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MAGIN ―アゼルの魔導士達―  作者: カシミア
序幕 魔導士志願
10/51

2-02

 人々にとって魔獣ほど身近で危険な存在は居ない。ひとたび街を離れれば、そこかしこに魔獣の脅威(きょうい)は息づいている。

 魔獣は大きく二つにに分けることができる。


 一つは永く生きた獣が智恵と魔力を宿し、神秘的な力を持つに(いた)ったもの。

 彼らは一族で群れを成し、森や山の奥深くに棲む。縄張り意識が非常に強く攻撃的だが、彼らの領域に踏み入らない限りは人を襲うことは滅多にない。


 もう一つは、常世を越えてやってきた異形(いぎょう)のもの。

 彼らは獣に似た姿であったり、不定形の異形の姿を成す怪物である。未知の部分も多いが、共通する特徴として人の魂を喰らうといわれている。特に苦痛や怨恨(えんこん)(ゆが)む魂は彼らの好物であり、獲物を喰らう前に(もてあそ)んで(たの)しむとされる。人を見れば襲いかかる危険な存在である。


 これら人外の、人に害なす恐るべき脅威を、人々は総じて〝魔獣〟と呼んだ。

 今、ティノが背中にひりひりと感じている殺気は、後者のもの――魂喰らいの怪物だ。



 虫の声がぴたりと止み、静寂が辺りを包んだ。

 やがて、ずるりずるりと何か重たいものを引き()るような音が、闇の(とばり)の向こうから近づいてきた。


 狒々(ひひ)の顔をしていた。


 ずんぐりとした体を屈めて二本の脚で歩き、身の丈が大人の二倍はあった。頭部から肩にかけて山のような輪郭の両端に、丸太のように太い毛むくじゃらの腕が生えていた。

 垂れ下がった腕は、前に進むたびに気味の悪い音をたてて地面を引き摺った。(にご)った黄色の眼だけが薄暗い闇の中で光っている。


「ティノ、コリンのそばに。絶対に離れないで」

「お、おう」

 ソルフィスの声にティノはすぐに従った。

「やっぱ……、やるンか?」

 ソルフィスはうなずく。

 手近に見えるだけで魔獣は三体。さらに背後の闇からも気配が近づいてくる。


 ティノは慄然(りつぜん)とした。

 辺境の町や村には魔獣の脅威から人里を守るため、必ず数名の魔導士が常駐しているものだ。エント村が滅ぼされたということは、つまりこの村を守っていた魔導士たちは魔獣に殺されてしまったということではないか。

 次々と湧いてくる魔獣の気配にティノは怖くなって叫んだ。

「あわわわ、ソルっ、こいつらヤベェぞ。どんどん気配が増えて……ざっと十匹はいる! やっぱ逃げようぜ!」

「ダメ。逃げない」

 ソルフィスは冷厳(れいげん)とした顔で闇を見据えたままだ。


 コリンを連れて空へと逃げる手もあっただろう。しかしソルフィスはそれを選ばなかった。彼女はここですべての魔獣を撃滅(げきめつ)する気なのだ。たった一人で。


「この村を浄化する」

 ソルフィスは飛翔彗を背中に仕舞(しま)い込むように放り投げた。

 (ほうき)は宙で一回転し、まるで彼女の背中に吸い付くように、ふわりとその身を寄せた。


 肩幅に脚を開いて立ち、両腕を地面に向けて突き出した。ソルフィスの(ひじ)から指先にかけて、無数の小さな光の粒子が現われ始めたかと思うと、それは波打つように漂い始め、収束してゆき、やがて(きぬ)のようにきめ細かい光のヴェールとなって揺らめいた。

 それは光の衣だった。ソルフィスの両腕から光の衣が現われたのだ。


 優雅にたゆたう金色の光の波が、ティノの過去の記憶を呼び覚ます。



 初めてティノがそれを見たとき、彼は光の衣に包まれていた。

 それがソルフィスの腕の中に抱かれているのだと気付くと、彼女の慈愛にも似た温かさとやさしい感触がティノを(たま)らなく安らいだ気持ちにさせてくれた。

「この魔法の(ころも)、名前あるの?」

 そう訊いてみたが、ソルフィスは少し困ったような笑顔で首を傾げるだけだった。

「じゃあ、俺が名前をつけてやるよ――」



 ――出た。ベルベット。

 そう(うめ)いてティノは息を()んだ。

 ソルフィスの両腕から黄金に輝く光の衣、光帯魔術ベルベットが現出した。

 ティノはこの技の本質をよく知っている。それを思い出してガクガクと身震いした。


 あの時は見た目どおりの触り心地と温かさに――まんまと騙されたんだ俺は!

 あの光の布はそんなぬるい(いや)しの道具じゃあなかった。あれは、あの衣は、とんでもねえ凶悪(きょうあく)な武器なんだ。



 ソルフィスは半身になって構えた。

 右腕を引き、(こぶし)を包むようにベルベットを巻き付ける。左腕のベルベットは前面に掲げ、全身を覆う盾のように体の前にさらす。

 様子を見つめていた魔獣は、突然その場で小さく小刻みに巨体を揺らし始めた。他の魔獣もそれに続いた。そして大きな牙を()き出しにして(もだ)えるように()えた。そこかしこで上がる汚い響きが海嘯(かいしょう)のようになって打ち寄せる。重い空気の振動が腹に(こた)える。


 ゆらりと持ち上げられた魔獣の巨大な拳がうなりをあげ、斜め上からソルフィスに殴りかかった。岩のような拳が地盤の土塊を(えぐ)りとばす!


 しかし、そこにソルフィスの姿は無かった。

 少女の体は宙にあった。魔獣の体躯(たいく)を軽々と超えるその跳躍(ちょうやく)は、攻撃を避けるために跳んだのではない。流れるような動作はそのまま攻撃へとつながっている。

 ソルフィスの全神経が戦闘開始の狼煙(のろし)をあげた。


 金色の閃光(せんこう)が空を切り裂き、感情の読み取れない魔獣の真っ黒な両眼の間に叩き込まれた。

 バンッ! という衝撃音とともに、黄金の右拳が狒々(ひひ)の顔を一撃で粉砕した。

 頭部を失ってよろめく魔獣の体を踏み台にし、ソルフィスはさらに跳躍する。


 続けて繰り出した攻撃が二体目の魔獣の肩を吹き飛ばした。大木のような腕が千切れ飛んで闇に消えた。

 ソルフィスが魔獣の背面に着地すると、大地が陥没し亀裂が走った。急激にソルフィスの体重が増加しているのだ。荒縄が(きし)むような音を響かせて全身を(ひね)り、ソルフィスは蹴りの体勢に入った。


「はぁッ!」

 瞬間、ズドン! という重い衝撃。

 渾身(こんしん)の蹴りが魔獣の体を路傍(ろぼう)の小石のごとく吹き飛ばした。

 地面に当たって()ね飛び、石壁に叩きつけられた魔獣の体は内側から醜く張り裂けた。


「――一撃必殺か……」


 あまりに一瞬の出来事にティノはしばらく唖然(あぜん)としていたが、あわててすぐに我に返った。ボサッとしている場合ではない。自分の役割に集中しなければならない。

 ティノは背後の気配を察知した。新たな魔獣がコリンめがけて襲い掛かろうとしているのだ。

「ソル、反対側からも来る! こっちだ!」

 ティノの声にソルフィスは(はじ)けるように振り返った。

 新たな魔獣の姿を捉えたソルフィスの眼が、狩りをする(たか)のように鋭く光っていた。


 ソルフィスが左腕を引いてぱっとしゃくりあげると、人ひとりを包むくらいの大きさだった光の衣が、一瞬で長尺の(ひも)のような形状に変化した。

 体を捻り、投網(とあみ)のような流れる動作で紐状のベルベットを身近の魔獣に投げつける。

 光の紐が巻き付いて魔獣の体を見事に(から)め取ると、ソルフィスは脚を踏み出し、気合いとともに強く引いた。


「あぁッ!」

 ソルフィスの新雪のような柔肌がたちまち鋼鉄のように硬く引き締まり、彼女の踏みしめる大地がさらに(えぐ)れる。全身の筋肉と骨格が音を立てて(きし)んでいた。

 ベルベットに絡め取られた魔獣は身動きができないまま、信じられないような怪力に引っ張られて一回転し、宙に投げ出された。ソルフィスは捕えた魔獣を、コリンに襲い掛かろうとしている魔獣に投げつけ、豪快にぶち当てた。

 激突した二つの肉塊がどこかにブッ飛ぶのを見届けると、ソルフィスは溜め込んでいた息を一気に吐き出した。そして再び静かに腰を落とし、最初の姿勢に戻るのだった。



「クッソ……」

 ティノは固唾(かたず)を呑んで戦いを見守った。

 口惜(くや)しいことだが、戦闘状態になってしまえば全面的にソルフィスに頼らざるを得ない。

 魔導士の戦闘能力に男も女も関係ない。信頼できるのは戦いの武器となる魔術と、それを支える魔力だけだ。そんなことは百も承知だが、女のソルフィスに任せきりで、男の自分がそばで見ているだけなのは不甲斐なくてしょうがない。


 でも、一方でティノはソルフィスの力に絶大な信頼を置いている。

 飛翔術もそうだが、彼女のとりわけ戦闘に関する抜群のセンスは他の修練生の比ではない。

 図抜けているというか、大人の魔導士すら軽く凌ぐほどの能力を彼女は持っているのだ。それもそのはずである。


 伝説の魔導士――コリンに語ったお伽噺(とぎばなし)が脳裏をかすめた――そう、彼女こそが伝説の魔導士。

 今を去ること七百年もの昔、世界を混沌と恐怖に陥れた古き邪竜アルドレイクを討ち倒せし魔導士の一人。森の魔女アゼルの一番弟子にして、双子の姉妹であるシャナトリアの姉、ソルフィスその人なのだ。

 ティノが彼女にしてやれることといえば、戦局を広く見守り続け、危険な存在をいち早く伝え、臨機応変な行動を促すこと。それだけだ。



 どこからともなく続々と湧いてくる魔獣の気配。

 既に仲間を数体(ほふ)られているというのに、魔獣の様子はひどく無関心で、無反応な、感情というものがどうにも読み取れない凍りついたような(かお)をしている。ただ、その黄色く濁った眼光は標的をソルフィスへと切り替えたようだ。

「ソル、後ろッ!」

 ティノが言うより早くソルフィスの体は反応していた。


 ソルフィスが背後を振り向いたとき、丸太のように太い二本の腕が、どこから持ってきたのか、大きな岩を高々と掲げているのが視界に(とら)えられた。まさにそれがソルフィスに向けて投げつけられる。彼女はとっさに左腕のベルベットを前面に晒して防御の姿勢をとった。

 飛来する岩がその滑らかな光の衣に触れた瞬間、ベルベットは鋭い音を響かせて岩をはじき返した。反動でソルフィスの体が後ずさる。

 大木をも薙ぎ倒しそうな岩の投石を事もなげに防いでしまったベルベット。そしてソルフィスの小さな体のどこにそんな力があるのだろうか。


 思いもよらぬことに驚き、口惜しいのか魔獣は喚きまくった。

 ソルフィスが右手を(ひね)るように(すく)い上げると、光の衣はたちまち糸のように細い紐状に変化した。それを(むち)のようにしならせ、大きく振りかぶって真横からはたくように振った。


 ヒュン! と空気を切り裂く音が響く。

 その距離10ヤードはあろうかという空間に光の弧を描かれると、そこにあった魔獣の首がずるりと落ちた。

「ヒー」

 ティノはゾッとした。もちろん、ソルフィスの光帯魔術(ベルベット)の恐ろしさに対してだ。


 魔術の要となる力は原動力である魔力だが、技の根幹となるものは想像力だとされている。

 魔術の在り様を形作るのは想像力の成せる(わざ)だと、老師識者の間でそう唱えられている。

 ソルフィスの光帯魔術は、一見すれば薄っぺらいただの布きれに見えるが、その繊維(せんい)は金剛石のように硬く堅牢になる。そうでありながら姿かたちを自由に変形させ、様々な凶器へと変貌させるこの柔軟性は、すべて想像力の賜物(たまもの)だ。単純な形態に見えて、その応用力と可能性は底が見えない、変幻自在の殺戮兵器・ベルベット。ソルフィスだけの極めて個性的で、女性らしい美しさを(あわ)せ持つ、華麗な魔術だった。



 今だ魔獣の気配やまぬ廃村の広場を、ソルフィスは縦横無尽に暴れまわった。

 格闘の中に飛翔術を組み込むことなどお手の物だ。飛翔彗を素早く脇に挟みこみ、ソルフィスは数軒ほどの距離を大砲のように滑っ飛んだ。そのままの勢いに乗せた跳び蹴りが魔獣の(のど)もとに突き刺さり、集団を巻き込んで()ぎ倒した。

 彼女の戦いぶりはまるで(まい)を舞うが(ごと)くで、躍動(やくどう)する身体は(そら)と大地を自在に駆け、その鮮やかな仕事ぶりは華麗の一言に尽きた。


 最後までソルフィスは圧倒的だった。

 十数体目の魔獣を倒したあたりから魔獣の気配は減り始め、三十体目を倒した頃になると新たな魔獣の気配は完全に消えた。

 気がつけば魔獣の姿は霧のように消えていた。どういうわけか、彼らの死体もいつの間にか忽然(こつぜん)と消えてしまっていた。

 息荒げるソルフィスは夜空を振り(あお)いだ。

 満月が昇っていた。



「コリンが、もう動かない」


 ティノが静かに言った。

〝死んだ〟とは言わなかった。それを認めたくなかったのかもしれない。

 ソルフィスはコリンの元に駆け寄り、(ひざ)をついた。

 月の光が少年の顔を照らしていた。すやすやと眠っているかのような穏やかな顔だ。

 彗に乗せたときは少し怯えた顔をしていた。初めて海を見たときの笑顔は輝くようだった。

 二人は黙ったまま少年を見つめていた。


「まだ間に合う。急ごう、コリンが消えてしまう前に」

 ソルフィスはを少年を抱きかかえ、立ち上がった。

 永遠に続く悪夢の中で、コリンは家路を急いでいる。決して辿(たど)り着けない家路を。

 彼は果たせなかった生前の続きを追い続け、何度も何度も〝死〟を繰り返すのだろう。

 それがどれほどの耐え難い苦痛か、想像も及ばない。おそらく本人も自覚していまい。

 ソルフィスはいつの間にか頬を(こぼ)れ落ちる涙を振り払い、己を奮い起こした。

 まだ終わってはいない。私が送り届けてあげなければならない。


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