元通りの日常
「葵、いなくなったと思ったら突然いるんだもん、ビックリよ」
咲ちゃんが頬杖をつきながら驚いたように言う。
今週末にはゴールデンウィークに入るという4月の下旬。
あたしは前の高校へと戻っていた。
朝のSHLで転校生って形で紹介され、顔見知りの同級生は声を上げた。
2年生になったクラスでは咲ちゃんとだけ同じ。
「それにしてもさあ、今までどこに居たの? 葵」
「えっ?」
「突然、週明けに転校しましたって伝えられてさ。おかしいと思って電話しても通じないし、家に訪ねても誰も居ないし。本当は失踪したんじゃないか?…って」
「し、失踪?!」
「そうだよ。真琴ちゃんは葵が頭をぶつけたせいで急に記憶を無くしていなくなったのかも? とか言ってたし。私なんて葵が食べ物につられてどこかについて行ったって考えたもの」
真琴ちゃんも咲ちゃんも…相変わらず。
「…ちょっといろいろあって」
「まあ、見るからに犯罪に巻き込まれたって感じじゃないからホッとしたけどね」
安心したように咲ちゃんは笑った。
「でもね、本当に心配したんだよ? 私も、真琴ちゃんも…」
咲ちゃんの瞳がまっすぐ突き刺さる。
あたしの行動のせいでいつも心配させてたもんね。
今度ばかりはちょっと違ってて真剣な気持ちが痛いほど伝わる。
きっと真琴ちゃんも同じなんだろうな。
「…うん。ごめんね、ありがとう、咲ちゃん」
だけど今のあたしはこう言うのが精一杯だった。
咲ちゃんはそれ以上に何も聞いてこなかった。
放課後になってバレー部に顔を出す。
約2ヶ月半ぶりの部活動。
新1年生も入っていて少し賑やかになっていた。
真琴ちゃんも先輩もあたしの身体をバシバシと叩いて迎え入れてくれた。
「葵、少し身体がたるんでるぞっ! サボってたせいだぞ、きっと!」
真琴ちゃんの潤んだ瞳が温かかった。
何も聞かれないまま、通常の練習が始まっていた。
そんな感じで復帰の1日目が終了した。
「ただいま!」
「おう、おかえりぃ! 葵」
家に戻るとお父ちゃんが居る。
狭くて古い1DKの安アパート。
立て付けが悪くて壁が薄い。
…懐かしいあたしの家。
「どうだった? 学校は?」
玄関で靴を脱いでいると台所に立つお父ちゃんが声をかける。
「うん。相変わらずだったよ。…みんな変わってない」
「そうか、良かったな」
「うん」
お父ちゃんはニカッと笑うと包丁を動かす。
葵が料理をするとろくなことがないからとお父ちゃんが食事担当。
力強くて大胆で素朴な男の料理。
お母さんたちがいなくなってからずっと作ってくれていた親しみのあるもの。
その当たり前だった日々が本当に戻ってきたんだ。
おにいちゃんの裏切りを知ったあの日。
別館に戻ったあたしはベッドで泣き崩れていた。
胸が苦しくて張り裂けそうでどうしていいのか分からなかった。
「葵、入るわよ」
しばらくしてノックの音がし、お母さんの声がした。
うつ伏せて泣いているあたしの耳元で囁く。
「…ねえ葵? 全て元通りにしてあげるわ」
「え?」
泣き顔のままお母さんを見つめる。
「今までの生活に戻してあげるって言ってるのよ」
お母さんはベッド脇に立ったまま、見下ろすようにはっきりと告げた。
「今までの、生活に?」
みんなのいる学校での楽しい日々。放課後の部活動。
お父ちゃんとの二人きりの生活。
その生活が戻ってくるっていうの?
「そう。但し、ここでの生活は忘れるっていうのが条件で」
「…ここでの生活を?」
「ええ、貴裕が行なったことを全て忘れて欲しいのよ。そう約束できるなら元に戻してあげるわ」
おにいちゃんに対して疑心と絶望の気持ちで一杯だったあたしは無意識に頷いていた。
約束通りお母さんはすぐに元の生活が出来るよう動いていた。
壷の件も事故の件も何も心配しなくていいように。
青木さんの怪我や会社の名誉も全て保障するって。
住み込みをしていたお父ちゃんを運送会社に戻して、あのアパートに。
あたしも元の学校の手続きを済ませ、この屋敷から出れるように。
翌日には全て片付いていてあとは別館から去るのみとなった。
短い間だったけどお世話になったあたしの部屋。
そこから大した荷物も無く出て、玄関に通じる階段へと向かう。
「葵!」
階段を降りようとした時、背後から呼び止められる。
振り向かなくても分かるおにいちゃんの声。
「許して欲しいとは言わない、だけど…」
「葵、何をしているの? 急ぎなさい」
その声を遮るように階下からお母さんが近づいてくる。
腕を捕まれ、急かされるようにして階段を下りていく。
途切れた言葉に後ろ髪惹かれるように振り返った時、おにいちゃんと目が合った。
だけどそれはほんの一瞬ですぐに離れてしまった。
「ここでお別れよ、葵。約束、忘れないでね」
ベンツがアパート近くに停まる。
「…お父ちゃんに会っていかないの?」
降りながらお母さんに聞いてみたけど、そのまま車は去っていった。
きちんとお別れすることなかった10年前と同じような感覚で。




