幸せの待ちぼうけ
幸せ過ぎておかしくなりそう。
あんなに辛かった日々が嘘みたいに晴れ晴れしている。
想いが通じ合っただけで満たされる至福の時間。
そばにいたのにお互いすれ違った気持ちを抱えていた生活。
しっかりと重なり合った今はぶれることはない。
不意に玄関からガチャガチャという音が響き渡った。
きっとお父ちゃんだ。
あたしとおにいちゃんはとっさに離れて向き合った形になる。
「葵、藤堂家から戻り次第、オレから話すから」
あたしが頷いてすぐお父ちゃんが入ってきた。
「た、ただいま。…おっ、どうした? 二人して突っ立ったまま」
お父ちゃんは不思議そうに眺めた後、驚いたようにあたしの顔を見つめた。
「葵、どうしたんだ? 何かあったのか?」
散々泣いたりしたからぐちゃぐちゃだったのかもしれない。
お父ちゃんは心配そうにあたしの様子を窺う。
「すみません。葵には話したのですが、今夜、藤堂家に戻ろうと思います」
「何だって?!」
おにいちゃんはお父ちゃんに向かって決意したことを話し出した。
「最近になって特にお気づきとは思いますが僕がここにいることが感付かれているようです。事が起こる前に出て行くべきだとは考えてたのですが、このまま姿を隠していくより決着をつけるべきだと判断しました」
「…急な話だな」
お父ちゃんは驚いたようにおにいちゃんを見つめる。
「はい、いろいろと考えまして…。ですがカタが付きましたら改まってお話します」
「向き合う覚悟を決めたんだな、貴裕」
「3日で片付けます。お世話になっておきながら急なことで申し訳ないですが…」
「まあ、ワシは構わないが、葵はそれでいいのか?」
お父ちゃんはあたしをチラリと見る。
おにいちゃんがいなくなることへの拒絶反応を気づいてたんだよね。
「すぐに戻るって約束したもん。だから大丈夫、待てるよ」
「そうか。だったらいいんだが…」
「はい。ありがとうございます」
それからおにいちゃんはあたしたちと夕食を済ませた後、藤堂家へ向かった。
「それじゃあ、ワシは風呂に入るからな」
お父ちゃんはいつも通りの行動で過ごし始めていた。
何だか突然おにいちゃんがいない約1ヶ月前の生活が戻ってきた。
少し寂しい気もするけど大丈夫、3日の辛抱だから。
何気に胸元に揺れるガラスの靴のペンダントを握り締め、首に下げてくれたおにいちゃんを想っていると電話が鳴った。
こんな偶然ってあるのかな?
「葵か? 今、藤堂家からだ」
出てみればおにいちゃん。
「…どうやら誰もいない。仕方がないから明日捕まえるしかないみたいだ」
ため息混じりにおにいちゃんは呟くと思い出したように笑った。
「そういえばマサから怒られた。いきなりいなくなって突然戻ったからすごい剣幕で」
懐かしい名前が飛び出す。マサさん、おにいちゃんのこと、前から心配してたもんね。
「マサさんか、すごく懐かしいな。相変わらず元気そうで良かった」
「ああ、けりがついたらマサにもちゃんと話すつもりだ。その前にやることやってからな」
おにいちゃんの言葉の重みが伝わってくる。決意が固いんだって。
あたしはおにいちゃんが藤堂家に対してどういう問題を抱えているのか判らない。
そして何を片付けようとしてどんな話をつけようとしているのか知らない。
ただこれからのことを考えて行動していることだけは理解していた。
だから励ましの言葉しか伝えることができない。
「おにいちゃん、がんばってね」
「ああ、葵もテスト、がんばれよ。また明日電話するから」
おにいちゃんはそう言うと電話を切った。
何だか自然に顔が緩んでくるのが判る。
おにいちゃんと繋がった気持ちを再確認したかのように。
本当に幸せ。明日もおにいちゃんの声が聞ける。
この待ち遠しさにも余裕がある気持ち、持てるなんて思いもしない。
そうする内に翌日になり、テスト最終日を迎えていた。
今日から部活も再開して厳しい練習が続く。
おにいちゃんがいなくてもちゃんと気合が入ってるんだからね。
こんなにもゆったりした大きな気分になれるのは何故なんだろう。
両想いって不思議だね。こんなにもパワーがみなぎってくるんだもの。
とにかく幸せが満ち溢れてしようがない。
今まで押さえつけてた分、放出したって構わないんだよね。
おにいちゃんが戻ってくればもっと溢れ出すのかもしれないけど。
久々の部活で疲れてるはずなのにそれさえも感じない。
家に戻れば頃合いを見計らったかのように電話が鳴った。
おにいちゃんだってすぐに判る。
「あ、あたし、出るから!」
お父ちゃんにそう言い放つと慌てて受話器を取る。
「葵? すぐに出るから驚いた」
勢いでワンコールで取っちゃったもんね、あたしったら。
少し笑った口調から声のトーンが神妙になる。
「…今日、話し合った。いい顔はされなかったがこれで決別できる」
安堵したような吐息が聞こえ、あたしもほっとする。
「今、会社からかけてるんだ。雑務を片付けて明日戻るから」
「うん、待ってるよ」
電話を切った後も全身がほんわかとする。
明日になったら会える。
その気持ちが更にあたしを幸せにしていた。
いない日の寂しさも待ちわびる時間もはねのけるほどに。




