72%の叶えたい恋心
「お願いです。明人さんと会ってお話してください!」
あたしのしつこいお願いに業を煮やしたのか、寺内さんは小さくため息をつき、留まってくれた。
そしてこれまでの経緯を簡単に語り始めた。
寺内さんの家庭は両親と弟妹の5人家族。明人さんと出会ったのは中学1年の頃。
付き合い始めてまもなく、寺内さんのお父さんが事故に遭ってしまった。
働けないお父さんの代わりにお母さんが勤め出し、生活が一変したらしい。
まだ幼い弟や妹の世話、お父さんの入院費、無理をするお母さんの状態。
そんな大変な時期で悠長に明人さんと付き合うことは出来なかった。
しかも明人さんは日本でも有数の企業を誇る藤堂財閥の息子とその時知る。
関わってはいけないと理解して藤堂家と約束を交わし、縁を切るに至った。
…それが明人さんとの別れた理由らしい。
「だから私は何の関係もないの。今更話すことなんて無いのよ」
寺内さんにはいつもの凛とした瞳の輝きはなく、何となく愁い帯びていた。
あたしは何故だか直感してしまった。寺内さんは明人さんのことがまだ好きなのかもしれないって。
その心苦しそうな様子があたしの心境に似ていると肌で感じたから。
「…でも寺内さんは明人さんのこと、嫌いになったわけじゃないですよね?」
「えっ?」
目を見開いている寺内さんの瞳が揺れ動く。
「明人さんのことを想って別れたんですよね?」
「堀川さん…」
「…だったら好きで別れたってことですよね?」
「違うわ、それは違うわ!」
寺内さんはあたしを見ず、自分に言い聞かすように首を振る。
「うそ! だったら明人さんと会ってちゃんとお話してください」
あたしは確信した。寺内さんは今でもきっと…。
「…分かったわ。彼と会ってはっきりと、終わってることを伝えるわ」
「明人さんが納得するまでちゃんと話してください。約束ですよ」
あたしが寺内さんをじっと見つめるとしっかりと頷いてくれた。
早速、あたしは明人さんと連絡を取る。急な話だけどこういうことは早い方がいい。
「里美がボクと話すだって?」
放課後、バーガーショップの駐車場。明人さんの驚いた声が響く。
「もちろん会ってくれるよね?」
「葵…」
「だから明人さん、納得いくまで話して。絶対に、約束ね」
少し戸惑っている明人さんを置いてあたしは店内で待っている寺内さんを呼びに行った。
5月の夕暮れ時。日が長くなってまだ充分に明るい時間。
まばらに車が停まっている駐車場はとても静か。
明人さんは乗ってきた車を返していて、その身一つで待っていた。
あたしは俯いた寺内さんを連れ、その場所へと近づく。
どこかぎこちない空気を漂わせながら二人は対面した。
「それじゃあ、あたしは帰ります」
約束は守ってくださいと念を押してその場から立ち去る。
遠目で一度振り返ると二人の向かい合う姿が映った。
その光景を見てうまくいって欲しいと心から願った。
いろいろな事情があって別れざるを得なかった過去。
寺内さんは家庭の事情で決意して終わらせた。
明人さんはそんな寺内さんと今でも会おうとしていた。
そんな二人は多分、お互いに想い合ってる気がする。
きっと今は気持ちがすれ違ってるだけ。
好きという気持ちを体中で感じ、充分味わったあたしは誰かの幸せを願わずにはいられない。
どんなに望んでも叶えられない恋心の代わりとして。
想いが伝わり合えばいい。せめてこの二人だけでも、絶対に。
「あら、葵ちゃん、お帰り」
アパートの敷地内に入ろうとした時、1階に住むおばさんが声をかけてきた。
「おばさん、ただいま」
あたしは笑顔で返すと階段の方へ向かおうとしていた。
「あっ、葵ちゃん」
おばさんは思い出したように声を上げる。
「気をつけなさいよ」
財布を握り締めているおばさんは周囲を見回しながらあたしに耳打ちする。
「物騒な世の中だからね。葵ちゃん、高校生だし、女の子だし、気をつけないと」
「もうおばさんったら、何言ってるんですか?」
あたしは軽く笑っていると、がしっと肩を掴まれる。
「何だかね、ここ最近、見慣れない人がウロウロしてるのよ、怖いわねぇ」
おばさんは険しい顔をして声を忍ばせた。
「そうなんですか…」
もしかしておにいちゃんのことだったりして?
留守の間、こっそりと外出してるのかな? それを見られたとか?
まさかね。きっとおばさんの勘違いだよ。
少し気に留めながらもおばさんと別れ、階段を昇った。
「葵、どうかしたのか?」
帰宅後、おにいちゃんがあたしに問いかける。
明人さんたちのことがあった矢先だから顔を見ると辛いな。
「ううん、何でもないよ。…それよりお腹空いちゃった」
伝えられない想い人を目の前に切ない気持ちが込み上げてきそうになる。
どうしてこの人はおにいちゃん、なのだろう…。
「何だ、帰宅早々に飯の催促か? もう少し、待ってろ。美味しいもん作ってやる」
お父ちゃんは台所に立つと夕食の準備を始める。
「葵、その間にテスト勉強だ」
おにいちゃんは昨日と同じように家庭教師に徹する。
藤堂家で過ごした春休み期間をほんの少し思い出しながら鈍かったあたし自身に苦笑する。
幸せだったあの時間。あの頃、おにいちゃんへの想いに気づいていたらどうなってたんだろう?
「こら葵、集中しろ!」
おにいちゃんの喝が入る。あの日以来、"兄としての役目"を果たそうとしてるのを充分に感じる。
その距離感だけで一緒に居てくれるおにいちゃん。
…本当にせつない。




