鈴の音
ちりん。
鈴の音がした。
そして、GR70は目が覚めた。
――鈴を返さなくては……。
メモリーバンクの片隅に残っていた、かすかな記憶が、彼にささやいた。
視覚センサーをオンにして、GR70はあたりを見回した。
旧型の冷蔵庫や、テレビが乱雑に投げ込まれていた。脚の折れたテーブルや、タンスが何層にも積み重なっている。
状態を確認するため、そのまま、視覚センサーを自分の体に向ける。錆びた右手に、油のもれた左足。胴体には、油性マジックで「粗大ゴミ」の張り紙がしてある。
長年にわたり、家事全般をこなしてきた万能ロボットは、メーカーに部品のストックがないために、あっさりとゴミの島にやってきた。
かたわらで、カモメがゴミをつついている。
どうやら、このカモメが、GR70のメインパワーに触れたらしい。
ちりん。
GR70は起き上がろうと、体を傾けたが、うまくいかなかった。足の油圧系がイカれている。気がつくと、身体中がギシギシと音を立てているのが、わかった。
「もう、ダメなんだろうか?」
GR70は自己診断しながら考えた。あちこちのパーツが悲鳴をあげているのが、よくわかる。
「どうした?」
不意に、そう声がした。
GR70が錆びた首をなんとか動かすと、そこに、二世代前の老朽ロボット、AP50が仰向けに、転がっていた。
「どうした?」
その声は、ふたたび訊ねた。
「…足が動かないんだ」
GR70は戸惑いながら、応えた。
すると、老朽AP50は「どれ」とつぶやいて、アイ・ボールを動かした。
「なるほど……そいつは、まずいな。運動制御チップが焼ききれて、油がもれだしてるんだ」
AP50は低くモーターをうならせた。
「もうダメかな?」
「ああ、だめだな……でも、もう動く必要もないだろう」
「絶対に直らない?」
「そんなことはないだろうが……なにかあるのか?」
なにかありそうな口ぶりに、AP50は聴覚センサーの出力を上げた。
「鈴を返したい」
「鈴?」
「大切な鈴なんだ……主人から預かった、大切な鈴」
GR70は、いまの主人が子供のころから、働いていた。
そして、その鈴は、主人が子供のころに宝物にしていた鈴だった。
「“ぼくの宝物……持ってて、なくさないでよ”――そう言われて、いままで持ってたんだ。返さないと」
GR70は、バッテリーボックスの隙間に、しまいこんだ鈴を体ごと振った。
ちりん。
ゴミの山には似合わない、澄んだ音色が響いた。
「そうか…」
AP50は、短くつぶやいた。
「だけど、もうダメだね……粗大ゴミになってしまっては」
「いや、まだだ」
老朽AP50は起き上がった。
「お前はまだ、ロボットだ……粗大ゴミじゃない」
AP50は自分の運動制御チップを引き抜いた。すぐに補助チップが作動したが、動きが格段に鈍くなる。
老朽AP50は、その鈍い動きで、GR70のチップを付け替え、油圧系を修理し始めた。
「慣れないと、手が震えるな」
「どうして、急に…」
「へっ、ずっと、空を見てるのが、嫌になったのさ」
AP50はうそぶいた。遅々とした作業は、確実に進み、GR70に昔の感覚が甦ってきた。
「ありがとう……あなたの名前は?」
GR70は礼を言い、老朽AP50を見た。
AP50はスローモーションのような動きで、ゆっくりと座り、言った。
「“粗大ゴミ”に名前はない……いいから、行きな」
彼は、それ以上なにも言わなかった。
GR70もなにも言わずに立ち上がり、歩き始めた。
ゴミの山には似合わない、澄んだ音色を響かせながら……。