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第5話:そうだ、配信しよう


 結論から言おう。

 私は我慢ができなかった。


「⋯⋯やっぱり、もったいない」


 深夜一時――私は防音室の中で熊のようにウロウロと歩き回っていた。

 視線の向こう側には私のベッドの上で丸まって寝息を立てているマシロがいる。

 一緒に就寝したが、どうにも寝付けずこうして起きてしまった。 

 

 あの日、ピアノに合わせて彼女が歌ったハミング、あれは幻聴なんかじゃなかった。


 ピッチ、リズム、表現力。どれをとっても一級品――いや、規格外の才能。

 四歳児(推定)の無垢な感性と、猫特有の発声器官が奇跡的な化学反応を起こしている。


 この声を、この狭い部屋だけで腐らせていいのか?


 否、それは音楽の神への冒涜だとさえ思える。

 記録に残したい。誰かに聴かせたい。あわよくば、この声で沈黙している私のキャリアを――なんて下心は二の次だが。


「でもなぁ⋯⋯」


 問題はマシロの「見た目」だった。


 オッドアイに動く猫耳、本物の尻尾⋯⋯こんな姿をネットの海に放流したら、特定班に住所を割られ、黒服の男たちに連れ去られて実験動物コース――というのはアニメの見すぎかもしれないが、現状そのリスクを負うのは気が引ける。


「Vtuber⋯⋯を作る金はない」


 通帳の残高を思い出し天井を仰ぐ。今の私にはLive2Dのモデルを発注する余裕も、高スペックなトラッキング機材を買う余裕もない。


 あるのは過去の遺産で買ったこの一室――高級マイクと防音室だけ。


 ⋯⋯待てよ?

 私はマシロの寝顔を見つめ、一つの「悪魔的発想」に至った。


「全部隠そうとするから難しくなるんだ。⋯⋯『一部』だけ見せればいい」


 私は急いで機材のセッティングを始めた。



       * * *



「ごめん、マシロちょっと起きてくれ」


「んぅ? ⋯⋯たなで、これなに?」


 起こされたマシロが、目をこすりながら連れてこられたマイクスタンドを見上げる。

 彼女の目の前にあるのはノイマンのコンデンサーマイク。私が全盛期に購入した、中古車が買える値段の代物だ。


「これ、あみあみ?」


「舐めるな、高いんだぞ」


 マイクのポップガード(網)を不思議そうにツンツンしながらマシロが舐めそうになるのを阻止する。

 彼女にはこれが新しい玩具に見えているらしい。


「これはマシロの声を、遠くの人に届ける機械だ」


「とーくのひと?」


「そう。マシロの『魔法』を、みんなにお裾分けするんだ」


 『魔法』という単語を聞いて、マシロの目がパッと輝いた。


 私は彼女をピアノ用の高いスツールに座らせる⋯⋯当然、足が床に届かず空中でブラブラと揺れているがこれでいい。


「よし、じっとしてろよ」


 私はWebカメラの位置を調整した。

 ここが勝負の分かれ目だ。


 フレームの上端はマシロの鼻の下あたりに固定する。


 映るのは「小さなピンク色の唇」「白い顎のライン」「ブカブカなパーカーから着替えさせた華奢な体」そして「ブラブラする素足」――特徴的なオッドアイと猫耳は画面外フレームアウトさせる。


 これなら、ただの「なんかよく分からないけど、子どもが歌っている配信」または「コスプレした幼女配信」に見えるはずだ。


 たまに映り込むかもしれない尻尾も、部屋の暗さと「作り込みの甘いコスプレ」という言い訳で乗り切れるだろう⋯⋯多分。


「⋯⋯こんな感じか」


 モニターに映る映像を確認して私は自画自賛した。

 あざとい。あまりにもあざとい構図だが犯罪的な可愛さだ。


 マイクのポップガード(唾液防止の網)の向こうで、マシロが不思議そうに首を傾げている。顔は映らないがその仕草は画面に伝わるから、それだけで画が持つ。


「たなで、うたう?」


「ああ。私がピアノを弾くから、マシロは好きに歌え」


 私は新規でYoutubeのアカウントを作成した。

 チャンネル名は『shiro_cat』。

 アイコンは初期設定のまま。

 概要欄も空白。


 そして配信タイトルを入力する。

 大袈裟な釣りタイトルは不要、ハードルは低い方がいいし人も少ない方が良い。


 『迷い猫が歌います(テスト配信)』


 現在時刻は深夜二時を回ったところ。

 草木も眠る丑三つ時。こんな時間に底辺の新規アカウントの配信を見る物好きなんて、世界中探しても片手で数えるほどだろう。


 だからこそ、テストには丁度いい。


「よし、いくぞマシロ」


「ん!」


 私はマイクの入力ゲインを最終調整し、ヘッドホンを装着した。

 マシロは状況をよく分かっていないようだが、私が楽しそうにしているのを見て、嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らしている。


 高性能マイクが、その「ゴロゴロ音」をしっかりと拾って波形が揺れた。⋯⋯まあ、これくらいはご愛嬌か。


 マウスカーソルを『配信開始』ボタンに合わせる。


「3、2、1⋯⋯オンエア」


 カチッ。


 画面のステータスが「オフライン」から「ライブ配信中」に変わる。

 同時接続者数、0人。


 静かな船出の始まり。

 私はピアノの鍵盤に指を置いた。

 まだ誰も知らない、伝説の始まりだった。

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