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約束のキス


 扉から出ると、壁に張り付いていたエリザが弾かれたように身を起こした。ローズの告白に緊張していたリジンの心は、そんなエリザを見てほぐれていく。微かな笑みを見せると、エリザは心外だとでも言うように顔をしかめた。

 しかし、文句を言うよりも、不自然なその塲の空気に口をつぐんだようだった。

 何故使用人とは空気を読むのが上手いのだろう?と、それこそ空気を読まぬことを考えてしまう。


「お話は、終わったのですか?」

「いえ、違うわ。庭園を案内させていただくことになったの」

「庭園を」


 怪訝そうなエリザだったが、ローズの有無を言わせぬ雰囲気に呑まれたように、小さく頷いた。


「お供致します」

「供は大丈夫よ。用があったら呼ぶわ」


 エリザは、やはりリジンを睨むようにして見た。嫌われてるのかな、とリジンは思った。好かれてはいないだろうが。

 ローズはエリザの目の前を横切り、庭園の入口があるのだろう方向に歩いていく。リジンもついていった。


「優しいのは、私などではなくエリザだと思うのです」


 エリザが見えなくなるところまで歩いて、ローズが言った。申し訳なさそうな顔だった。普通は、主人が使用人に気をかけることなどない。

 エリザとローズが特別なのか、もしくはミュール家とメフィス伯爵家の結び付きの為せる技なのかもしれない。

 ルーシャンとその侍女のことを考えれば、後者が有力かと思われた。


「優しい……エリザが?」


 そんなわけないでしょう。

 リジンはそう言いたかったが、それは自分視点だと気が付いた。

 ローズからしてみれば、自分に忠実でいつも気にかけてくれる、優しい侍女なのかもしれない。

 何度も睨まれたリジンとしては少しも共感できない話だが。


「ええ。エリザは優しいです。分かりませんか?エリザは貴方方にも優しかったのに」


 ローズも、リジンと同じ表情──信じられない!という──をしていた。

 ……エリザが私に優しかったことなど、あったか?

 なかったと思う。絶対。


「ユリス様が私の部屋に……その、来られた時です。エリザがいなければ、ウォルツ伯爵家の方々は今頃、忙しかったと思いますよ?」


 ──忙しいって。

 遠慮がちに、ただではすまされなかったのですよ?と言われているのか。

 にこにこと微笑むローズを、初めてリジンは恐ろしく思った。





 庭園は、季節や今日の天気も手伝い、惚れ惚れするほどに鮮やかな雰囲気を醸し出していた。花は薔薇をはじめ、スイートピーやらスミレやら。男兄弟しかいないウォルツ伯爵邸の庭園はウォルツ伯爵夫人が一人で指揮っているが、この屋敷の庭園はローズやルーシャンも関わっているのかもしれない。


「私、これまで自分に関わって、父様に報復された人を何人も見ているのです」


 花を撫でながら、ローズは笑えないことを言う。


「……そうでしょうね」


 リジンも、ユリスが夜這い一人目だとは思っていない。そういうことは何度もあったのだろうな、と思っている。


「そのたびに、お父様は相手の方に仕返しをしてくださいました」


「仕返し」などと可愛らしく言うが、実際はえげつないことをやっているのだろう。メフィス伯爵は、娘を溺愛していると有名だから。


「最初は、私やエリザに隠れて仕返ししていたので、エリザは気が付いていないようだったのですが。私や……リジン様のように舞踏会に参加していれば気付きますよね?」

「自分を襲った人が、全く参加していないということを?」

「そうです。貴族として、成り立たなくなっているのだと」


 それは金銭的な意味合いでもあるし、評判や噂などでもあるだろう。メフィス伯爵に睨まれて、これまで通りに過ごせる者はいないということだ。


「お父様の仕業だと。すぐに理解しましたわ。もしもエリザなら、その時点でお父様を問い詰め、もうそのようなことはしないようにと願い出たことでしょう」

「しかし……レディ。貴女は止めなかったと?」

「そうです。私は、私のせいで一家ごと潰される方々に、何の感慨も浮かびませんの。こんな私が優しいわけがありませんわ」


 ……それはまた……。

 ずいぶんとお優しい思考回路だと笑ったら、ローズは怒るだろうか。


「……確かに、優しくはないかも知れませんね」

「冷たいと思われませんか?」

「冷たいとは思いませんが」


 そうですか。

 ローズはガッカリした様子になった。

 もしかして、と、リジンはローズの顔を覗きこんだ。気のせいかもしれないが、彼女は……。


「──優しいと思われたくないのですか」

「……えっ?」


 思ってもみなかった、という表情をされた。やはり違うのかと発言を撤回しようとすると、ローズは自分の口元に手を当てて考え込むような仕種をした。

 やがて結論が出たのか、顔を上げてリジンを見つめてくる。真面目な表情でも、ローズは美しかった。


「そう……かもしれません」

「本当に?」

「分かりませんが……、リジン様にはそう見えたのですよね?」


 そう見えたというか。ふと思っただけだった。

 しかし、ローズは確信したようにスッキリとした表情をしていて、それに水を差す勇気はリジンにはなかった。


「……きっとそうだわ。ずっと気持ち悪かったので、スッキリしました。だから、私は優しいと言われたくなかったのね。ありがとうございます、リジン様!わざわざ教えて下さって、お優しいのですね」


 ローズとは違い、リジンは優しいと言われて喜べた。


 その後、ローズは嬉しそうに庭園にある花の解説をしてくれた。

 リジンの予想通り、メフィス伯爵邸の庭園は夫人と姉妹で管理しているらしい。薔薇が多いのは、姉妹の趣味なんだとか。


「レディ・ローズが薔薇好きなのは、なんとなく分かります」

「名前も、ローズ……薔薇ですからね」


 ゆっくりと歩んでも、屋敷の正門に到着してしまう。自身の屋敷よりも広いはずなのに庭園が狭く感じられた。


「あまり長居しては迷惑ですよね」


 この屋敷に乗りつけた馬車と、そこに座る召使が目に入って、そう言った。召使に遠慮したわけではなく、あまり遅くいてメフィス伯爵と鉢合わせしたら困るなと思ったのだ。

 言うと、ローズは頷いた。少し残念そうに見えたのは、リジンの気のせいだろう。


「あ。エリザを呼びますか?」

「……何故?」

「エリザと仲がよろしいでしょう?」


 ──何でそう思うんだろう?

 ローズがそんな勘違いをする場面はなかったと思うのだが。

 それはそれは丁重に辞退すると、召使に声をかけて馬車の用意をさせた。

 厩舎に馬を預けていると言うので、馬を待つ。

 ローズがリジンに向き直った。


「本日は来てくださって、ありがとうございます」

「いいえ、私もレディと会いたいと思っていましたから」


 リジンは甘く柔らかな笑みを浮かべたのに、ローズは複雑な表情だった。リジンがそのことを指摘する前に、ローズは歪んだ笑みを浮かべた。一目で作り笑いだと分かった。


「リジン様、お待たせ致しました。馬の用意が整いました」


 召使が準備の終了を知らせにくる。

 分かった、と返事をし、美しい顔で変な笑顔を作るローズに手を伸ばす。

 撫でるように髪に触れた。ローズの頬が赤くなった。


「舞踏会で会えますか?」

「え、ええ。もちろんですわ」

「踊ってくださいますか?」

「え、ええ。もち……」


 はたとローズは言葉を止めた。

 ……もう少しだったのに。

 用心しろと言ったのは自分なのだが。

 もう一度くらい──出来るのなら、何度でも──、ローズと踊りたかった。


「──もちろんですわ。踊りましょう!」


 了承の返事は、まるで自棄になったように。

 一瞬、怒られたのかと思って怯んだ。


「……え。よろしいのですか?」

「ダンスくらい。構いませんわ」

「伯爵に睨まれなければいいのですが」


 真剣に脅えるリジンを、ローズは可笑しそうに笑った。


「私から、お父様に言っておきます」

「本当ですね?」

「ええ」

「約束ですよ」


 あの作り笑いが消えた瞬間に、リジンはローズの頬にキスをした。

 ローズは目を丸くして頬を押さえる。頬へのキスならば、家族や近しい友人などとも交わすことが多い。

 どういう意味でのキスか分からないのだろう。


「約束のキスです。……貴女に好意を抱く者として」


 呆けていたが、ローズはその言葉で我に返ったようで、


「約束しましょう。……友人として」


 リジンの頬にキスを返した。




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