第35話:秘密のソフトクリーム
目の前で繰り広げられる光景は、シュールレアリスムの絵画も裸足で逃げ出すほどの怪奇現象だった。
マシロのダボダボのサロペットの左足部分が、まるで意思を持ったアメーバのように、あるいは巨大なカブトムシが中で暴れまわっているかのように、ボコンッ、グワンッ、と不規則に隆起を繰り返しているのだ。
店員が口をあんぐりと開けている。
近くにいた女子高生グループが「え、なに? 怖いんだけど」「エイリアン?」とざわつき始めた。
マシロはと言えば半泣きになりながら、自分の左足(と尻尾)を小さな両手で必死に押さえつけようとしているが、喜びのあまり暴走した尻尾の力は、か弱き幼女の腕力では制御不能だった。
「あうぅ⋯⋯タナデぇ⋯⋯とまらないのぉ⋯⋯!」
マシロの悲痛な叫びがさらに周囲の注目を集める。
私は瞬時に判断した――隠蔽工作は失敗だ。これ以上の滞在は機密漏洩(身バレ)に直結する。
私は電光石火の動きでマシロの脇に手を差し入れ、小脇に抱え上げる。宙に浮いたマシロの足元では依然としてサロペットの裾がビチビチと跳ね回っているが気にしていられない。
「お、お客様? 大丈夫ですか? 救急車を⋯⋯」
「い、いえ! 結構です!」
心配して近づいてきた店員を私は手で制した。
そして冷や汗を滝のように流しながら、口から出まかせを叫んだ。
「こ、この子は! そう、今流行りの『高速貧乏ゆすりダイエット』の実践中でして! 足の筋肉が勝手に踊り出すんです! 決して怪しい生物を飼っているわけではありません!」
「は、はぁ⋯⋯?」
店員の顔に「何を言っているんだコイツは」という困惑が浮かぶ。当然だ。私だって自分で何を言っているか分からない。
だが、説明している時間はない。
「見ての通り、非常に激しい運動なので! これにて失礼します!」
「あ、あの、お待ちください!」
私はマシロを米俵のように抱えたまま、店内の出口へとダッシュした。
すれ違う客たちが空中でバタバタと暴れる子供の足を見て、モーゼの十戒のごとく道を空ける。
マシロが私の肩越しに「ごめんなしゃーい!」と叫んでいるのが聞こえた。
裏口を出て、待機していたタクシーに飛び乗る。
「山田さん! 出してくれ! 緊急脱出だ!」
「おや、もうお帰りですか? ⋯⋯ふふ、賑やかなお買い物だったようですね」
事情を察した山田さんが手際よく車を発進させた。
シートに沈み込んだ私はようやく深く、長く、ため息をついた。
「⋯⋯死ぬかと思った」
「みゃぅ⋯⋯ごめんなさい、タナデ⋯⋯」
隣でしょんぼりと縮こまっているマシロ。その尻尾は今はもうすっかり大人しくなり、サロペットの中でペタリとしているようだ。
私は帽子の上からその頭を撫でた。
「いや、いいさ。⋯⋯楽しかったから尻尾が動いちゃったんだろ?」
「ん。⋯⋯がっき、キラキラしてたから。マシロ、うれしくなっちゃって」
その言葉を聞いて責める気なんて起きるはずがない。
私は山田さんに告げた。
「⋯⋯山田さん、少し遠回りを。どこか人の少ない公園に寄ってくれませんか」
***
夕暮れ時――住宅街の外れにある小さな公園は子供たちの姿もなく、静寂に包まれていた。
茜色に染まる空の下、私とマシロはベンチに並んで座っていた。
周囲に誰もいないことを確認し、私はマシロのニット帽を少しだけ上にずらした。
押し込められていた猫耳が、プハッと息をするようにピョコンと飛び出す。
「ふぅ⋯⋯。ここなら大丈夫だ」
「みみ、すずしい」
マシロが気持ちよさそうに耳をパタパタさせる。
そして、その手にはコンビニで買ってきたばかりのソフトクリームが握られていた。
「溶けないうちに食べろよ」
「ん! ⋯⋯ぺろ」
マシロがマスクを顎までずらし、バニラの白く渦巻く山を小さな舌で舐める。
冷たさに一瞬目を丸くし、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「あまーい! つめたくて、あまい!」
「そうか、美味いか」
「ん! タナデも、たべる?」
差し出されたソフトクリームを私も一口もらう。
安っぽいバニラの香りだが、疲れた脳には最高のご馳走だ。
「⋯⋯美味いな」
「でしょー! えへへ」
マシロは足をぶらぶらさせながら(今度は尻尾もズボンの中で穏やかに揺れている)、夢中でソフトクリームを頬張っている。
その口元には白いクリームがべっとりとついて、まるでサンタクロースの髭のようだ。
「マシロ、口の周りがすごいことになってるぞ」
「んぐ? ついてる?」
「ああ。⋯⋯じっとしてろ」
私はポケットからハンカチを取り出し、マシロの口元を優しく拭った。
マシロはされるがままになり、くすぐったそうに目を細める。
「⋯⋯タナデ」
「ん?」
「おそと、ドキドキしたけど⋯⋯たのしかった」
マシロが夕焼けに染まる空を見上げながら呟いた。
「がっきやさん、すごかった。くるまでみた、ケシキもすごかった。⋯⋯おそとは、ひろいね」
「そうだな。私の部屋より、ずっと広い」
「また⋯⋯いけるかな?」
マシロが不安そうに私を見る。
あんな騒ぎを起こしてしまったのだ。もう連れてきてもらえないかも、と思っているのだろう。
私は苦笑してマシロの頭を優しく撫でた。
「もちろんだ。⋯⋯次は、もう少し尻尾を落ち着かせる練習をしてからな」
「ん! マシロ、れんしゅーする! しっぽ、とめる!」
「ふふ、期待してるよ」
風が吹き抜け、マシロの銀髪と私の髪を揺らす。
トラブル続きの「初めてのおつかい」だったけれど、この笑顔が見られただけで作戦は大成功だと言えるだろう。
私はマシロの食べ終わったゴミを片付け、立ち上がった。
「さあ、帰ろうか。そろそろ暗くなる」
「ん。⋯⋯あ、おてて」
マシロが自然と手を差し出してくる。
私はその手をしっかりと握り返した。
小さな手、けれど私を世界に繋ぎ止めてくれる何より強い絆。
二つの長い影が夕暮れの道を並んで伸びていく。
私たちは「普通の親子」のように、今日の夕飯は何にしようか、なんて話をしながら帰路についたのだった。
――だが。
この時の私たちは、まだ知らなかった。
現代社会において「誰も見ていない」なんて状況は存在しないということを。
***
その夜、マシロを寝かしつけて私が何気なくSNSを開いた時のこと、タイムラインに一つの動画が流れてきた。
タイトル:『【閲覧注意】楽器屋に現れた謎の子供、足の中でエイリアンを飼ってる模様』
嫌な汗が背中を伝う――恐る恐る動画を再生してみる。
そこにはブレブレの画質ながら、あきらかに不自然な動きでボコボコと波打つサロペットの子供と、それを抱えて猛ダッシュで逃走しようとする、トレンチコートの怪しい女(私)が映っていた。
『え、なにこれ怖っ』
『中に猫でも入れたんか?』
『いや、動きがどう見ても尻尾⋯⋯』
『待って、この子供の背格好と、抱えてる女の長身⋯⋯』
『女の方、声が一ノ瀬奏に似てね?』
『ていうか、マシロちゃんじゃね!?』
『どう見てもあの2人だね』
『一ノ瀬先生なにやってるんですか?笑』
コメント欄によって私の正体が暴かれ地獄と化していた。
さらに、不幸なことに店員とのやり取り――私の捨て台詞もしっかりと録音されていた。
『高速貧乏ゆすりダイエットの実践中でして!』
世界中に拡散される、私の迷言。
「⋯⋯⋯⋯嘘だろ」
私はスマホを握りしめたまま、その場に崩れ落ちた。
変装も、裏口入店も、全てが無駄だった。
翌朝のトレンドワード1位は『#エイリアンマシロ』2位は『#高速貧乏ゆすり』になることが確定した瞬間だった。




