ちぐはぐな関係性
9月に入り、新学期が始まった。
あの日の言葉通り、朝から雅紀さんが車で迎えに来て一緒に登校する。
あれだけ雁字搦めだった生活が一変。
藤堂家にいる間、時間で縛られたスケジュールや部屋の行き来制限が緩くなってた。
それに最低限の礼儀作法を怠らなければマリさんから何も注意されなくなってしまった。
今までようやくできるようになっても次から次へと指摘されて最近は指先から礼の角度までにも及んで細かなことなんてたくさんあったのに。
雅紀さんが言ってたように無理に学ばなくてもよくなったのかもしれない。
もちろんあたしのペースで行動できるようになったのは良かったと思う。
けどもしかして怒られるかもしれないとビクビクしつつ気になってしょうがなかったことがある。
それはずっと別館の明かりが灯らないのをあれから眺めてたこと。
だからドキドキしながらもまたおにいちゃんの部屋へ訪ねようと決めたんだ。
咎められずに向かった先はシンと静まり返った空気が漂っていてもぬけの殻。
綺麗に掃除されていた部屋は生活感がないように整えられてただけ。
でも専属をしてたから判る。触るなといわれてた一部分だけ片付けてはいけないところ。
仕事関係のものを置く場所と整頓されてある机の上はうっすらと埃があった。
本人すら触っていない跡がはっきりしていてずっと戻ってないんだとあたしでも気づく。
…そう、おにいちゃんがここへ帰ってきていないってことが。
念のためにマサさんにも聞いてみたけど帰ってない理由は知らないらしい。
ただ10日以上音沙汰ない状態になっていると初めて知った。
どこに行っちゃったの? おにいちゃん。
あたしはもう訳が分かんないよ。
ただおにいちゃんに会うことだけを目標に頑張ってたはずだった。
お母さんの助言で藤堂家というところに来てよく知らなくても頑張れば認めてもらえるんだと。
結局はいろんな制限があったり、お母さんを怒らせるどころか藤堂家の一員として婚約までしなきゃいけないなんて知らなかった。
おにいちゃんが迎えに来ると約束してくれた時、こんな調子で連絡できなかったのかもしれないと判った気がした。
それなのに何も知らないあたしが待ちきれず先走ってしまったんだ。
ただおにいちゃんを信じて待てばよかっただけなのに。
こんな風になってしまったのはあたしが悪い。自業自得という言葉を肌身で感じる。
それに何も考えずお父ちゃんの元からも離れてしまったバカなあたし。
いつでも帰ってきていいからというお父ちゃんの言葉を簡単に捉えてたんだ。
藤堂葵になるってことがどういうことかなんて何も理解しないまま必死で。
ただお母さんの期待に応えられたら嬉しいと思っただけなのに。
雅紀さんは優しいけれどおにいちゃんのことを好きなあたしにとっては何か違う気がした。
何もかも甘かったあたしのせい。今はもう誰も頼れる人がいないんだと気づく。
「それじゃあ、行こうか」
車から降りたあたしににこやかに笑いかける雅紀さん。
この間のバーガーをほとんど残してしまってからは外での食事を断っていた。
平日の行き帰りは毎日送迎。雅紀さんの用事がない時は藤堂家で一緒に夕食を取る。
一人での食事は寂しくて食欲が落ちるのだろうと言われたからだ。
元々マナーのために思ったように食べれなかったせいで寂しかった訳じゃない。
「いろいろと気にする必要はないからね。さあ、これも食べて」
2階の食事室でいつものように横並びで座っているあたしと雅紀さん。
配膳された食器は綺麗に並べられてるけどいつも雅紀さんの分も追加される。
「そ、そんなに食べられません! 自分の分を食べるのに精一杯で!」
「そんなはずはないし。こんなにやつれてしまって葵ちゃんらしくないよ」
雅紀さんがいてもその量は変わらず、いつも小さくため息をつかれていた。
外食しても元気がないのは藤堂家のせいだろうから早く結婚しないとね、と。
マリさんたちは中にはいない。呼んだら姿を現すみたいでドアの向こうに誰かがいる。
前ならこんな食事風景を見たら突き刺さるような視線で淡々と指摘されるのにそれすらない。
どうしようもない空気感をいつも感じながら息が詰まっていく感覚が拭えない。
あたし、このまま結婚するのかな。
進まない食事中、ドアの向こうで少し騒がしい音が響く。
「誰、あんた」
突然、乱暴に開いたドアから久しぶりに見る人が入ってくる。明人さんだ!
長い前髪で表情は判らないけど不信感しかない声音で冷たさしか感じない。
「ボク、食事したいんだよね。知らない人は出てってくれる?」
雅紀さんは慌てて立ち上がると明人さんに挨拶をする。
「初めまして。葵さんの婚約者の高倉雅紀と申します」
「は? そもそもボクは葵自体、藤堂家の一員として見てないんだけど?」
「そうですか、ですが和美さんの申し入れで…」
「ボクは正統な後継ぎであの女より権限があるし、知らないし、あんた、ムカつくから出てけ」
有無を言わせない口調で雅紀さんを追い詰めていた。




