困惑の訪問者
…おにいちゃん、憶えていてくれたんだ。
あたしは受け取った箱をそっと抱きしめた。
帰宅後、転んだと誤魔化した泣き顔でお父ちゃんとお寿司を食べ、ひと段落。
朝の早いお父ちゃんは風呂に入ると洗面所へと向かった。
一人きりになった部屋の中、夢の国の包装紙を見てふと思い出す。
あの時のあの出来事を。1ヶ月間のご褒美とはしゃぎまくったあたし。
いろんなアトラクションに連れ回し、いろんなお店へと入った。
そこにガラス細工を取り扱うお店があったんだ。
『うわぁ~、綺麗だなぁ』
ショーケースに飾られた細かなクリスタルガラスの数々。
ライトに反射してキラキラと輝いていた。
中でも靴の形をしたガラスに目が留まる。
『カワイイ』
釘付けになりながら魅入っていると店員さんが声をかけてきた。
『とても素敵でしょう? そちらは特殊加工を行なってますので光の具合で七色に光りますよ』
言ってショーケースから取り出し、光らせてみせた。
『わ、ホントだぁ!! すっごくキレイ』
『さらにお名前など刻印ができるようになってますので世界に一つだけのお品となります』
『ええ~! 世界に一つ?!』
『はい、お客様。ですのでこちらは誕生日や記念日など特別な日に贈られる方が多くいらっしゃいます』
そんな風に驚いているとおにいちゃんが近づいてくる。
『…どうした? 欲しいのか、葵?』
思わずうんと言いそうになった矢先、目に飛び込んできた値札。
えっと、0が5つぐらいある?!
『それじゃあ、包んでくださ…』
言いかけるおにいちゃんに慌てて待ったを掛ける。
『あ…、あの、いらないっ! いらないよ、おにいちゃん!!』
『遠慮するなよ?』
『ううん、ダメ。絶対にいらないから!!』
そう言い張ってあたしは強引に店を出る。
ここに来ただけでもとっても嬉しいのにあんな高いものを貰うだなんてダメダメ!!
『葵、本当にいらないのか?』
おにいちゃんがゆっくりと追いかけてくる。
『うん、いらないよ。本当にいらないから。…それにあれは特別な日に贈られるものってお店の人が言ってたもん。だから、いらない』
『…誕生日とか?』
『そうだよ。今日はご褒美でここに来てるだけなんだから関係ないもん!』
『それじゃあ、17歳の誕生日に贈るよ』
『いい。さっきぬいぐるみを買ってくれたからそれで充分だよ』
『…そうか?』
おにいちゃんは曖昧に微笑むとそれっきり何も言わなかった。
きっと気づいてたんだと思う、小さい頃に憧れてたガラスの靴。
本を読んでくれた本人だもんね。欲しい欲しいってねだってたあの頃。
いつか葵に…って幼い頃の約束。
それがこんな形で受け取るなんて思いもしなかった。
会いたかったおにいちゃんが誕生日に届けてくれた贈り物。
だけどそれは幻でも見ているかのような信じられない時間。
触れてしまうと消えてしまいそうな光景。
頭の中は久しぶりに見たおにいちゃんの姿がしっかりと焼きついている。
少し痩せたよね? 顔色ちょっと悪くなかったかな?
余所余所しかったのはあたしが許してないと思ってるから?
だったら違うのに。もう、違うって確信した。
会いに来てくれたおにいちゃんの存在が大きいことを再確認。
まともに顔を見ることも出来ず、声を発することさえままならない。
おにいちゃんの姿が、声があたしに降り注いできて受け止めることしかできなかった。
――もう葵の前には姿を現さないから、安心してくれ。
あたしが聞きたかった言葉はそんなんじゃない。
今になって身動きの取れなかった自分を悔やむ。
全身でおにいちゃんへの気持ちを感じて立ってるのが精一杯だったんだ。
おにいちゃんが好き。この想いはもう消せない。
ぶつけようの無い気持ちを抱えてあたしはどうすればいいのだろう?
久しぶりの再会が最悪の結果になるなんて。
会いたい、もう一度おにいちゃんに会いたい。
今日言えなかった事をきちんと伝えたい。
会ってちゃんと話したい。信じられるから詳しく聞きたい。
お母さんが仕組んだといってた事故の理由を。
どうしてそんなことをしたのかという真実を。
おにいちゃんの後ろめたさでもう姿を現さないって言うのなら…。
…あたしから会いに行けばいい?
だけどもう一つ気になるあたしの中の不安。
もし真相を知ってしまったら本当におにいちゃんのこと許せるのかな?
お母さんの言うように全てを忘れた方が幸せなの?
藤堂家のみんなともおにいちゃんとの関わりも全て忘れて?
頭の中がごちゃごちゃして訳が分かんない。どうしていいのか考え付かない。
結局、何も出来ず足踏み状態のまま進めない。
そして不安定な気持ちのまま過ごした週末。
「お父ちゃん、ただいま」
バレー試合終了後の日曜日の夕方。迷路から抜け出せない気持ちを抱えたまま家へと帰宅。
「葵、正直に答えなさい」
そこには血相を変えたお母さんが、居た。




