07 ※入視点
物心付いた時から周りも自分にも興味なんてなかったんだと思う。
双子の姉の出は眼中になかった。
双子だというのに、誰よりも過ごした時間は長かったはずなのに、顔さえ思い出せない。そんな私は異常な程、周りに関心がなかった。出が何を話したか、とか、どんな表情をしていたのかなんて、私は……知らない。
違う高校に、出が入学してたのに気が付いたのはずっと時間が経ってからだった。
小学校も中学校も、同じ学校で、高校もずっと一緒だと思ってた。思ってたから、夏休みが始まる直前で、ようやっと気が付いた。
「…辞書忘れてきちゃった…」
「え、今日って辞書使う日だっけ?」
「ううん。今日は放課後ちょっと勉強してから帰ろうと思って」
「相変わらず真面目だねぇ」
「あはは…」
曖昧に笑って、比較的仲の良いクラスメイトに愛想笑いを見せた。
この子は、友人ではない。何回か一緒に遊んだだけのただのクラスメイトの一人にすぎない。
勉強してから帰ろうと思ったのは本当。家に帰ると母親が煩いから、家に帰る時間を先延ばしする言い訳を作ってるだけだ。
「ちょっと、姉の所に行ってくるね」
「姉なんて居たの?」
「居たよー。双子の姉がね」
携帯を取り出して、新規メール画面を開く。
「ねぇ、私の記憶が正しければ、うちの学年で真柴って苗字の奴、アンタだけよ」
「………………………………………………え?」
かなりの間を開けて、ようやく絞り出した声は、自分でもわかるほどに驚愕に満ちていた。この子の記憶違いなのではないかと思って、見た目に反して女の子大好きな勇雅にメールを送る。勇雅はあんな堅物な容姿をしていて女遊びが激しくて、校内の女子の顔と名前は全部覚えているというアホの子だ。
「ねぇ、入。あんたの姉ならすぐに噂になってるわよ」
「………も、もしかして、入学してからずっと引き籠りになってるとか?」
「それも結構珍しい事だから、すぐに噂になってるわ」
呆れたと言わんばかりに、緩く首を振るこの子は重たく長い溜息を吐き出した。
携帯が震え、すぐにメールを開けば、「そんな子は学校に居ない」とやたらとキッパリとした答えが返ってきた。
勇雅は、次席入学したらしく入学式が終わってすぐに絡んできた。勇雅は自分が主席だと思ってたらしくかなり悔しがっていた。
「…………うそ…」
メールの内容に愕然としながら、では出は一体どこの高校に行ったというのだろうと一向に冷静にならない頭で必死になって考える。だいたい、家族の誰もそんな事言ってなかった。
「お母さん!」
放課後、予定してた勉強を放り出して、家に慌てて帰るとお母さんは私の大嫌いな人参の皮を剥いていた。
「人参何に使うのよ!」
「今日はカレーよ」
「やった!」
カレーは味が濃いから人参を薄く切ってもらえれば食べられない事はない。味しないし。
「じゃなくて…。出は?」
「………は?」
カンカラカーンという虚しい音を立ててお母さんが持っていた赤いプラスチックのピーラーが落ちた。
「出、まだ帰ってないの?」
「………え?」
目玉が零れ落ちそうなほど瞼を限界まで開けるお母さんは、瞬きする事を忘れて私の方を見る。
「……出なら、今通ってる高校に近いとこにアパートの一室借りてるから家に居ないけど…」
「…………え?」
今度は私が目玉が零れ落ちそうなほど瞼を限界まで開ける。
「言っとくけどね、最初に言ったわよ。それこそ、入が今の学校入学する前に言った。それに入の目の前で引っ越し作業もしてた」
「………え?」
「あんたどれだけ出に関心なかったのよ」
それから出が今通っている学校名を聞いて、「不良の溜まり場じゃない!」と叫んだ後に「なんで私と一緒の高校じゃないの」と聞けば、出の成績の事を初めて聞かされた。出の成績ではレベルの高い高校には入れないし、気付けば高校の受験を終わらせて合格通知も貰った後だったのだと言う。
「ていうか、なんで気付かなかったの。流石に同じ家に居るんだからわかるでしょ」
「……だって、出と家で顔合わせる事ほとんどないもん」
(ま、まぁ、避けられてたからね…)
その時のお母さんの顔が物凄く引き攣った笑顔だった事に下を向いていた私には気付かなかった。
それから、なんとなく普段は入る事のない出の部屋に入ると、自分の部屋とは違った匂いがして一瞬、知らない人の部屋に入った気がした。
ベッドと、机と私とお揃いのオレンジのカーテンが垂れ下がったなんとも殺風景な部屋のクローゼットを開けば、多分お母さんが、出がいつ戻ってきてもいいようにとある程度揃えた衣類がハンガーに掛けられてあってその下には小さい本棚があった。その中にアルバムを見つけ手に取ると、その場に座り込んで1ページ1ページ開いていく。
「……これ…出…?」
自分とは似ていない顔をマジマジと見ながら、それでも自分と似ている共通点がある事に気が付いた。
しばらく見ていなかった双子の姉の顔を忘れるなんて、私はどれだけ出の事が眼中になかったのだろうか。
高校は楽しかった。いつの間にか、勇雅が友達になっていて、気付けば、チカも圭一も、優貴も私の傍に居た。
それでも時たま、ふと出の事が脳裏に過ったけど、それだけだった。出の事で何か気にする事もなければ会いたいと思う事もなかった。ただ楽しい毎日を過ごしていただけだった。
「俺、転校する事にした」
「は?」
放課後の教室で、優貴が唐突に言った言葉だった。優貴は他の三人と違って、いつもどこか詰まらなそうだった。たまに私に見せる優貴の目には軽蔑の色が少しだけ見えた気がした。いつもは全く気にならない事だけど、今日はなんだか気になった。
「なんでだよ!」
「自分の世界を広げる為だ」
圭一の怒鳴り声にも動揺する事なく淡々とした喋り方をする優貴がまるで別人に見えた。優貴は世話焼きだ。私が調理実習の時に失敗してもフォローしてくれる。
「親父の会社を継がなきゃいけない。その為に必要な事だ」
優貴のお父さんは、学校の理事長をしている。ここの高校だけではなく、いくつかの高校と大学と、専門学校の理事までしている。つまり優貴のお父さんは教育者だから、「ここ以外の高校に行ってどんな生徒とでも触れ合えるようにして、教育者として何が必要なのか学んで来い」と言われたらしい。
どこからどこまでが本当なのかはわからないけど、優貴はここが好きではない事がなんとなく分かっていた。だから、チカと勇雅はあえて何も言わなかったのかもしれない。
「元気でな」
そう言ってとっとと去って行こうとする優貴の背中に圭一が、空き缶を投げ付けていて優貴にラリアットを食らわせられていた。自業自得。
それから、出と接触する事はなかった。