大胆な宣戦布告
頬がヒリヒリして痛い。
目が覚めたら突然、お母さんに腕を引っ張られて何が起こったのか、一瞬判らなかった。
そうだった!
昨日の夜、あたしは閉じ込められた部屋から脱走したんだった。
おにいちゃんに会えるか判らないまま、期待を込めて別館にも入り込み、どうにか再会したんだ、まるで夢みたいに。
だけどおにいちゃんとソファーに並んで座って話している内にいつの間にか眠ってしまったんだっけ。
気がつくと、怖い顔のお母さんがいて再びここへ閉じ込められたんだ。
「葵、本当に信じられないことをしでかしたわね」
お母さんが怒りを露わにした表情を崩さず、荒い口調で問い詰める。
「自分で何をしたか解っているの? この藤堂家に泥を塗ったのよ」
言われていることが分からない。
言いかけたけど、言わせない雰囲気に呑まれてしまう。
いつもそう要領の悪いあたしの話は無駄だと訊いてもらえない。
昔から失敗が多いあたしは時間を費やすだけでちゃんと出来ないからイライラさせるんだ。
最初から言われた通りの行動だけこなせればいいのにそれさえもまともにできないから。
余計なことを増やさないでと何度も叱られた。
身体が弱いだけで何でもできていたおにいちゃんと違ってるからだと思う。
だけど、今回は言われたことはきちんとこなしてたはずだった。
ただ閉じ込められた現実に気づいてオカシイと感じただけ。
脱走騒動を起こしたことはよくないんだろうけど思わず行動に出てしまった。
それがどうして泥を塗ることになるのか分からない。
そんなに悪いことをしてしまったの? あたし。
確かにカーテンを破ったし、別館に忍び込んで水浸しにしちゃったかもしれない。
そもそも別館に通じる道を通してもらえなかったし、近づくことすらできなかったからだ。
藤堂家に相応しい指導ってことで気づかなかったけど、よくよく考えたら建物内を自由に歩き回れないのも変だと思う。
行き来が自分の部屋か食堂、学習室にお風呂場やトイレのみ。
それ以外の場所に外れたらマリさんの喝が入ってくる。
この間の雅紀さんとの外出だけが奇跡だったんだ。
自分の能力は判っているつもりだけど、もう小さい頃とは違って少しは出来るようになってる。
確かにお父ちゃんと暮らしていた生活環境とは違っててきちんとしなきゃいけない藤堂家の環境生活も以前よりは身につけたつもり。
おにいちゃんの専属時代の技術もほんの少しだけ役にたったし、慎重に行動をするようになった。
けど、それらを全て完璧にというのなら多分、一生無理。
あたしはロボットのように動けない、根本的にはやっぱり抜けてて欠陥だらけの人間だから。
完璧がお母さんの示す藤堂家の望む人間だとしたらあたしはここに居られない。
…例えおにいちゃんと会えなくなったとしても。
むしろ完璧にならないとおにいちゃんと会えないのならあたしはここにいる必要があるの?
お母さんの言う"おにいちゃんと会えなくなる"意味と"藤堂家に相応しい人間"にならなければおにいちゃんに会うことができないというのなら、あたしは藤堂家からいなくなった方がいい気がする。
会えなくなるという可能性よりも完璧を求めるなら自分の能力がこれ以上期待に応えることができないのが現実だから。
泥を塗るという行為すらわからないあたしだからこそお母さんに応えることが無理なんだ、と気づいてしまったから。
目元が熱くなったのを感じたまま、お母さんを見つめる。
「…あたしは藤堂家に相応しくない」
「あなた、何言ってるの?」
「…いつもお母さんを怒らせるばかりで"役に立たないダメな子"」
頬に熱くてすぐに冷たくなるものが溢れ出ていく。
「だから、本当は、…あたしは必要ないんだよね?」
今まで我慢し続けていた感情が溢れ出す。どんなに努力しても報われない。
いつか認めてもらえるかもしれないと淡い期待を持っていたんだ。
おにいちゃんのこともあったけど、お母さんが自らあたしに声を掛けてきてくれたから。
もしかしたらやっとあたしを受け入れてくれてるのかもしれないと思ってた。
怖かっただけの存在があたしを認めてくれるきっかけって。
でも、それはあたしの思い過ごしだっただけ。
結局、期待に応えられないあたしはお母さんの中ではやっぱり変わらない存在だったんだ。
「ごめんね、お母さん。あたし、お父ちゃんの元に戻る」
「…た、貴裕と会えなくなるわよ」
顔を強張らせたお母さんが低い声で呟く。
「それでも、…もうお母さんのそばにはいられない!」
そう強く言い切るとお母さんの身体が小刻みに震えていた。
「…今更何言ってるの?」
威圧感のある低い声であたしを鋭く見つめる。
「戻れるわけないでしょ、今更」
「どうして? 今だったらまだお母さんに恥をかかせなくて済む…」
「そんなことになったら、貴裕が…」
「え?」
何でそこにおにいちゃんがでてくるの?
少し青ざめたようなお母さんは慌てた様子であたしの頬を叩く。
「あなたはもう、藤堂家の人間なのだから、言うとおりにしなさい!」
そう叫ぶように言い放つとお母さんは焦ったように部屋から出ていった。




