戸惑いの幕開け
「それじゃ葵、よろしくね」
週明けの月曜日、真琴ちゃんが中休みに名簿を持ってやってきた。
バレー部の登録関係のもので名前の誤字確認のため、昼休みまでにキャプテンに提出しなければならないもの。
50音字で並べられた名簿ではあたしが最後となり、責任持って預かる。
「うん、忘れずにちゃんと渡すから」
チェックして授業終了後の昼休みになった直後、3年生のいる校舎へ向かう。
昼休みに入ったばかりの賑やかな慣れない校舎にドキドキしながら先輩の教室をひょいと覗く。
ほとんどの人たちが食事するための準備を始め、場所作りでガタガタしていた。
先輩、どこだろう…?
騒がしい教室内でなかなかキャプテンの姿が見つからなくて困ってしまう。
「誰か捜しているの?」
後ろから女の人の声が聞こえ、振り返ると驚いた。
「あ、もしかしてバレー部の…?」
目の前の人物を食い入るように見つめながら頭だけは縦に動かす。
「ちょっと待ってて…」
その人はそう言うと教室内に入っていった。
「葵、ご苦労様」
先輩はニッコリと笑いながらあたしの肩を叩いた。
「い、いえ。これ、名簿です」
「サンキュ、それじゃまた部活でね」
「あ、あの…」
思わず立ち去ろうとする先輩を引き止める。
「何?」
「いえ、今の人…」
「ああ、寺内さん? うちのクラスの委員長。ちゃんとお礼言っといたから平気、平気」
「何だか見覚えがあって…。もしかしてバーガーショップの…」
「わはは! さすが葵ね、通い慣れてるだけあって。彼女、そこでバイトしてるのよ。だからよくクーポン貰うのよね」
またあげるわねと肩を叩かれた後、先輩は教室内に戻っていった。
あたしは教室に戻りながら再び彼女の顔を思い出していた。
細身で色白だから華奢な感じがするけど凛とした瞳を持ってキリっとしている。
長い髪を一つに束ね、制服姿だけどやっぱりあの日見た人に間違いない。
明人さんが里美と呼んでいた寺内さんはあたしの学校の先輩だった。
どういう関係かは判らないけど、お互いは知り合いのよう。
あの雰囲気からは寺内さんの方が避けてるような感じだったし?
明人さんと寺内さんってどういう知り合いなの?
妙に二人の関係が気になってドキドキした。
教室に戻ると暗雲な空気が流れていた。
昼休みも半ばに入りつつあり、男子の一部は既に弁当を食べ終えている状況。
その最中、教室の片隅でクラスメイトの女の子の一人が泣いているのが見える。
陸上部で元気もののタカちゃんだ!
誰もが遠巻きに見守っていて固唾を呑んでいる。
あたしは待っている咲ちゃんの元へそっと近づくとじっと見つめた。
「あ、葵。お帰り」
咲ちゃんは小さく声を掛けると外で食べようと促してきた。
「…何かね、振られたみたいよ」
咲ちゃんはタマゴサンドを一口頬張るとそう言った。
屋上に近い階段の踊り場に移動したあたしたちは弁当を広げて食べ始める。
「えっ?」
予想もしない発言で驚いてしまう。
「ほら、前から騒いでたじゃない…」
「何を?」
「…そっか、葵はこの手の話、気づいてなかったんだ」
咲ちゃんは呆れたようにあたしを見るとタマゴサンドを食べ終える。
それから野菜ジュースをストローで吸うと一呼吸置いて再び口を開く。
「多佳子さ、先生に夢中だったのよ。そりゃあずっと騒いでてすごかったのに」
「えっ? ウソ」
「…たく、一目瞭然でクラスのみんな知ってたわよ。気づいてないのは葵ぐらいじゃない?」
ちょっと軽蔑したような目つきにショック。あたしだけ気づいてなかったの?
「それでついに告ったのよ。で、あっさり空振り。…ってか前から結果は明らかだったのにさ」
「結果は明らか?」
「そうよ。最初から教師と生徒の区別をはっきりさせた先生だったもの。お前らは恋愛対象じゃないってさ。同僚の先生にホノ字だって噂もあったし」
「へ、へえ」
「なのにさ、禁断の恋に憧れてたのか知らないけど勝手に盛り上がってさ。バカじゃないの?」
咲ちゃんは怒ったように今度はハムサンドを頬張る。
「叶わない恋だって判ってて告るなんて、う~っ、腹が立つ~~!!」
目くじらを立てた咲ちゃんは容器に入ったサンドイッチを片っ端から口に入れてジュースで一気に流し込んでいく。
「そもそもさ、相手が悪いのよ。よりにもよって先生だなんて。確かにさ、禁断の恋って惹かれるけど叶わなくて泣きを見るのが相場じゃない? そう思うでしょ、葵も」
「う、う~ん…?」
「もしかしたらなんて期待もあるけどさ、結局最後には悲しい別れが待ってるじゃない、大体」
咲ちゃんは一つため息をつくとジュースを飲み干した。
「で、でも…ね」
あたしはちょっと納得いかない気がして思わず口に挟もうとした。
「ほら、世間的に禁じられてるからほとんどが成就しないじゃない。教師と生徒とか、親子とか兄妹とか、妻子持ちの男だとか常識で考えたらあり得ないでしょ?」
兄妹…。咲ちゃんのその言葉にズキンとした。
「私だったら報われない恋なんてしないもの!」
咲ちゃんはガンと言い放つとすっきりしたようにジュースのパックをぐちゃっと潰す。
あたしは黙ったまま、お弁当をかき込んでいた。
禁断の恋、叶わない恋、報われない恋…その言葉だけが胸に焼き付くのを感じながら。




