3-01 アゼル魔導学院
――アゼルの魔導氏族の歴史は古王朝時代の崩壊を端に発しているが、その源流は極めて古く、現代魔術がまだ正式な学問として確立される以前の太古の魔術文明まで遡ることができる。
深い森に囲まれた静かな環境で研ぎ澄まされる彼らの魔術は、生来の才能と霊感、あるいは自然がもたらす偶然の手助けによって創り出されたものだ。その力は極めて直感的で想像力に溢れている。
今でこそ理論に基づいた普遍的な魔導学の研究と教育の普及にも熱心だが、彼らはあまり理屈や学説を重視しない。一人ひとりが実践で得た経験と力がすべてだからだ――
―アゼル地方 魔導学院の城砦―
アゼル魔導学院門下の修練生 シャナトリアは怒りに満ちていた。
ここは同学院敷地内にある修練生宿泊棟。修練生たちが普段の生活の場にしている、いわゆる寮だ。そこの管理人室に併設されている応接間に、彼らは居た。
暖炉の火が赤々と燃える部屋に、外の薄明かりが差し込みはじめた。
ソファでうなだれるソルフィスとティノ。その面前、机を挟んでの対面に、腕組みをして脚を高く組みあげ、全身から沸き立つ怒りをかろうじて押し留めているかのような佇まいの少女が座っていた。
ソルフィスの双子の妹――シャナトリア。
彼女はフリルのついた白いワンピースの寝巻き姿だった。帰りの遅い姉ソルフィスと黒猫ティノを心配しながら、明け方の今までずっと寝ずに待っていたのだ。
だが、その可愛らしい姿からは想像もできないような怒りのマグマが、シャナトリアの中で溶鉱炉のようにたぎっているのだ。彼女は完全にお冠であった。
「それで?」今にも口の中から蒼い焔がチロチロと見えるかのような気魄でシャナトリアが静かに口火を切った。
「こんな時間まで何してたっていうの?」
気まずさと恥ずかしさが入り混じったような上目づかいでソルフィスが口を開いた。
「ちょっと人助けを……」
「人助けですって? こんな時間まで? ソル、あたしがどれだけ、ど・れ・だ・け、心配したか、わかってるの?」
「ごめんなさい……」
ソルフィスはしゅんとなって俯いた。その姿勢のまま、頭がこっくりこっくりと揺れ始めたので、シャナトリアは憮然とした面持ちでソルフィスのおでこを強烈に指弾きした。
「あうぅ」
おでこをおさえて呻くソルフィス。
「これこれ、ひどいことしなさんな」
横の椅子に座る寮母のニセルがシャナトリアを嗜めた。
これぐらいのこと当然です、とでも言うかのようにシャナトリアは鼻からふんっと息をついた。
傍で黒猫ティノもシャナトリアの剣幕にぷるぷる震えながら様子を見守っている。
ふわふわとしている姉のソルフィスと比べて、妹のシャナトリアは厳格だった。普段は物静かなのだが、怒るとそれはもう震え上がるほど怖い。この姉妹は双子だというのに、性格はびっくりするほど正反対なのだ。
しかも、二人とも見た目が違う。
顔立ちや体形は双子の姉妹らしくそっくりなのだが、紅い瞳と紅い髪の姉・ソルフィスと比べて、妹・シャナトリアの瞳は碧く、髪も空のように碧い銀髪をしていた。
さらに、さっぱりと短く切られたソルフィスの髪とは対照的に、シャナトリアは腰まで届く豊かな髪をしていた。
束の間訪れた重い沈黙に耐え切れなくなったティノが、寮母のニセルに向かってぽそぽそとしゃべりはじめた。
「その……道に迷った子供を助けてたんだ。いつものこいつのお節介だよ。それで、帰るのが遅くなったんだ」
「ずいぶんと時間掛かったのね。道案内に」
シャナトリアがものすごい貌で睨んでくる。目を合わすと石になってしまうアレだ。
「にゃ……まぁ、そのぅ……いろいろあってね……その場の勢いで」
ティノはシャナトリアの突き刺すような視線をかわすので必死だ。
「どうせ、いろんなところ行ったり来たりして、道草でも食ってたんでしょ!」
さすが妹さんです。姉さんの性質をよく把握してらっしゃいます。
さくっと事実を見抜いたシャナトリアを褒めてやりたくなるが、このままでは攻撃の矛先がソルフィスから自分に向けられてしまう。ティノは話の舵取りに考えを巡らせたいところだが、シャナトリアが怖くて頭がすぐに真っ白だ。
「ティノ。あなた、ソルのお目付け役でしょう? ふらふらと変なトコに首突っ込まないように、ちゃんと注意して引っ張って帰らないとダメじゃないの!」
「アイ、すいません」
黒猫はぴょんと飛び上がって姿勢を正した。
とは言うものの、シャナトリア嬢はご自分のやや理不尽な発言に気付いてらっしゃらない。
そもそもソルフィスのお目付け役なんて正式に引き受けた覚えはないし、むしろ逆で、見張られる側は(建て前的には)ティノの方なのだ。
それに、ソルフィスの好奇心旺盛でお節介焼きな少々困った性分について、その躾をほぼ全面的にこちらに丸投げするとも聞き取れるシャナトリアの言い草にティノはげんなりした。
さらにいえば、まるで徘徊癖寸前のようなひどい言われように姉の威厳もクソもなく……、ソルフィスの奴もあれでなかなか苦労してんだなぁ、と心中おもんばかるのであった。
そんな彼の同情をよそに、健気にもソルフィスは必死でティノをかばった。
「ティノを責めないでぇ。わたしのせいでこんな遅くなっちゃったんだから」
がばっと黒猫をかばうように抱き寄せて瞳を潤ませるソルフィスだが、押し寄せる睡魔に今にもあくびが出そうで、腑抜けた顔がいまいち説得力に欠けていた。
それを見てシャナトリアはぴくりと眉根を寄せたが、続けて何か言おうとする前に、やさしい寮母が横から助け舟を出してくれた。
「まぁまぁ、シャナトリア。そんなに怒らないで。ソルフィス、人助けってどんなことしたの? それ詳しく話してくれる?」
「んむぅ……」
どうにも正体がおぼつかない様子のソルフィスにシャナトリアはため息をついた。
「……こりゃダメだわ。じゃあ、ティノ。あなた話してくれる?」
「うへぃ」
黒猫はぴょんと跳ねてテーブルに降り立った。
睡魔と空腹でさっきから頭をぐるんぐるんさせている相棒に代わって、黒猫は昨日から起こったことを話し始めた。
相変わらずシャナトリアが厳しい眼つきで見下ろしてくる。
普段のシャナトリアは誰にも素っ気無い態度で冷たい印象を与えるが、根はとても優しい女の子なのである。ところが、厳格な性分でもあり、特に身内に対しては厳しく、ひとたび怒れば雷鳴のようだった。
シャナトリアが怒って「雷落とすわよ」と凄んできたら、比喩でも冗談でもなく本当にそれを覚悟しなければならないのだ。
そんな彼女は双子の姉であり唯一の肉親であるソルフィスを過保護といえるほどに大切にしている。厳しい言葉の裏には、姉に対する深い愛情が込められているのだ……。
と、そう思いたいティノだった。
昨日の顛末について話しながら、ティノは明け方のことを思い起こしていた。
ソルフィスがふらふらしながら寮棟玄関口に到着すると、寝間着姿のシャナトリアがすぐに駆け付けてきて、ほっとした表情を覗かせた。寝ずに姉の帰りを待っていたのだ。
そんな彼女に向かって開口一番、ソルフィスは無神経にもこう放言した。
「ねむい」「おなかへった」「おふろはいりたい」
さーっと、安堵から憤怒に変じていったシャナトリアのあの顔が忘れられない。
ティノは説明を続ける。
魔獣に殺され、霊体となって彷徨っていた子供に出会ったこと。
廃村で魔獣と交戦したこと。
子供の魂を救うために奔走していたら、夜が明けてしまったこと。
ニセルとシャナトリアはだまってそれを聞いていた。
「そう、あんたたち、とても良いことをしたわね」
ニセルが温かい言葉で二人の労苦をねぎらった。
えっへへ、とソルフィスが照れ臭そうに頭を掻いた。
それを見て妹がギロッと睨むので、姉はビシッと姿勢を正した。
「魔獣の出現があったとなると、今日にでも学院長に報告したほうがいいですね」
神妙な顔つきになって言うシャナトリアにニセルも同意した。
「さぁ、三人共もういいから。シャナトリアは部屋に帰ってお休み。ソルフィスとティノは寝る前にお風呂入んなさい。その間に軽いお夜食作っといてあげるから。太らない程度にね」
「わぁい、ありがとう。ニセルさん」
「ふふふ、今日も休日でよかったね。そうじゃなかったら徹夜で授業だよ。起きたら昼間のうちに学院長に報告に行っといで」
「はいっ、わかりました」
「ニセルさん、あたしはソルに付き添ってから休みます。遅くまですみませんでした」
「いいよ、シャナトリア。あんたも、あんまり無理しなさんなよ」
「はい、ありがとうございました」
「うん、三人ともご苦労さん」
姉に対して厳しくも献身的なしっかり者の妹に、ニセルは感心していた。
シャナトリアは先ほどとうって変わって穏やかな顔になって礼を述べ、部屋を辞した。
部屋を出るとソルフィスは大きなあくびをし、少し目が覚めたかのように背筋をのばした。
「よーしっ、お風呂とごはんが待っているぅ!」
「ソル、お風呂一緒に入りましょ。怪我してないか見てあげる」
「うんっ」
さっぱりと怒気が消えてしまったシャナトリアは急に優しくなった。
まったく、お天気のような性格だな……。ティノはそう思った。
「俺の分の湯も用意してくれよ」
ティノがシャナトリアの肩にぴょんと飛び乗った。
「そんなお湯だけなんて言わずにさぁ、一緒に入ろうねっ、ティノ?」
「にゃにゃっ」
ソルフィスの無垢な言葉にティノはかーっとなって、肩から落っこちそうになった。
「だ、ダメよ! ティノは男の子でしょ!」
「え~っ、べつにいいじゃん」
「ダメったらダメ!」
あくまで強固に反対するシャナトリアに、ソルフィスはつまらなさそうに唇をとがらせた。
姉妹と黒猫の姿は学院地下の大浴場へと消えていった。




