少ない。

 そのような状況の中で、ここ数ヶ月の間に昨夜のような妖魔や魔獣出没の報告が各地で急増しているらしい。辺境の小さな村の復興にあてがう余裕などないのだ。

 人材の不足はリノー学院長の代になってますます頭の痛い問題になってきていた。そんな悩ましい内幕をだまって聞きながら、ソルフィスは言おうか言うまいか、もじもじと躊躇っていたが、やがて勇気を振り絞って声に出した。


「あ、あの。学院長、お願いがあります」

 ティノが目を()いた。その瞳が余計なこと言うんじゃねぇぞ、と語っている。

「なにかしら、ソルフィス?」

「わたしを、そういったところの監視に……魔獣の討伐隊に加えてください!」


 そらきたっ。

 昨夜の件で、コリンや村人に対する同情の念に火がついたんだろう。


「おい、ソル。それは……」

「ティノはだまってて」

 リノーは布で眼鏡を拭きながら考えていた。この幼い天才魔導士になんと答えるべきか、じっくりと思慮している様子だ。やがてリノーは口を開いた。

「それはダメね。志はありがたいけど、聞き入れられないわ」

「どうして? わたしなら空も飛べるし、ティノの力で魔獣も探れます。わたしの手に負えない相手だったら、妹の力を借りれば……」

 ソルフィスは熱くなって反論した。

「いけません。あなたもティノも修練生。まだまだ子供よ。あなた達の仕事は学ぶこと。今は学問と修練を積んで、あなたが将来本当に何をすべきなのかをじっくり考えなさい。そのために、今という大切な時間があるのよ。戦いは大人たちに任せておきなさい」

「でもっ……」

「気持ちはわかります。でも今のあなたには、もっと大切なことが、本当に成すべき目的があるはず。あなたやシャナトリア、そしてティノの未来も掛かっているんですから」

「ティノの――」

 ソルフィスははっとしてティノを見た。黒猫が大きな瞳で見つめ返してくる。

 ――ティノの未来――



「あなたは復活してまだ間もない。過ぎ去った刻はあまりにも長く、多くの記憶も失ってしまった。右も左もわからず困惑することしきり、行く先々にも不安がついてまわるでしょう。

 それでもあなたは、シャナトリアと一緒に、仲間とともに手を取り合って、新しい世界を生きていかなければならない。わかるわね? 今はそのための大切な準備期間なのよ」

 過去の記憶をなくしたソルフィスは自分が何者であるのか意識できず、何をすべきなのか、どう生きるべきなのか漠然とした問題の思案もできず、自信が持てずに思い悩んでいるのだろう。リノーはソルフィスの不安を、そのように肌で感じ取っていた。

 この姉妹をダメにしてはいけない。今は心身の成長にも時間が必要なときだ。枝葉の問題に気をとられて大道を逸れるなど、もってのほかだ。

 今だからこそ、この子たちを大切に育てねばならないのだ。

 初代魔導学院長アゼルの(のこ)した、秘蔵っ子なのだから。



 ――大切なこと。

 小さな仔猫の姿を凝視したまま、ソルフィスは数ヶ月前のことを思い起こしていた。

 なにも解からぬまま、この世界に投げ出されたわたし達を、彼は命懸けで救ってくれた。

 無力だったわたし達を、彼はあの竜の逆襲から身を挺して護ってくれたのだ。

 そしてそれが、彼の人間だったときの最後の姿となった。その勇姿は今でも目に焼きついている。

 ティノはわたし達の命の恩人なのだ。そして再びこの世界で生きるための道を、光と共に導いてくれた人。掛け替えのない、ともだち。だから――

 ――ティノの体を元に戻す。それが自分の成すべき、唯一の使命。

 数百年の刻を経て目覚めたソルフィスが、この世界で最初に誓ったそのことを、彼女は再び思い出した。



「焦らなくていいの。あなたは空を飛べるんだから。それと同じように、あなたの失ってしまった世界をあなたの高い視点で、もう一度ゆっくりと見据えて取り戻していけばいいのよ。そうすればいずれは――」

 リノーはいつもの柔和な表情に戻っていた。

「いずれは、ティノを元の姿に戻す方法も、きっと分かるでしょうから」

 ソルフィスはリノーを目を見た。やがてソルフィスはだまってうなずいた。

 リノーの(さと)しはソルフィスの心に届いただろうか。



「よろしい。今後は二人とも絶対に危険なマネはしないこと。さっきも言ったように、魔獣に遭ったらまずは逃げること。これが第一。絶対に戦おうとはしないように」

「はい、院長。努力します」

「まぁ、こいつ次第なんですけどね」

 ぬけぬけとそう言う二人にリノーは苦笑するしかなかった。

 今一度、確かめるように二人の目を交互に確認すると、リノーはうなずいた。

「あなた達を信じましょう」



 扉をノックする音がした。

 院長が扉のほうに問いかけると、切羽詰ったような声が返ってきた。

「ブラッセオです。急を要する件がありまして」

 また問題か、とため息をついて院長は入室を許可した。

「お入りになって」

 リノーはソルフィス達に目を戻した。

「ソルフィス、ティノ。あなた達はもういいわ。ご苦労でした。ゆっくり休んでね」

「はい、失礼します」

 ソルフィスは来た時と同じように礼をして、ティノに腕を差し出した。ティノは器用にそれに跳び乗った。部屋を出てゆく二人の背中にリノーが声を掛けた。

「ティノ。ソルフィスとシャナトリアを支えてあげてね」

 黒猫は驚いて学院長を見た。

 ソルフィスも少しだけ反応したが、そのまま黙って部屋を出て行った。


 部屋の出口のところに書類を胸に携えて緊張した面持ちのブラッセオ副院長を先頭に、数名の高官が立っている。ソルフィスは軽く頭を下げて彼らと入れ違いに部屋の外に出た。

 扉を閉めると待ちかねたようにティノが口を開いた。

「すっげぇ、学院のお偉方ばかりだぜ」

 ソルフィスはあたりを注意深く見回して、自分の居る場所が秘書官の席から見えないことを確認した。唇に人差し指をあててティノに合図すると、その場に屈みこみ、そうっと扉に耳を寄せる。

「オイっ、なにしてんだよ」

「しーっ。決まってんじゃん、盗み聞きするんだよ。きっとなにか事件が起きたんだ」

 ソルフィスは嬉々として興奮を抑えきれない様子だ。

「やめろばかこんなところで」

 黒猫はおろおろしながら周囲の様子を探り、ソルフィスの膝元に戻ってきた。


「オマエな、つい今しがた叱られたばっかじゃん。なんでもかんでも首突っ込むのはやめれ」

「だって気になるんだもん」

 必死のささやき声でティノは(とが)めるが、実は彼も内心では興味津々なことを隠しきれずにいる。

 ソルフィスはしばらく聞き耳を立てていたが、

「ダメだ。全っ然、聞こえない」と頬をふくらませた。

「俺は聞こえるぞ」

「なにそれ、ズルイ!」

「ふふん、猫の耳をナメるなよ」

 少女と黒猫は、示し合わせたかのように目を見合わせて、ぴたりと扉に寄り添った。


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