門前払いの藤堂家
翌朝、鏡越しに映る目を腫らしたあたしの顔。
昨日は結局泣き通しだった。
ご飯と声を掛けられて顔を洗って誤魔化した後、風呂に入ってまた泣いた。
おにいちゃんに会えたのに何も出来なかった自分を嘆くために。
そしてもう姿を現さないと発した言葉を聞き入れないように。
何も出来なくてどうしようもないあたし。
不甲斐無くて非力な自分自身に情けなくて涙が止まらなかったんだ。
どうしよう、何度顔を洗ってもものもらい状態は治らない。
困ったなあ、これじゃあ誰だか分かんないよ。
仕方が無い。これで学校に行くしかないと開き直り。
「おはよう、あお…いい?」
咲ちゃんが下駄箱で驚きの声を上げる。
「葵、よね? どうしちゃったの、その顔は…」
「えへへ、虫に刺されちゃったのかも?」
訳の分からないことを言って誤魔化してみる。
「と、とにかく、こっちに来なさい!」
あたしの手を引っ張る咲ちゃんは慌てた様子で保健室に向かった。
「これ、当ててればしばらくすると腫れは引くから」
保健の先生から氷をもらうとあたしの顔に押し付けた。
「うっ、冷たいっ!!」
目蓋に当てた氷のうがジンジンと疼くように効いてくる。
「葵、そこから階段だから、気をつけて!」
咲ちゃんは視界不自由のあたしの手を引くと教室へと導いていた。
「う、うん」
足元を確認するようにゆっくりとした歩調で進む。
「…ねえ、葵」
ふと咲ちゃんが掴んだ手をギュッと握り締める。
「私で力になれることがあったら話してよね」
「えっ…」
「葵が何かを抱えてるのは判ってる。苦しそうな葵を見てると辛いんだ」
「…咲ちゃん」
胸の辺りがじんわりとして目頭が熱くなる。
咲ちゃんの優しい気持ちが沁みてくる。
「あ、ありがとう、咲ちゃん。…でも今はうまく言えない」
あたしはそう言うと咲ちゃんの手を強く握り返した。
「わかった。いつだっていいから待ってる」
いつもあたしのこと笑っているようにみえてちゃんと見てくれている。
咲ちゃんも真琴ちゃんも本当に優しい。
あたし、今までこんな風に悩んだことなかったからどう話していいのか分からない。
だけど二人ならきちんと聞いてくれるよね、きっと。
そう思うと心が少し軽くなった気がした。
「真琴ちゃん、ごめんね。もう少ししたらうまく話せると思う」
放課後、金曜日の夜から気まずい空気が消えなかった真琴ちゃんにきちんと伝える。
「もう葵、分かったから部活行くよ」
教室から出てくる真琴ちゃんを待ち伏せて驚かせた。
何だか少し空気が軽い。泣いていた昨日が嘘みたい。
咲ちゃんや真琴ちゃんの存在のおかげかな。
待ってるって言葉の魔法で立ち止まったままのあたしが歩き出せた。
部活を早退した後、あたしは藤堂家の前に居た。
長くて高い塀の向こうは数ヶ月前には住んでいた別館がある。
車が出入りするための大きな門扉の片隅に防犯用のインターホンがある。
ここにいるのはおにいちゃんの行方がどうなったのかを知るため。
昨日から一晩経ってるし、もしかしたら戻ってきてるかもしれないしね。
あたしは深呼吸するとインターホンを鳴らす。
「あの、堀川と申しますが、貴裕さんはご在宅でしょうか?」
「失礼ですが、どちらの堀川様でしょうか?」
冷たい口調の知らない声が聞こえてくる。きっと本館のメイドさんだ。
「えっとちょっと前にお世話になってた堀川葵です!」
少し間があった後、変わらない口調が響き渡る。
「少々お待ちください」
しばらく待った後、インターホン越しから聞きなれた声がした。
「葵、一体何しに来たの?」
「お、お母さん? 何しにってあの、おにいちゃんのことで…」
昨日の今日で慌てふためきしどろもどろ。
「…それで?」
お母さんの口調は相変わらず責められるような感じがする。
「あ、あのね、おにいちゃん、見つかったの?」
相手は四角いスピーカーだもん、負けるもんか。
「用件はそれだけなの?」
突き放すような鋭い声が返ってくる。平気なんだから。
「うん、どうなったのか心配で…」
言いかけるあたしの声を遮るようにナイフのような言葉を投げかける。
「葵、藤堂家に泥を塗るようなこと、止めてもらえるかしら」
「えっ?」
「とにかく二度と訪ねてこないでちょうだい」
一方的に捲くし立てられるとプツッと切れてしまった。
シンと静まり返った空気が流れる。
藤堂家に泥を塗るってあたしの存在が泥を塗るってこと?
あたしがここにくることが迷惑をかけてしまうの?
おにいちゃんと住んでる時はそんなことなかったのに?
結局、おにいちゃんが見つかったかどうかってことは分からずじまい。
壁にもたれながら夜空を見上げると星が瞬いていた。
3日前のこんな夜、おにいちゃんと会ってたんだな。
少ししんみりとなりながら背を起こす。
仕方が無い、訊けない以上は帰るしかない。
後ろ髪ひかれる思いで歩き出す。
そうやってとぼとぼ歩いていると背後から車の気配。
気づいて慌てて脇へと避ける。
車が通過したと思った時、突然急ブレーキ。
その後、すぐにバックであたしに近づいてくる。
驚くあたしの横で停車した途端、後部座席の窓が開く。
「葵じゃないか?!」
そこには長めの前髪をたらした明人さんの顔があった。




