空回りの手ほどき
転倒後、日常茶飯事な怪我を気にせず、どうにか待ち合わせの場所に。
「葵様、お待ちしておりました」
部屋に入ると昨日の年配の女性が待ち兼ねた様子。
「…いててて。あ、どうも、遅れてすいません」
「さあ、時間が無いので詳しいことは後で…。急いで私の後に付いて来て下さいませ」
ええっ! たった今、来たばかりだというのに?
ひっつめ髪にグレーのワンピとエプロン姿のその女性は冷静を装いつつも急いだ様子で部屋を飛び出し、転んで間もない階段を昇っていく。
躓いた中段を恨めしく睨みつつ、慌てて後を追うと階段から右手へと曲がった。
一応、部屋の配置は階段を昇って左手側があたしの部屋方面。
右手側がおにいちゃんの部屋方面で突き当たりの行き止まりがお手洗いになってる。
そこで向かった先は右側の一番端の部屋。
つまりトイレとおにいちゃんの部屋の間、になるのかな?
それにしてもこの人、お父ちゃんよりかなり年上っぽいのに行動が素早い。
手慣れた様子でノックをし、ドアを開けるとスッと中へ入っている。
あたし、体力には自信があるけどそれに負けず劣らずって感じ。
二足遅れで追いつくと既に戸棚から真っ白いタオルを取り出していた。
「貴裕様は日曜と祝祭日には朝9時半前後にシャワーを浴びられます」
言ってタオルをカゴの中に入れて何やら準備をしてる様子。
ふと部屋全体を見回すとここは脱衣室ぽくガラス戸の向こう側はシャワー室のよう。
「よろしいですか、葵様? それ以外の日は朝の7時ですよ」
「…はあ」
「タオル類は基本的にこの棚に入っております。ですがこまめにリネン室から補充をなさいますように」
あの、話の内容が分からないんですけど…?
「さ、時間がありません、次へ」
カラ返事気味のあたしを無視して今度はこちらへ…と導く。
脱衣室から抜け出すとそのまま真っ直ぐあたしの部屋方面へと突き進む。
「先程と同じく貴裕様は日曜と祝祭日には10時半からご朝食とご昼食を兼ねたお食事を召し上がります」
言いながらあたしの部屋の左隣辺りのドアを開ける。
中に入るとそこには長細いテーブルがどどーんと置いてあった。
テーブルの中央には白いレースのテーブルクロスが敷かれ、その上に豪華な花が飾ってある。
「カトラリー類とお酒以外のお飲み物はこちらで準備いたします」
こちらと案内された奥の部屋に入るとそこに対面式のキッチンカウンター!
上部に備え付けてある食器棚にはいろんな種類のグラスやカップ。
カウンターの長細い引き出しには銀色に輝くフォークやナイフなどが並べられている。
側面に沿った戸棚にはコーヒーやら紅茶やら様々な飲み物が缶やら瓶に詰められ置かれていた。
その横には銀色に輝く大きな冷蔵庫っ!
女性は手馴れた手つきでフォーク類やグラスなどをささっと取り出し、そばにあるワゴンに置く。
「ビュッフェ形式でのカトラリー類のセッティングですので大したことはございません。お食事は本館から運ばれて参りますのでそちらは担当にお任せを」
ワゴンはさっきの長細いテーブルへと移動され、そのテーブルの端で停止。
そこにワゴン上のものが規則正しく並べ替えられる。
それも2組分。端側とその斜め横に。
「貴裕様はビュッフェ形式で召し上がることが多いのでこの配置を覚えてくださいませ」
…って何本のフォークやナイフがあるのやら?
確かおにいちゃんに連れて行ってもらったレストランもこんな感じだったかも…。
「よろしいですか? ディナー時は異なりますので」
さっきから部屋を行ったり来たりしておにいちゃんはこうだって説明ばかり。
訳の分からないまま、アレコレ言われて頭の中はごちゃごちゃ。
グラスがどーの、飲み物がこーのってもう聞いてません。
「何とか時間内に間に合いましたわ」
ホッとした様子の女性はドア付近に立つ。
あたしも横にと並んで立ってるんだけどね。
しばらくしてノックの音がし、ドアが開くと同時に黒スーツの人が入ってきた。
「あ!」
この人、最初に部屋に案内してくれたロマンスグレーの男性だ!
そう気づいたのも束の間、向かい合わせになる形で女性とともに頭を下げてる。
「葵様もお辞儀を」
小さい声で注意され、慌てて頭を下げる。
すると視界の先からぬっと足が出てきた。
「おはようございます。貴裕様」
その言葉に思わず顔を上げると部屋着姿のおにいちゃんがそこに居た。
「おはよう。葵はこっちへ」
おにいちゃんはあたしを傍らに寄せると二人に向かい合う形で振り返る。
「紹介するよ、葵。永井に、マサだ」
「執事の永井でございます」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。女中のマサでございます」
「ほ、堀川葵です」
ついつられて名乗ってしまう。もう知ってるって雰囲気だけど。
「昨日伝えた通りこれから"オレの専属"ということでしつけを頼むよ」
「えっ」
その言葉を耳にして固まる。
何それ? どういうこと?