奇妙な安心感
「…ぉい、葵」
眠っているあたしの耳元で名前を呼ぶ声が聞こえる。
「…ふぇ?」
朦朧とした意識のまま、目を開けると枕元におにいちゃんの顔が!!
「ひゃ!!」
驚いて飛び起きるとおにいちゃんがガウン姿で腕を組んで見下ろしていた。
「お、お、おにいちゃん!?」
「全く…貴裕様、だろ?」
「なななな、何で?」
「ここのところ専属をサボってただろうから起こしに来てやった」
確かに時計を見れば朝の8時過ぎ。
いつもの休日業務ではそろそろ起きる時間だ。
専属休業モードに入ってるあたしはすっかりだらけていた。
というより、食事まですること無いから寝てるわけだし。
「ほら、起きろ。今日からいつもの生活だ」
おにいちゃんはあたしの腕を引っ張るとベッドから引き擦り出す。
昨日と打って変わって普段通りの様子。
「…いつもの、生活?」
寝起きのボォ~とした頭でその言葉の意味を考えていると、
「ところであれは何だ?」
おにいちゃんが指差す方向を追えばよたった巨大ぬいぐるみ!!
「…わぁああ!」
慌ててその場に駆け寄り、覆い隠す。
「いや、その…。あの…」
「買って一週間のうちに何故こうなる?」
「ととと、とっても気に入っちゃって! ははは」
「全く…。これじゃあ、うかつに留守もできないな」
頭を抱えるおにいちゃん。
「ご、ごめんなさい。悪気があったわけじゃぁ…、えっ?」
今、おにいちゃん、なんて言った?
「る、留守? …あれ、もしかしてずっと家に居なかった、とか?」
「葵、一緒に住んでるのに気づかなかったのか?」
「いや、その…」
もともと夜は帰りが遅かったら顔を合わせることが無い日常。
てっきり美佳子さんと一緒に部屋に居るものだと思ってた。
学校ではよく二人を見かけたって聞いてたし。
それに火曜日から専属がお休みになって一人で過ごすことが多かったし、美佳子さんからの頼まれごとに対処してたから分かんなかった。
確かに気配は感じなかったけど、あたしが知らない間に家に居るものだと。
もっとも悶々とした気持ちだったし、そんな周りを見る余裕すらなかったけどね。
「ほ、ほら、広いお屋敷だし、ね?」
「…隣の部屋だろ?」
ため息交じりで呆れた口調のおにいちゃん。
「ま、それより時間がないから急いだほうがいいぞ」
「え?」
時刻が8時半を過ぎていることに気づき焦る。
「うわぁ~!! 着替えるから出てって~~!」
慌ただしいいつもの朝が戻ってきた。
一通りの業務を終え、食事室に。
5日ぶりでいつもより失敗が増えていたってことは秘密。
それにしても朝から美佳子さんを見かけない。
家で1日1回以上は必ず会ってたのに?
テーブルの上には二人分のセッティング。
おにいちゃんと美佳子さんの分と思ってたけど違うみたい。
不思議に思い、マサさんに尋ねると昨日のうちに屋敷を出た、とか。
何でも急用が出来て日本を離れることになったみたい。
婚約者と過ごす日々が無くなった今、以前の日々が戻ってきたのかな。
だからおにいちゃんが言ってたいつもの生活ってこと?
専属として過ごす二人だけの日々、が?
変なの? 何だか心が軽くなった気がした。
人払いをして久しぶりに二人揃ってのお食事タイム。
だけど美佳子さん、おにいちゃんと仲直りしたんだろうか?
それが気になって一緒に食事を取ってるおにいちゃんをちらちらと見てしまう。
「さっきから何だ?」
「…いやぁ、そのぅ。…み、美佳子さん、今日出発なんだってね?」
おにいちゃんは一瞬嫌な顔をし、軽くため息をつく。
「葵は余計な心配をしなくていい」
「でも…」
「…それよりマサから聞いてた。美佳子が勝手に葵を使ってたこと」
昨日の怖い顔がよぎる。
「それはあたしがつい引き受けちゃって…」
美佳子さんからにっこりと微笑まれるとね。
「まあ葵のことだから流されてたとは思ってたけど…」
「…マサさんから怒られたけどね」
ただ笑うしかない。
「だけど葵は使用人じゃないからな」
突然、おにいちゃんは立ち上がり、あたしを見下ろす。
おにいちゃんの瞳がまっすぐ突き刺さる。
「葵はオレの大事な…、オレだけの…、専属、だから」
何だろう? 真剣な眼差しに胸がドキドキする。
「…う、うん」
急に顔を合わせられずに俯きがちに返事する。
どうしたんだろう?あたし。
収まらない動悸を誤魔化すため、目の前の食事にがっつく。
何だか恥ずかしくて顔が見れない。
食べ物へと集中してる素振り。
「…相変わらずよく食べるな。専属をサボった期間、少し太ったんじゃないのか?」
おにいちゃんは座り直すとため息交じりに苦笑。
「え?」
ドキン! 実は昨日お風呂あがりに体重計に載ったら3キロ増。
食べてゴロゴロしてた日々の成果。
やっぱり分かっちゃうのかな? ショック!
ドキドキに加え、ショッキングな発言に動揺するあたしは焦って話を逸らす。
「…お、お、おにいちゃんこそ、しばらく見ないうちに痩せたんじゃないの?」
「そうかもな」
あっさりとおにいちゃんは答え、にっこりと笑う。
「葵もゴロゴロして太ったみたいだし、身体を動かさないといけないな?」
「……」
図星だと判断して答えられないあたしを見てますます笑ってた。
千里眼なおにいちゃんめ!!
「とにかく今日からビシビシと使ってやるから覚悟しとけよ」
片目を閉じて意地悪そうに指差すおにいちゃん。
「も~~ぅ!!」
美佳子さんがいなかった頃のいつもの雰囲気。
嘘みたいに今までの生活が戻ったような感じで安堵感を覚える。
だけど突然動き出す小さな鼓動。
そのドキドキは消えることはなかった。




