芽生えた気持ちと思わぬ再会
「…さま? 葵様?」
マサさんの声がする。
「は、はい!」
「失礼いたします。何度ノックなさってもお返事が無いのでどうなされたのかと…」
「えっと…あっ、あの…、ごめんなさい…」
そうだ! おにいちゃんが帰ってきてたんだもん。専属の仕事があるんだった!
メイドワンピ姿のまま、明人さんとひと悶着あって、それからおにいちゃんと…。
…お、おにいちゃん、と!
思い出すだけでカァ~と身体が熱くなる。
どうしよう、またドキドキしてきた。
「す、すぐに行きます!」
もつれながらも慌てて立ち上がり、マサさんに近づく。
「い、いえ、それが…。貴裕様からのご伝言でしばらくご不在になるので専属の方はよろしいとの事です」
「いないんですか? さっき…」
「実は先程お出かけになりました。急用が出来たそうで…」
「そ、そうなんですか」
それを聞いてから何だかホッとするあたしがいる。
今でもドキドキしてるから平然と顔を合わせられないような気がするから。
これでおにいちゃんの専属やってたら失敗ばかりしそうだもん。
とはいえ、おにいちゃんが留守の間、どうすればいいの?
ふと明人さんの顔が浮かぶ。
ひと騒動を起こしたばかりであんなことで終わるはずが無い。
おにいちゃんが居ないとなるともっとすごいことになる気がする。
しかもあんな発言の後だし、明日からどうなっちゃうんだろう?
「幸いにもお屋敷は静かになることでしょうし…」
マサさんは意味ありげに微笑む。
どういう意味なんだろうと首をかしげると少しホッとしたように答える。
「しばらくお屋敷には葵様、お一人きりとなりますので」
「えっ? ひ、一人なんですか? あの…、明人さんは…?」
「それが明人様も少し前に急にお出かけになられましてしばらく留守になさるご様子だとか…」
「ど、どこにですか?」
「さあ? 存じ上げませんが慌てて出られたご様子で」
「そう、ですか…」
明人さんまでいなくなってしまった。
顔を合わせなくてすむとホッとするような、しないような…。
その反面、二人が合わせたように姿を消したこともちょっと気になる。
隠し事がばれてしまった後だし、何も無ければいいんだけどな。
「では葵様、ご夕食に案内いたします」
一通り話し終えたマサさんが本題とばかりに張り切りだす。
あれ? もう、そんな時間なの!
明人さんが居るようになっておにいちゃんの帰りが早くなったため、夕食の時間は7時半になっていた。
本来なら専属業務でそれまでに諸準備を終えてなきゃいけなかったのに。
この時間まであたしはボォ~としていたことになる。
それもそうだよね? と、突然の出来事だったし。
そして思い出してしまうおにいちゃんとの時間。
…どうしよう、ドキドキが止まらない。
この現象、いつまで続くのかな?
ホント、一人きりになれて良かったかも…。
「葵様、どうかされましたか?」
「い、いえ」
そう答えつつも完璧に頭の中は上の空で壁にぶつかりそうになる始末。
何を食べたんだかあまり記憶の無い夕食後もぼんやり。
お風呂に入っても布団に入ってもおにいちゃんのことが思い浮かんで仕方が無い。
その度に胸の鼓動が高まって身体が熱くなってどうしようもなかった。
ふんわりと包み込むようにそれでいて力強く抱きしめられた感触。
おにいちゃんの何か言いたげな瞳が焼きついていて切なくなる。
そっと顔を覆った暖かくて優しい両手。
それから…。
突然で驚いたけど、嫌だとは全く思わなかった。
それどころかホッとしたというか落ち着けたというか…。
何だろう、この気持ち。
おにいちゃんだから良かった、って思えるのは…?
それから一人きりの生活で数日が経った。
その間、頭の中はおにいちゃんのことばかり。
顔を合わせられないと思えたのは最初だけで翌日から居ないことに空虚感を憶えた。
いつもそばに居たおにいちゃん、今ここに居ないのがすごく寂しい。
ドキドキが収まらないけど、前のようにそばに居て欲しい。
そのことしか考えられなかった。
おにいちゃんに会いたい、ただそれだけだった。
「葵様、こちらへお越しください」
学校から戻るとマサさんが玄関で待っていた。
着替えもままならない状態で本館の方へと促される。
「どうかしたの?」
「貴裕様が戻られました」
それを聞いた瞬間、胸が高鳴った。
おにいちゃんが帰ってきたんだ!
久しぶりに会える! 早く会いたい!!
…でも、何で本館なんだろう?
そう思いつつも嬉しい気持ちで満たされる。
2階の廊下から本館へと続く道のり。
ほぼ立ち入ることの無い場所に向かっているのに逸る気持ち。
1度だけマサさんから案内された本館は3階建ての建物。
1階が主に広間、2階がゲストルーム、3階がプライベートルームとなっている。
多分、別館の倍以上の広さがある。
もちろん明人さんの部屋も本館の3階。
誘われても近づかなかったからどの部屋なんて知らないけど。
そのプライベートにあたる3階に向かってマサさんはあたしを案内している。
「こちらでお待ちください」
応接室っぽい部屋に案内され、ソファーに腰掛ける。
別館とは全く違う雰囲気で何だか落ち着かない。
早く来てよ、おにいちゃん!
マサさんが出ていった後、足をばたつかせながらソワソワしてしまう。
しばらくするとノックの音がし、ドアが開く気配があった。
来た!
そう思って期待を胸に振り返る。
「…葵?」
そう言葉を発する人物にあたしは驚いた。
くせの無いまっすぐに伸びた短い黒髪で色白の女性。
おにいちゃんと同じ茶色がかった瞳を持つその人。
「…お、お母さん?」
想像もしなかった登場人物をただただ見つめるのみだった。




