二人だけの運命の夜
…やだなあ、全然眠れないよ。
あたしはさっきから何度も寝返りを打っていた。
明日から朝練が始まるって理由でいつもより早く布団に入った。
本当の理由はそれだけじゃない。おにいちゃんと二人きりの時間が耐えられそうも無かったから。
いつもの会話があったと思ったら妙な沈黙が続いて嫌な予感がした。
おにいちゃんが怖いくらい真面目な顔して何かを言いかけたからそれを避けるようにして寝るフリをした。
しばらくして部屋の明かりが消え、おにいちゃんも布団に入ったんだと思ったらホッとする。
だけどいつもならお父ちゃんのいびきが聞こえてるはず空間が妙に気になってしまう。
少し離れてるっていっても隣でおにいちゃんが寝ているんだもの。意識しない方がおかしいよね?
「…葵」
背後からおにいちゃんの声が響いてきた。
あたしは驚きながらも聞こえないフリをする。
「葵、起きてるんだろ?」
おにいちゃんは確信するかのようにあたしに問いかける。
それでも気づいてないフリをしていると後ろで何か動く気配がした。
外からの明かりで部屋の中はほんのり薄暗い程度。
それを一瞬、暗闇にするように目の前を覆った。
「やっぱり…。眠れないんだろ?」
横向きに寝ていたあたしの顔を確認するようにおにいちゃんの顔がそこにある。
思わず反応して起き上がってしまった。
「…オレも眠れない」
あたしとおにいちゃんは布団の上で向かい合う形になった。
「どうして無視した?」
おにいちゃんは少しだけ悲しそうな瞳であたしを見つめる。
「…む、無視なんかしてない」
「誤魔化さなくていいから」
軽く窘めるように言うと急に真剣な顔つきになる。
嫌な予感がする。さっきもそう感じたように。
「…もう、寝る」
あたしは逃げるように布団に戻ろうとするとおにいちゃんは腕を掴み、それを制した。
「葵、もう判ってるだろ?」
おにいちゃんの言葉がとても重く感じた。ついにその日が来てしまったのだと。
聞いてしまったらもうこの日々が終わってしまうと怯えていた瞬間。
避けて逃げ続けていた時間が止まった。
「…オレはただ葵に会いたかったんだ」
そう切り出したおにいちゃんは掴んだあたしの腕をゆっくりと放す。
「そのためにオレはあんなことを…」
おにいちゃんの瞳が悲しく揺らぐ。
「…あたしに、会うため?」
予想もしない言葉にあたしは息を呑むとおにいちゃんを見つめた。
「そうだ。10年前、訳もわからずいきなり引き離されてそれでもオレが丈夫になればどうにかなるって信じていた。だけど二度と会えないと知った時から考えが変わった」
10年前の離婚。あたしたちには何も知らされないまま行なわれていた。
あたしも手術が成功して健康になったらまたいっしょに暮らせると信じていた。…なのに?
「二度と会えないってどういうこと?」
「離婚後、再婚して藤堂家に入ったことでアイツは過去を切り捨てた。堀川家の存在を否定し、実の娘さえも抹消した。オレの身体のために必死になってくれた家族を簡単にな。…特に葵には迷惑かけたと思ってた。小さかったのに重大な責任を負わされていて。それに健康であることに罪悪感を持っていたのも知ってる。だからこそ健康な姿を絶対に見せようと決めていた。そして葵は葵のままでいいんだと伝えたかった。…それなのに」
おにいちゃんはぐっとこぶしを握るとあたしを見つめ直す。
「そんなことさえ許されない世界に閉じ込められ、言いなりにならないといけない理由も知ってしまった…」
苦しそうに顔をゆがめるおにいちゃんは何だか可哀想に見えた。
「機械的に過ごす日々が苦しくて仕方が無かった。身体は丈夫になったのにこのままの生活では死んでいるのと変わりない。あの時、手術を受けなければこんなことになってなかったかもしれないと悔やんだ。そしたら不意に葵の顔が浮かんだ。日本へ帰国する理由を作り、密かに葵たちの消息を求めてた」
おにいちゃんはほんの少しだけフッと笑うと目を伏せる。
「オレがこんな風に変わってしまったから葵もきっと変わってるだろうと思ってた。最初は遠めで見るだけでよかった。調査するうちに実際に会いたくなった。…そしてあんなことを仕組んだ」
カッと目を見開き、顔をゆがませて苦しそうなおにいちゃん。
薄暗い中でもはっきりと分かるぐらい申し訳なさそうな顔をしていた。
それだけで悪気があって行なったことじゃないって充分伝わっている。
やっぱりおにいちゃんは信じてたおにいちゃんなんだって。
「オレは葵を騙して傷つけて最低な人間だ。こうやってそばに居ることさえ悪いと思っている。只でさえ、嫌悪を抱いてるのに一緒に暮らしてるなんてな。オレのことを嫌っていてもそれを出さずに我慢させているのも分かってる。だから少しでも早くはっきりさせたかった。これ以上オレは葵に嫌な印象を植え付けたくない」
おにいちゃん、何を言ってるの? はっきりとした言葉にショックを覚える。
「ずっと伝えたかった。謝りたかった。今まで不快な思いをさせて悪かった、葵。…もうすぐ出て行く」
何で? どうして? おにいちゃん、誤解してる。
「…違うよ。おにいちゃん、違うよ」
あたしはそう答えるので精一杯だった。




