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第9話:起きたら世界が変わっていた件

 チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、散らかった部屋の埃をキラキラと照らしていた。


 私は重い瞼をこすりながら、キッチンで入れた熱いブラックコーヒー(ハチミツ入り)を一口啜る。


 結局、昨夜は興奮と自己嫌悪で殆ど眠ることが出来なかった。


「⋯⋯あぁ、夢ならどうか覚めてくれよ」


 勿論、夢なんてことはないが私は祈るような気持ちでスリープモードになっていたPCのマウスを動かした。


 モニターが明るくなり動画配信の管理画面が表示されたままのブラウザーが浮かび上がる。


 たしか、配信終了のボタンを押す直前の数字は登録者数が二桁ぐらいで同接数は数千人だった気がする。


 あれから六時間が経過しているし配信のアーカイブはしっかり消した。

 多くの目には触れたものの小規模な祭りも終わって、せいぜい数百人くらいが「昨日のあれ何?」と登録している程度だろう。


 私はコーヒーカップを口に運びながら、画面の更新ボタンを押した。


 『チャンネル登録者数:328,405人』


「ぶっっっ!!!!!!」


 盛大に吹いた。

 茶色い液体が霧状になってモニターを汚す。

 私は咳き込みながら、ティッシュで画面を拭くのも忘れて数字を凝視した。


「さん、じゅう⋯⋯は? 三十二万!?」


 桁がおかしい⋯⋯ゼロが三つくらい余計についていないか?

 バグを疑って何度も更新するが、F5キーを押すたびに数字が数百単位で増えていく恐怖現象に襲われる。


 通知欄は「99+」でカンストしており、クリックすると滝のようなメンションが流れてきた。


 『昨日の猫ちゃんどこ!?』

 『アーカイブ復活はよ』

 『歌声が忘れられない』

 『海外のフォーラムで話題になってるぞ』

 『運営は一刻も早くこの才能を保護しろ』


「やばい⋯⋯」


 私は慌ててSNSを確認した。


 トレンド1位『#shiro_cat』

 トレンド2位『#迷い猫』

 トレンド3位『#放送事故』


 スクロールするたびに出てくる画像は、配信のラストシーン――涙目で「しゃーっ!」と威嚇するマシロのスクショや尻尾の映ったカットがパラパラと張られている。

 

 そしてその画像には英語、中国語、スペイン語など多言語で「So cute!」「Angel!」といった賛美のリプライがぶら下がっていた。


「⋯⋯やってしまった」


 私は頭を抱えて、デスクに突っ伏した。

 完全にやらかした。私のミスだ。


 マシロの才能を見せつけたいという元クリエイターとしてのエゴ、それが暴走した結果がこれだ。


 顔出しNG? 正体を秘匿?

 もう手遅れだ。全世界にマシロのオッドアイと猫耳が拡散されてしまった。



       * * *



「⋯⋯んぅ⋯⋯」


 ベッドの上で丸まっていた毛布がもぞもぞと動いた。

 白い髪、ピコピコ動く耳。

 昨夜、世界を騒がせた張本人が大きなあくびをして起き上がった。


「⋯⋯たなで? おはよ」


「あぁ⋯⋯おはようマシロ」


 マシロは目をこすりながら、ペタペタと裸足で歩いてくる。

 私の足元まで来るとスウェットの裾をクイクイと引っ張った。


「たなで、おなかすいた」


「⋯⋯お前なぁ」


 この呑気さ⋯⋯自分が今、ネット界隈で「千年に一人の逸材」とか「映像技術の特異点」とか呼ばれていることを、露ほども知らない平常運転だった。


 私はマシロを抱き上げ、膝の上に乗せた。

 彼女は私のコーヒーの匂いを嗅いで「にがっ」と顔をしかめ、それからPCの画面を覗き込んだ。


「すうじ、いっぱい?」


「ああ。マシロのことを見たい人が、三十万人もいるんだってさ」


「さんじゅう⋯⋯? おいしい?」


「食べられないよ。⋯⋯でも、すごい数だ」


 マシロは首を傾げ、興味なさそうに尻尾を振った。

 彼女にとって重要なのは、登録者数よりも朝ごはんなのだ。


「マシロ」


「ん?」


「昨日の⋯⋯歌うの、楽しかったか?」


 私が尋ねると、マシロの表情がパァッと明るくなった。


「ん! たのしかった!」


「⋯⋯そうか」


「たなでのピアノ、きらきらしてた! また、やりたい!」


 その無垢な笑顔を見て、私は腹を括った。


 もう隠し通すことは殆ど不可能だろう。中途半端に逃げるより変な憶測やデマが広がる前に、こちらから情報をコントロールするしかない⋯⋯出来るかは分からないが。


 それに何より、マシロ自身が「歌いたい」と言っているのだ。

 その願いを叶えてやるのが、飼い主――いや「保護者」の役目だと私は思った。


(⋯⋯はぁ。平穏ではあった隠居生活も終わりかもしれないな)


 私はため息をつきながらも、マシロの頭を撫でた。

 サラサラの髪と温かい猫耳の感触。

 この温もりを守るためなら世界中を敵に回してもいいと柄にもなく思ってしまった。


「よし。⋯⋯やるぞ、マシロ」


「ん! ごはん!」


「ごはんも食べるけどその前に⋯⋯作戦会議だ」


「しゃくせん! にゃー!」


 私は画面に向き直り、キーボードを叩いた。

 これからマシロが活動を続けていく内に、良いことも悪いことも沢山出てくるだろう。それでも私がマシロと配信を始めた以上、向き合わなくてはいけない。


 こうして半分諦め、半分親バカな覚悟と共に私たち二人の波乱に満ちた配信活動が本格的に幕を開けることになった。

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