微動だにしない魔女
「葵、大丈夫か?」
おにいちゃんはあたしを起き上がらせると背後に庇った。
「貴裕! 連絡が取れないからあなたの婚約式は仕方なく延期してしまったのよ。美佳子さんに恥をかかせてしまったわ。藤堂家の一員として自覚が足りないわね。でも葵の紹介も終わったことだし、高倉さんと葵の婚約式に移るところだから列席なさい。この場で謝罪すれば問題ないわ」
周りがもっとざわつく中、あくまでホストとしての趣旨を貫いて顔色一つ変えずに告げるお母さん。
雅紀さんはただ黙ったまま佇んでいて、おにいちゃんは収めようとするお母さんを無視して話を続けた。
「…美佳子にはもう昨年から話をつけていた。それなのに強行していたのはあなただ」
「その理由は解っているでしょう? これまで藤堂家にお世話になっているのに今更何を言ってるのかしら。あなたの身体は誰の助けによるものか考えてごらんなさい」
「ああ、だから今までずっとその恩返しをするために貢献してきたんだ。藤堂家に」
「そうよ。今後もこれからも藤堂家の一員として報いる必要があるのよ。勝手は許されないわ、貴裕」
注目の最中でもお母さんとおにいちゃんの言い合いは淡々と続いている。
その内容は二人の間で通じているようなものだけどあたしには引っ掛かるものがあった。
それは身体の弱かった頃のおにいちゃんの話?
10年前、突然手術することになったのは藤堂家のおかげってこと?
お父ちゃんと離婚したのもお母さんたちが藤堂家の一員になったのもそのせいなの?
わかんない。あたしの知らない事情と関係が見え隠れしている。
だからそれ以来恩ができて離れられなくなってあたしたちと会えなくなったの?
でももしそうだったら再び会う必要が無かったはずだよね?
だってついこの間までお父ちゃんと二人きりで暮らしてきた。
そのまま音信不通で関わることなく過ごすことができたはずだもん。
だけどおにいちゃんが仕組んでまであたしたちと再会した。
藤堂家に縛られている感じは生活してみて判ったけど再会しようと思えばできたってことだよね?
だったら何でこの10年、会うことができなかったんだろう。
もしかして藤堂家以外にも理由があるってこと?
「ああ、だから俺はもう藤堂家に存在しない。代わりに堀川貴裕として外から藤堂家を支えることにした」
「突然、何を言い出すのかしら」
空気がピリッとする。怖い。お母さんは鋭い目をして睨みつけている。
でもおにいちゃんは怯みもせずに向き合っていた。
「もう藤堂家の一員として縛られる必要はないし、これで確実に俺の母親という繋がりは無くなった。…そこまでさせてしまったのはあなただ」
一瞬、お母さんは顔を強張らせたあと、小さく笑って呟いた。
「…そう、あなたも姉と同じように私から離れようとするのね」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で見たことの無いような悲しそうな顔に見えた瞬間、
「葵、行こう。もうこんなところにいる必要はない」
おにいちゃんが振り返ってあたしの手を掴んだ。
「…待ちなさい。そうはいかないわ」
いつもの顔に戻ったお母さんは不敵に微笑むと片手をあげた。
「ふふ、それで私をやり込めたつもりかしら。残念ね、貴裕。もう葵は藤堂家の一員。立場の低い者が連れ出せるはずないでしょう。…ご愁傷様。藤堂家に歯向かうと身内でもどうなるか、いい見せしめとなるわね」
端に控えていたお母さんの部下の人たちがあたしたちを取り囲んだ。
「撤回なさい。まだ修正できるわ。解るでしょう?」
ああ、あの頃のお母さんだ。
あたしが何を言っても聞いてくれず、怒られて怯えさせられ何もできなくなる時の。
ここまでくると決まってお母さんの言うようにことが進んでしまう。
昔からおにいちゃんもあたしを庇うためにここまでくると何も言わずに引いてしまうんだ。
経験上、反抗が長引くともっと状態が悪くなることが判ってるから。
おにいちゃんは穏便に終わらせるために、あたしは叩かれるまで判らずに。
だけどおにいちゃんはきっぱりと宣言した。
「撤回しない。堀川貴裕として生きるために」
「そう、ここで引いた方が後悔せずに済むのにすっかり毒されてしまったわね。仕方がないわ、捕まえなさい」
部下の人たちが近寄ってきてあたしとおにいちゃんを引き離した。
「葵!」
「おにいちゃん!」
おにいちゃんは抵抗しつつも二人がかりで会場から連れ出されそうになっている。
あたしも腕を掴まれて動けない。その時、雅紀さんの姿が目に入った。
「雅紀さん、助けて!」
近くにいた雅紀さんに声をかけるものの、顔を逸らされた。
藤堂家から助けてあげるって言ってたのに。
やっぱりあたしのことはどうでもいい人なんだ。
「さあ、仕切り直しよ。高倉さんと葵との婚約式を始めましょう」
会場はおかしな様子はわかっていてもざわつくのみで事の成り行きを見てるだけ。
誰も助けてくれない。
あたしはただおにいちゃんが引っ張られていくのを見ていることしかできなかった。




