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第47話:光の中の再構築

 深夜二時過ぎ――本来ならば世界が寝静まる時間帯に、インターネットという名の電子の海はかつてないほどの熱量で沸騰していた。


 一ノ瀬奏が始めた緊急配信『マシロを助けてください』

 その悲痛な叫びと画面に映し出された「消えかけの少女」の姿は瞬く間にSNSを通じて拡散された。


 最初は「演出だ」「タチの悪い冗談だ」と疑っていた者たちも奏の鬼気迫る表情と物理法則を無視して透けていくマシロの姿に事態の深刻さを悟ったのだ。


 そして、その波紋はマシロと深い縁を持つ者たちをも突き動かした。


        * * *


「⋯⋯っ、なによこれ! 一ノ瀬さん、あんた何やってんのよ!!」


 都内某所の高級マンション。

 Vtuber『ワンダ・バウ』の中の人、戌井くるみは枕元で鳴り止まない通知音に叩き起こされた。


 寝ぼけ眼でスマホを確認した彼女は一瞬で血の気が引いた。

 画面の中でマシロが消えかけている。

 あの愛しい妹のような存在が空気になって溶けようとしている。


「嘘でしょ⋯⋯やだ、そんなの⋯⋯!」


 くるみは飛び起きた。

 寝癖も直さず、パジャマのままPCの前に滑り込む。

 配信機材の電源を入れOBSを起動するまでの手つきは、プロゲーマーのそれよりも速かった。


 『ワンダ・バウ』緊急枠 タイトルは『全員起きろ!! マシロちゃんを救うわよ!!』


「あー、あー! 聞こえてる!? フロンティアのファンども全員起きなさい!!」


 配信が始まるやいなや、彼女はいつもの「元気なワンダ」の声ではなく、なりふり構わない「戌井くるみ」の悲鳴に近い声で絶叫した。

 画面にはあえてアバターを出さず、マシロの配信画面をミラーリングで映し出す。


「今、マシロちゃんがヤバいの! 理屈なんてどうでもいい! あの子が消えそうなの!」


「あんたたち、マシロちゃんに癒やされたんでしょ!? 笑顔をもらったんでしょ!?」


「だったら今、返しなさいよ!!」


 彼女はマイクを鷲掴みにし涙声で檄を飛ばした。


「何ボサッとしてんの! コメント打て! 声に出せ! 『マシロちゃんが好きだ』って、『いなくならないで』って、魂込めて叫びなさいよ!!」


「私のことはいい! 今すぐ『shiro_cat』のチャンネルに行けぇぇぇぇッ!!」


 トップVtuberの号令。

 それは数十万人のファンを即座に動かす軍隊の指揮に等しかった。

 ワンダのリスナーたちが怒涛の勢いで奏のチャンネルへと雪崩れ込んでいく。


        * * *


 一方、とある下町のアパート。

 六畳一間の部屋で一人の男が画面の前で正座をしていた。

 鳶職の権田である。


 彼はコメントを打っていなかった。

 スマホを握りしめたまま、その太い指を震わせ額に脂汗を浮かべていた。


 彼は直感していた。

 これは文字だけでは足りない。

 一ノ瀬の旦那が求めているのは「信仰」だと言った。

 ならば、自分ができることは一つだ。


 パン、と乾いた柏手を打つ。

 そして、深く合掌した。


「マシロちゃん⋯⋯」


 彼の脳裏に浮かぶのは今日のイベントで見た、あの笑顔。

 怯えていた彼女が、自分たちの光に応えて見せてくれた天使の微笑み。

 あれを二度と見られない世界などあっていいはずがない。


「頼む⋯⋯生きてくれ⋯⋯!」


 祈り――それはかつて人々が神に雨を乞い、豊作を願った時と同じ原初のエネルギー。

 権田の全身から立ち昇るような熱気が画面を通じて見えない回路を繋いでいく。


 彼の背中には彼を慕う「騎士団」の面々の思いも乗っていた。

 それぞれの場所で、それぞれの夜を過ごしていた男たちが今、一つの願いのために心を束ねていた。


        * * *


 奏の部屋にあるモニターには、もはや文字として認識できない速度でコメントが流れていた。


『マシロちゃん!!』

『Live! Mashiro, Live!!』

『不要消失!(消えないで!)』

『Te amamos, Mashiro!(愛してる、マシロ!)』

『С живи!(生きて!)』


 日本語、英語、中国語、スペイン語、ロシア語。

 世界中の言語が入り乱れてはスパチャの金額を示す帯が虹色に輝きながら画面を埋め尽くす。

 同接数は50万人、80万人、そして100万人を突破した。


 それはもはや、配信という枠を超えた「現象」だった。

 地球上の数百万人が同時に一つの存在を想い、その名を呼ぶ。


 その巨大な意識の集合体は、物理的な質量を伴うエネルギーとなってインターネットという神経網を通り、この小さな防音室へと集束していた。


「⋯⋯ぐ、ぅ⋯⋯」


 部屋の後方で、あの冷徹な神使が呻き声を上げて後退った。

 モニターから溢れ出す、目も眩むような光の奔流が彼には見えている。


 雑多で騒がしくて欲望と愛着と崇拝がごちゃ混ぜになった、泥のように濃く、太陽のように熱い「現代の信仰」それが部屋の空気を振動させ、空間を歪ませている。


「馬鹿な⋯⋯これが人の念の集まりだと⋯⋯? これほどの質量、神域の本殿ですら受け止めきれぬぞ⋯⋯!」


 神使は恐怖した。

 人間は、いつの間にこれほどの力を手に入れたのか。

 個々は弱くとも繋がり、増幅された「推す」という感情は神をも焼き尽くす業火となり得るのだ。


        * * *


 光の奔流は奏の腕の中にいるマシロへと注ぎ込まれた。


「⋯⋯ん、ぁ⋯⋯っ!」


 マシロの身体がビクンと跳ねて消えかけていた半透明の身体が、内側から発光し始める。

 失われた輪郭が光によって塗りつぶされ、再構築されていく。


 それは同時に激痛を伴うものだった。

 コップにバケツの水を注ぐようなもの、彼女の小さな「器」では世界中から送られてくる莫大なエネルギーを受け止めきれない。


「あつい⋯⋯! タナデ、あついよぉ⋯⋯!」


 マシロが泣き叫んだ。高熱を帯びた身体は奏の手を焼くほどに熱くなっている。

 光が強すぎて彼女の肌に亀裂が走りそうになる。


「我慢してくれマシロ! 吐き出すな、飲み込むんだ!」


 奏は熱さに耐えながら彼女をさらに強く抱きしめた。

 逃げようとするエネルギーを彼女の中に封じ込めるように。


「これはみんなの愛だ! マシロが『ありがとう』って言いたかった連中の、お前への返事だ!」


「あついの⋯⋯こわい⋯⋯!」


「怖くない! 私がいる! ワンダも、リスナーも、みんなついている! お前ならできる!」


 奏は叫んだ。

 喉が裂けんばかりに。


「世界中のみんなを笑顔にするんだろ! この程度の愛、受け止められなくてどうする! 受け入れろ! 自分のものにしろ! マシロ! 生きろォォォォォッ!!」


 その言葉がマシロの魂のコアに届いた――生きる。


 タナデと一緒にいる。ハンバーグを食べる。歌をうたう。


 ――えいえん、ずっといっしょ。


 マシロのカッと見開かれたオッドアイが光の中で鮮烈な輝きを放った。


「⋯⋯んんんーーーっ!!」


 マシロは小さな奥歯を噛み締め、全身に力を入れた。

 拒絶するのではなく受け入れる。

 流れ込んでくる熱くて重い「好き」という気持ちを自分の血肉に変える。


 その瞬間――彼女の身体に異変が起きた。


 バヂィッ! と空気が爆ぜる音がした。


「な⋯⋯!?」


 神使が目を見張った。

 マシロの身体を包む光のまゆが脈動を始めたのだ。


 ドクン、ドクン、と大きく波打つたびにその繭はひと回りずつ大きくなっていく。

 許容量を超えたエネルギーを受け止めるために、彼女の魂が本能的に選択したのは「器の拡張」――即ち、進化だった。


「馬鹿な⋯⋯幼き魂が器そのものを成長させているだと!?」


 神使の驚愕の声が光の轟音にかき消されそうになる。


「ただの迷い猫が⋯⋯人の信仰を糧にして自ら位階を上げようとしているのか!? 半人の身で神格に至るつもりか!!」


 それは禁忌とも言える現象だった。

 神が神を生み出すのではない。

 人の祈りが新たな神を産み落とそうとしている。


 部屋の中はもはや直視できないほどの光に満たされていた。

 机も、椅子も、壁も、すべてが白く染まっていく。


 奏でさえも、その眩しさに目を閉じるしかなかった。


 それでも腕の中の重みが徐々に増している⋯⋯先ほどまでの「空気のような軽さ」ではなく、しっかりと地に足のついた生命の重み。


 そして、それ以上の――何か得体の知れない「存在感」の重み。



『うおおおおおおお!』

『うぉっ⋯⋯まぶしっ⋯⋯!』

『画面が真っ白だ!』

『マシロちゃん!?』

『見えねえ!』

『でも光ってる! 神々しい!』

『よく分からんけどなんか凄いことになってる!』



 配信画面もまたホワイトアウトしていた。

 ビットレートの限界を超えた光量が映像信号を塗りつぶす。


 視聴者たちの画面は真っ白になり、ただ「ゴォォォォ⋯⋯」という、エネルギーが渦巻く音だけがスピーカーから響いてくる。


「マシロ⋯⋯!」


 奏は光の中で名前を呼んだ。

 腕の中の存在が形を変えていくのがわかる。

 骨格が軋み、筋肉が伸び、細胞の一つ一つが高濃度のエネルギーによって再構成されていく。


 幼かった手足が。

 小さかった背中が。


 光の繭の中で少女は新たな姿へと羽化しようとしていた。


 パリン――!


 何かが割れるような澄んだ音が響く。

 それは古い器が壊れ、新しい器が完成した合図だった。

 同時に部屋を満たしていた光が一気に収束し、中心の一点へと吸い込まれていく。


 ――静寂。


 嵐が過ぎ去った後のような張り詰めた空気の中で奏は、ゆっくりと目を開けた。

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