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第53話:伝統の曲と進化する破壊力

 私の目の前にある複数のモニターには、配信開始を待つ待機画面が表示されている。

 同接者数――350万人。


 とんでもない数字だ。 前回の緊急配信で叩き出した数字をさらに上回っている。あの夜、全世界がマシロの進化を目撃した。その衝撃が冷めやらぬまま「次の配信」を待ち望んでいた人間が、これだけいるということだ。


「タナデ、みんながいっぱい!」


 私の隣で足をぶらつかせている少女――マシロがモニターの数字を指差して言った。 先日くるみと共に買いに行った水色のワンピースを身に纏い、銀髪は丁寧にブラッシングされて肩の上で光を弾いている。  緊張の色は、まるでない。


「もうすぐだ。マシロ、準備はいいか?」


「うん! マシロ、歌うの好き!」


 ニパッと効果音がつきそうな満面の笑顔、パタパタと振られる尻尾。

 見た目は女神、中身は幼児。

 このギャップの破壊力たるや、きっと今夜もネットが大騒ぎに違いない――。


「よし⋯⋯じゃあ、始めるぞ」


 私は覚悟を決めて、配信開始のボタンをクリックした。


 ☆


 画面が切り替わる。世界中のモニターにマシロの姿が映し出された。


 緊急配信の時は光に包まれた混沌の中だった。画角も不安定で進化直後のマシロをはっきり見られた視聴者は限られていただろう。


 今日は違う、完全にライティングされた防音室の中で高画質のカメラが成長したマシロの全身を鮮明に映し出している。


 美しい銀髪、宝石のようなオッドアイ、スラリと伸びた手足――そして変わらぬ猫耳とゆったり揺れる長い尻尾。


 これがあの日、世界中から集まった祈りの果てに現れた少女の、初めての「正式な」お披露目だった。



『うおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

『キタアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

『画質良すぎて魂抜けた』

『あの夜は光ってて見えなかったけど、こうして改めて見ると⋯⋯とんでもない美少女だな⋯⋯』

『俺たちの祈りがこの美少女を生んだと思うと泣けてくる』

『スパチャ=お賽銭は正しかった』

『神々しすぎる、文字通り神だからな』

『待って、耳ぴくぴくしてる。耳ぴくぴくしてる!!』

『尻尾の振り方は変わってなくて安心した』


 コメント欄が滝のように流れていく――スパチャの通知音が重なりすぎて、もはや一つの持続音のように聞こえる。


 私はマイクのボリュームを微調整し、努めて冷静な声色を作った。


「⋯⋯こんばんは。プロデューサーのタナデです」


 ここで一つ咳払い。間を作る。何百万人の意識がこちらに向いているのを肌で感じる。


「お待たせしました。見ての通りマシロは元気一杯です。前回の配信では多くの方にご心配とご協力をいただきました。改めて感謝を申し上げます」


 本心からの感謝、あの夜マシロが消えかけた時、世界中から集まった祈りがこの子を救った。そのことを私は一生忘れない。


「マシロの身体的変化については皆さんが目撃された通りです。細かいメカニズムは正直、私にもわかりません。ただ一つだけ確かなことがあります」


 私はマシロを見た。マシロが不思議そうにこちらを見返す。


「中身は何も変わっていません。相変わらずご飯は大好きだし、甘ったれだし、尻尾の制御はできていません。この間は隙間に挟まって出られなくなりました」


「タナデ、マシロの悪口言ってる!?」


「いや、事実を述べているだけだ」


「むぅー! マシロもうお姉さんだからちゃんと出来るもん!」


 マシロが頬を膨らませる。 その反応が視聴者にとって何よりの「証明」になったはずだ。



『wwwwwwww』

『間違いなくマシロちゃんだわ』

『中身が変わってなくて安心した(本日二回目)』

『モンタナ先生ってテキトーにあしらうところあるよね』

『このやり取りだけで50万の価値がある』

『隙間に挟まってるマシロちゃん可愛すぎるでしょwww』



「さて」


 私は笑いを収めると声のトーンを一段落とした。


「今日は歌枠です。まずは一曲、皆さんに聴いてもらいたい歌があります」


 私はピアノの鍵盤に指を添えた。 選んだ曲は全ての始まりの曲――そして、かつてマシロが失敗してから練習に練習を重ねた因縁の曲。


「このチャンネルの初配信でマシロが歌った曲です」



『高音が裏返ってカメラに向かって威嚇したやつね』

『あの伝説の始まり――および放送事故』

『覚えてるに決まってんだろ!!!!』

『伝説の「みゃっ!」きたああああああ』

『あれで人生変わった奴多いだろ』

『俺がこの沼に落ちた元凶の曲じゃねえか』

『ここにきて始まりの曲をチョイスとは粋ですな』



「それでは聴いてください。『きらきら星』」


 コメント欄が一瞬、静まった。冗談ではなく文字の流れが目に見えて遅くなった。リスナーたちが固唾を飲んだのだ。


 静寂の中、ピアノのイントロが流れ出す。 シンプルなハ長調の旋律。誰もが知っている世界で最も有名な童謡のひとつ。


 私が弾くアレンジは原曲の素朴さを残しつつ深い和声を敷いた。マシロの新しい声域を最大限に活かすための、オーダーメイドの伴奏だ。


 マシロが小さく息を吸い込んだ。目を閉じる。


「きらきら ひかる――」


 その第一声が防音室に満ちた瞬間、空気の質が変わった。


 以前のマシロの歌声が「春の陽だまり」だとしたら今の歌声は「夜空に架かる月光」だ。


 深く、優しく、そしてどこまでも透き通る。単なる童謡のはずなのに大聖堂で歌われる賛美歌のような荘厳さを帯びている。


 成長によって得た中低音域が声に芯と深みを与えていた。高音の透明感はそのままに表現の幅だけが信じられないほど広がっている。


 そして――その歌声には人の祈りを糧にして進化した存在だけが放つことのできる、名状しがたい「神威」が宿っていた。聴く者の魂に直接触れるような圧倒的な力。



『⋯⋯っ!?』

『鳥肌』

『涙が勝手に』

『なんだこれ⋯⋯浄化される⋯⋯』

『ただのきらきら星だぞ? なんでこんなに泣けるんだ』

『前からやばかったけど歌唱力のレベルが上がりすぎてる』

『前の歌声も好きだったけど、これは⋯⋯次元が違う』

『聴いてるだけで心が洗われていく』


 コメントの速度が落ちていく――誰もが言葉を失い、画面の向こうで歌声に身を委ねているのがわかった。


 私は伴奏を弾きながら指先が震えるほどの歓喜を感じていた。


 すごい。この子はいつも私の想像を超えていく。


 二番に入るとマシロは自然にアレンジを加え始めた。教えていないフェイクを感覚だけで紡いでいく。天才という言葉すら陳腐に思えるほどの圧倒的な音楽的才能。


「おそらの ほしよ――」


 曲は終盤へ差し掛かる。かつて高音が出ず裏返ってしまった、あのパートが近づいてくる。あの日、まだ小さかったマシロはこのフレーズで声が裏返り、悔しさのあまりカメラに向かって「シャーッ!」と威嚇した。


 今のマシロにあの頃の不安定さはない。伸びやかな高音が天井知らずに駆け上がり、完璧なビブラートを描く。



『ひょぇ~完璧⋯⋯』

『あのフレーズを、こんな風に⋯⋯』

『成長を見守ってきてよかった(号泣)』

『鼻水止まらん』

『心がぴょんぴょんする』

『マシロちゃん成長したね』



「――みんながみてる きらきら ひかる~」


 最後のフレーズ、ピアノの残響と共に静かに完璧に着地する。

 マシロの声が防音室の空気を優しく震わせ、余韻が波紋のように広がっていく。


 完璧だ。文句のつけようがない。


 ――はずだった。


 マシロがふっと余韻とともに安堵の表情を浮かべた。最後の一音を歌い終えた直後、全身の力が抜けたのだろう。緊張していないと言いながらこの子はちゃんと緊張していたのだ。


 その一瞬の緩み。


「⋯⋯⋯⋯みゃっ!」


 静寂に包まれた防音室に気の抜けた小さな音が響いた。 最後の最後、息を吐ききる瞬間に喉の奥で引っかかったのだ。あの日と同じ「みゃっ!」。


 ピタリ、と私の指が止まる――マシロも固まった。

 オッドアイが大きく見開かれ自分の口を押さえている。


 数秒の、永遠にも似た沈黙。


 私は咄嗟にフォローの言葉を探した。だがマシロの反応は予想とは全く違うものだった。


「あぅ⋯⋯っ」


 白い肌が耳の先まで一気に朱に染まった。猫耳がぺたんと伏せられ、まるで萎れた花のように倒れる。  マシロは真っ赤になった顔を両手で覆い隠した。


「は、はずかしい⋯⋯っ」


 長い尻尾がキュッと股の間に挟み込まれる。そのままカメラの画角から逃げるようにして、防音室の床にぺたんとしゃがみ込んでしまった。


 膝を抱えて銀髪のカーテンで顔を隠し、小さく丸まって震えている。

 以前の「野生児の威嚇」とは対極にある恥じらいを知った少女の羞恥。


 ズドン、と何かが落ちる音がした。


 きっとそれは世界中の視聴者が、あまりの破壊力に椅子から転げ落ちた音だったかもしれない。



『!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

『ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!』

『ぐふっ(致命傷)』

『か、可愛すぎんだろオイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!』

『威嚇じゃない!? 照れた!? 照れたああああああ!?』

『顔隠してしゃがみこむの反則だろ!!!!!!』

『みゃっ! 2ndシーズン!!!!』

『前回は威嚇 今回は羞恥 これが成長ってやつか⋯⋯!!!!(号泣)』

『ギャップ萌えの最終兵器が投下された』

『全世界同時多発テロだろこれ』

『尻尾挟んでるのが可愛すぎて3回死んだ』

『あんな荘厳な歌声の後にこれは心臓が保たない』

『モンタナ先生ぇ! なんとかしろぉ!!』



 コメント欄がビッグバンを起こしたように爆発した。


 荘厳な歌声からのポンコツなミス。完璧なリベンジからのまさかの再発。

 そして威嚇ではなく「照れ」


 計算してできることではない。マシロという存在そのものが持つ天然の引力が世界中をまたしても虜にしてしまったのだ。


 私はため息をつきつつも、口元が緩むのを堪えきれなかった。


 まったく、とんでもない子だ。

 椅子から立ち上がり、うずくまるマシロの元へ歩み寄った。  

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