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天使の舞踏会3

 大広間の厚い扉をもってしても、舞踏会の喧騒は遮れないらしい。賑やかな音楽を背中に聞きながら、リジンはゆっくりと歩いていた。

 ……腹立たしかった。

 自分の父親が。ローズの父親が。果ては、余計なことをしてくれた兄までも。

 底から沸き上がるように怒りは、ゆっくりとリジンを埋めつくしていった。部屋へ戻る気は、ない。

 ここで彼女を諦めてしまったら、二度とローズと踊れないだろうから。

 コツコツと靴音を響かせながら、ふと、リジンはローズの侍女、エリザのことを思い出した。

 ──彼女も、この舞踏会に来ているのだろうか。

 いや、来ているだろう。エリザはローズの侍女で、ミュール家でもあるのだから。今回のような、一夜を明かすような舞踏会に付いてこないわけがない。

 彼女を探そう、とリジンは決めた。あのエリザを味方につければ、怖いものは何もない。

 そんな偏った思い込みをして、リジンは使用人用の控室を探しに出た。





「夜風が気持ちいいですね、レディ!」

「ええ」


 バルコニーに出て、トニーはローズに笑いかけた。ローズは笑おうとして、そしてそれが出来ないことに気が付いて笑うのを諦める。わざわざ笑わなくとも良いだろう、と思った。

 トニーは自分の横に立つ女性の美しさにうっとりと見惚れた。彼女の笑みが曇る原因に、心底腹を立てた。


「……勘違い男と言うのは、気の毒なものですよね。レディ、そうは思いませんか?」


 庭園にある噴水を見下ろしながら、トニーが言う。何のことかと、ローズは彼を見た。


「……はい?」

「ウォルツ伯爵のとこの、リジン殿です。貴女のルールに従わず、無理矢理レディと踊ろうとするなんて」


 ──無理矢理、じゃないわ。

 私は、リジン様と踊りたかった。

 父親の制止を振り切って。いつまでも彼と踊れたら。それは、どれだけロマンティックで幸せな時間となるだろう。

 そもそも、どうしてそんなことを思うのかも分からないまま、ローズは燻る思いを持て余す。


「なんて図々しいんでしょうね、全く。大体、天使のようだとか言われて調子に乗ってるんですよ。天使はレディ・ローズなのに」


 トニーの言葉を聞いていたくなくて、ローズがホール内に戻ると、トニーも当然のように付いてきた。煩わしい、とローズは嘆息した。

 室内は暖かい。何事もなかったように続けられる舞踏会に、先程の騒ぎは夢だったのかと思えてしまう。

 それでも、ローズの胸の痛みは本物で、夢なんかではないことを思い知らされた。


「…レディのお優しさを利用して、もう一度踊ろうだなんて。なんとタチの悪い」

「……」


 リジンを悪く言い続けるトニーに嫌気がさして、ローズは振り向き彼を見た。

 何も知らないくせに。自分のことも、彼のことも。


「トニー様、リジン様を悪く言うのはお止めください」

「…どうしてですか?彼は、無理に貴女と踊ろうとしたのに。嫌がる貴女を、無理矢理……貴女は優しいから、」


 無理矢理、無理矢理とまるでローズを被害者のように言うトニー。

 何も知らないくせに。ただそう思った。


 普段の柔らかい口調とは違う、鋭い刃のような声にトニーは口をつぐみ、二人を眺めていたメフィス伯爵夫妻がギョッとしたように目を見開いた。


「ロ、ローズ?何があったの?」


 母親が自分に近寄るのをチラリと見て、ローズはもう一度言った。


「無理矢理では、ありません。トニー様」


 ローズの声を聞いた人が数人、彼女達を見た。ドキドキと鳴る心音は、大声を出したからか、それとも、夫人の横に立つメフィス伯爵の反応を恐れているからなのか。


「私は、私の意思でリジン様と踊ろうとしていたのです」

「──ローズ。何を言っている?」


 いつもは、ローズやルーシャンに優しいメフィス伯爵。今日は、父親の怒る場面ばかり見ている。こんなにも恐怖の対象になるのかと、ローズは顔を強張らせた。

 ──恐い。とても。

 どうしてリジンのいる時に、共に逆らわなかったのだろう。

 あの時は、こんな気分ではなかった。リジンの背に庇われた時は、ただ不安でしかなかった。

 けれど、トニーが彼を悪く言うのに、耐え切れなかった。


「お父様。……お願い、します。リジン様と踊らせてください……っ」

「……」


 メフィス伯爵が眉をひそめる。トニーは何が何だか分からない、という表情を浮かべている。

 伯爵夫人がキョトンとして首を捻った。


「ねえ、ローズ……」


 そんな時、タッと地面を蹴る音がした。それは軽い音で、そこにいるほとんどの人が聞き取れなかった。しかし、緊迫した空気の中にいたローズ達は正確に聞き取り、ふとそちらへ目をやる。


「すいません、レディ」


 ローズにしか聞き取れない小声。ふわりと優しく何かに包まれ、いきなりの浮遊感に襲われる。


「え?……えっ?」

「……っ!」


 眼前に広がる白い布に驚いていると、そのまま強い揺れが始まった。抱き抱えられたまま移動しているのだと分かる。


「ローズ!」

「レディっ?」


 後ろから自分を呼ぶ声を聞きながら、ローズは抵抗せずに自分を支える手にしがみついていた。

 ──すいません、と謝った声は、不思議なほどにローズの心を温かくした。



**




「な……何故ここに」


 使用人用の控室を開けるとエリザは、ローズをエスコートしていた使用人と話をしていた。大きな音を立てて開いた扉に振り返り、リジンを見て目を見開く。


「……エリザ!良かった、いた。私と一緒に来てくれ」

「は?え?ちょ……トール!少し空けるわっ」

「──分かりました」


 さすが使用人と言うべきか、トールと呼ばれた彼はリジンの様子に一言も疑問を漏らさなかった。かなり驚いたようだったが、当然のようにエリザを見送っている。

 彼もミュール家なのかな、と思いつつ、リジンはエリザを引っ張って歩いた。

 適当に客室を見繕い、二人で入る。ソファを勧めれば、エリザは訝しげな顔でそこに座った。


「……あの、」

「エリザ!」


 リジンが勢い込んで身を乗り出すと、それに合わせるようにエリザは僅かに後退した。


「君の力を借りたいんだ」

「……はい?」


 エリザは目を丸くした。全くついていけない。とりあえず、彼女は焦りすぎて若干混乱しているリジンを落ち着かせ、事の次第を聞き出した。






「……つまり、まあ、エリザ。君なら何か打開策を持っているんじゃないかと思って」

「………」


 心底呆れた思いでエリザが溜息を吐くと、リジンはぎこちない笑みを浮かべて天井を仰いだ。落ち着くと、自分が支離滅裂な考えをしていたことに気が付いたらしい。

 なぜエリザに会えば何とかなる、などと思ったのか。根拠が分からない。


「──端的に言わせていただきますと」

「あ、うん」

「無理ですね」

「………」

「……貴方のその、中途半端な決意と望みでは、無理です」


 一度肩を落としたリジンは、しかし、続けられたエリザの言葉に顔を上げた。


「どういう意味かな?」

「分かりませんか?」

「……分からないと思う?」


 ──分かっている。エリザの言いたいことくらいは。

 つまり、あれだけ騒ぎになったのを無理にローズと踊るということは、一曲踊って終了、などということではないわけで。

 ローズと踊りたいのなら、彼女をメフィス伯爵から奪うくらいの気持ちで臨めということだろう。

 それほどの決意があるのかと問われれば、リジンはおいそれと頷けない。

 一度ユリスが取り返しのつかないことをやらかしたのだ。次にリジンがそんなことをすれば、ウォルツ伯爵家は潰れるどころか殺される。

 ……大体、レディ・ローズがついてきてくれるかどうか。


「……。……そうだよ」


 ボソリと呟かれた言葉。エリザがリジンを見た。


「私が全ての決意をして、レディは私の手を取ってくれるかどうか……」

「──正直認めたくありませんが、ローズお嬢様は少なからずリジン様のことを意識しているかと。自覚はないと思いますが」


 本当に認めたくなさそうな……つまり嫌そうなエリザの顔を見なかったことにして、リジンは頷いた。エリザの言うことは、恐らく正しいだろう。良くも悪くも、二人は常に近くにいるから。


「それに、ローズお嬢様が嫌がっておられるようでしたら、私が(貴方を)どうにかしますから」

「……嫌がられたら諦める」

「ええ。ぜひそうなさって下さい」


 少しお待ち下さい、と言い、エリザは立ち上がった。




 一人になると、自分の気持ちをまとめやすくなる。本当に自分は、メフィス伯爵に逆らってまでローズといたいのか。

 もちろん、ローズに好意は抱いている。このまま彼女に会って話し合う生活が続けば、早々にリジンはローズへの恋心を自覚していただろう。

 心の動きに対して、環境の変化が早過ぎたのだ。


「……お待たせしました」


 いきなり扉が開き、ビクリとリジンは身体を震わせた。


「あ……」


 笑みを浮かべていない顔。エリザには、変なところばかり見せている。現に今だって、家族にすら見せたことのない不安に満ちあふれた表情を目撃された。


「リジン様。──マリッジブルーですか?」


 神妙な顔で紡がれた言葉に、リジンは一拍置いてから硬直した。


「え」

「不安そうでしたので」

「……あれって男もなるのか?」


 さあ、と首を傾げるエリザの手には、白いシーツのような布。リジンがそれの用途を尋ねる前に、エリザからそれを教えてくれた。


「まずは、ローズお嬢様をホールから連れ去ってください。旦那様から引き離すのです。その際にこの布をお使いください」


 私もローズお嬢様のため、出来る限りを尽くしましょう。

 エリザが決意の目をしている前で、リジンは一人頭を抱えた。

 自分が、ローズに布を被せて逃走するところを想像すると。

 ──完全に、誘拐犯じゃないか。



**



「あれ、リジン」

「──!?」


 静かにホール内に戻って、いきなり声をかけられた。慌てて相手の腕を引いて、壁に押し付ける。少し冷静になり、相手の顔を見た。ユリスだった。


「に、兄さん……」

「戻ってきたのか?お前も意外と度胸あんな。──ああ、いいよいいよ。メフィス伯爵に見つからないように楽しくやろうぜ。何か食うか?」


 使用人を呼び止めようとするユリスを全力で止めると、リジンは小声でローズを連れ去る旨を伝えた。案の定、ユリスは呆気に取られたようだった。


「お前、そんなことしたら──」

「多分……メフィス伯爵から制裁が下されると思う」

「最悪、家潰れんぞ!」


 今回はエリザも共犯だし、罰の軽減はない。ユリスの手は、弟を止めるようにリジンの腕を掴んでいた。


「考えなおせ。分が悪すぎる。今じゃなくても良いだろう?協力するから、もっと長期戦でいこ……」


 ユリスが、ふと横を見た。つられてリジンもそちらを見て、目を見開く。


「……私は、私の意思でリジン様と踊ろうとしていたのです」


 ──レディ。

 トニーやメフィス伯爵を見つめ、毅然と立っている女性。美しく優しい天使というより、美しくて強い、まるで野に咲く薔薇のような。

 マリッジブルー(?)も吹き飛んだ。彼女を求めることに、もう何の不安も躊躇もない。ユリスに腕を捕まれていなかったら、彼女に走り寄って笑いかけたい。

 ぼんやりと兄弟でローズを見つめていた。

 あんなにも、彼女は美しかっただろうか。


「……お願い、します。リジン様と、踊らせてください……っ」


 ユリスの手は、緩んでいた。無意識に兄の手を振り払い、リジンは床を蹴る。彼女の名を呼び、抱きしめたい。

 驚いた様子の紳士淑女の間をすり抜け、ローズの後ろに立つ。


「すいません、レディ」


 彼女が振り向く前に布を被せると、一度ウォルツ伯爵邸でしたように抱き上げた。


「え?……えっ?」


 暴れたりはしないものの、疑問を込めた声が聞こえてくる。

 視線を感じてそちらを見れば、メフィス伯爵が睨んでいた。他にも、顔を土気色にしてウォルツ伯爵が卒倒し、ユリスが頭を抱え、スティーブンが壁に背を付けてリジンに向かって手を振ってくる。

 いくら体重が軽くとも、その抱え方は腕にかかる負担が大きい。出口に向かって駆け出すと、皆がその異様な空気に道を開けた。

 途中、扉が開くとエリザが入室した。すれ違いざまに、リジンと目が合う。


「後は、お任せください」


 彼女の唇がそう動いた気がして、それに応えるように笑うと、ローズを抱えたままリジンはホールを出た。

 バタン、と重い音を響かせてしまる扉に、どうしようもない喜びを覚えた。


「リ、リジン様──っ!」

「あ、すいません。もう少しの間我慢してください」


 誰が追いかけてくるかも分からない。エリザと話し合った客室に入ってソファにローズを横たえ、扉に鍵をかけたところでようやくリジンは一息つけた。


「大丈夫ですか?レディ」


 布を剥がすと、頬を赤くしたローズが酸素を求めるように唇を開いて深呼吸した。


「リジン、様……!」

「いきなり、すいません。不愉快な思いをさせてしまって」


 しばらくローズは瞬きしたり部屋を見渡したりしていたが、リジンの顔を見ると、ニコリと微笑んだ。


「いいえ、リジン様。貴方と話せて嬉しいです」

「レディ……」

「……ごめんなさい。リジン様が出て行かれたのは、私の責任です。私が、お父様に言っていなかったから……あの日、約束したのに」


 睫毛を伏せ、申し訳なさそうに肩を落とすローズを単純に可愛いと思った。欲求に従い、包み込むように抱き寄せると、ローズは目を丸くした。


「大丈夫ですよ。だって、これから踊ってくださるでしょう?」

「もちろんです」


 ローズの細い腕が自分の背に回されるのを感じて、リジンは彼女を抱きしめる力を強めた。





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