63%の信頼回復
おにいちゃんの不思議そうな顔があたしに向けられる。
「葵、無理しなくていい。許してほしいとは思ってないから」
「…違う、違うの!」
あたしはおにいちゃんが思い込んでいる誤解がショックだった。
こんなにそばに居てドキドキして切なくて好きでしょうがない。
なのにそれが嫌っているなんて思われていた。
そうじゃない、これっぽっちも嫌ってなんかいない。
悲しくて悔しくて仕方が無かった。
溢れそうな涙を堪えながらおにいちゃんの顔を見て口に出す。
「あたし、おにいちゃんのこと、嫌ってなんか、ない!」
「…葵?」
「あたし、おにいちゃんのこと、嫌ってない。不快でもないし、我慢もしてない」
本心を伝えたくておにいちゃんに向かって言い切る。
「今、おにいちゃんと一緒に居て幸せだもん。…そう、3ヶ月前だって楽しかったよ。いろいろあったけど幸せだった」
これ以上嫌ってるなんか思われたくない。その考えを否定したかった。
「確かにお母さんからいろいろ聞かされてその時はショックで受け入れられなかったよ。だけど離れて暮らすようになってから後悔した。このままだったら10年前と変わらないって気づいて。何も知らないまま離れた時と一緒だって。だからおにいちゃんに会いたくてしょうがなかった。そしてまた一緒に居たいって思った。それに…」
感極まって言葉に詰まる。堪えてた涙がこぼれ始めた。
「…それに、あ、あたしは…、お、お…おにいちゃんの、こ…と…」
感情の高まりと共に好きだという気持ちが溢れ出す。
だけどポロポロとこぼれる涙が邪魔してうまく言葉に出来ない。
「葵、分かったから」
そんなあたしをおにいちゃんはギュッと抱きしめた。
おにいちゃんの腕に包まれ、全身が火照りだす。
好き、好き。おにいちゃんが好きでたまらない。
破裂しそうな気持ちに後押しされ、言葉にしかけたその時、
「葵は10年前と変わらずにオレを慕っていると分かった。あの頃の気持ちのまま、オレを受け入れてるんだってな」
頭上からおにいちゃんの声が響いた。
「…だからオレもちゃんとしなくちゃいけないな。葵に相応しい兄としてけじめをつけなければ…」
膨らんだ風船が急にしぼんでいくような感覚に襲われる。
葵に相応しい兄。その言葉があたしに脳裏に焼きついたものを呼び起こす。
禁断の恋、叶わない恋、報われない恋。
もし、あたしの気持ちを伝えてしまったらおにいちゃんはどうするだろう?
嫌っていたと思われてどこかぎこちない生活を送ってきたんだからその逆だったらますます気まずくなるかもしれない。
それこそ有無を言わずに出て行ってしまうかもしれない。この暖かい胸が永遠に無くなるかもしれない。
「…おにいちゃん、出て行かないよね?」
あたしさえ、この胸の内を隠していれば何も変わらない。
「ああ、約束するよ。葵」
誤解が解けた今、この関係を壊すことがいちばん危険だって気づく。
「約束だよ。おにいちゃん」
おにいちゃんと居られるなら、気持ちを隠したままでいい。
「おにいちゃん、いってくるね」
翌朝、見送るおにいちゃんに笑顔で挨拶をして家を出る。
あの後、いつの間にかおにいちゃんの腕の中で寝てしまって朝を迎えた。
わだかまりも無いはずのおにいちゃんとの仲。
この関係を保つことで与えられる幸せの時間。
おにいちゃんと居られることが何よりの宝物。
今はそれを大事にしようって決めたんだ。
早朝練習を終え、いつもの授業が始まる。
テスト前だから気合を入れて受けている丸一日があっという間に過ぎていく。
SHLも終わり、放課後を迎えた。
普段より早い下校時間。咲ちゃんと真琴ちゃんと三人揃って帰っていた。
「それじゃ、葵。バイバイ」
大通りに面した道で二手に別れ、そこからはあたし一人。
帰り道を歩き出したその時、見慣れた車がすっと通過する。
黒光りのベンツ。きっと明人さんだ。
車が目指す方向はあのバーガー屋がある方面。
何故だかあたしはそこに向かってる気がして見えなくなった車の跡を追いかけていた。
しばらくしてあたしがバーガー屋に辿り着いた時、少し俯いた様子で明人さんが店から出てくるところだった。
「明人さん」
思わず声を掛けると明人さんは一瞬、驚いたように立ち止まったけど、すぐにニッと口元を緩めた。
「葵、暴食する気?」
親指で店を指示しながらふざけた口調でいつものように近づいてくる。
「あ、明人さん、寺内さんと知り合いなの?」
あたしはついそばに来た明人さんに向かってぶしつけに問う。
どう見てもバーガーを食べに来た風でないし、やっぱり寺内さんしか考えられなかったから。
「…は? 何で葵?」
明人さんの顔が強張る。疑うような眼差しが長い前髪から見える。
「ご、ごめんなさい。実はこの間、明人さんと寺内さんが話してるところを見たから…」
「見たって? そりゃあ、可愛い子だったら声をかけたくなるだろ?」
軽く笑いながら明人さんは歩き出す。あたしはそれを追いかけた。
「そんな雰囲気じゃなくて。何ていうか、もっと深刻な…」
「葵は何が言いたいわけ?」
明人さんは突然立ち止まると振り返りながら怒ったように言った。
「仮にソイツとボクが知り合いだったら何かあるわけ? 聞き出してどうするわけ?」
責めるような口調であたしを追い詰める。明人さんの怖い顔、初めて見た。
何も言えずに動揺し、気づけば頬に涙が伝っていた。
「…ゴメン、葵。ちょっと気が立ってたんだ」
明人さんは我に返ったようにあたしを見ると小さくため息をついた。
「ダメだなあ、相変わらずボクは…。葵をまた傷つけるなんて」
髪をかき上げながらあたしの頭にポンと手を置くと、
「お詫びに家まで送るよ」
いつもの表情に戻った明人さんが申し訳なさそうに笑った。




