第34話:楽器屋さんの冒険
エレベーターがチン、と鳴って開いた。
マシロは左足にギュウギュウに詰め込んだ尻尾のせいで、よちよちとペンギンさんウォークで歩き出した。
タナデがマシロの手をギュッと握ってくれている。その手は大きくて、温かくて、マシロの「へるめっちょ(ニット帽)」と同じくらい安心する。
「いいか、マシロ。ここからは敵地だ。油断するなよ」
「ん! さくせん、かいし!」
マシロはマスクの下で鼻息をフンスと荒くした。
マンションの玄関を出るとそこには黒くて大きな車が止まっていた。
タナデが近づくと車のドアが魔法みたいに「ウィーン」と自動で開いたのだ!
「みゃっ!? タナデ、かってにあいた!」
「しっ、声が大きい。⋯⋯これは私が手配した協力者が運転する特殊車両(予約タクシー)だ」
「とくしゅしゃりょー⋯⋯!」
目を輝かせてたマシロはタナデに抱っこされて車に乗り込む。
ふかふかのシートにぽすんと降ろされるとなんだかいい匂いがした。
「一ノ瀬様、お待ちしておりました。⋯⋯おや、今日は可愛らしいお連れ様も一緒ですね」
運転席に座っているおじいちゃんがニコニコして振り返った。
「ああ、山田さん。今日はちょっと『極秘任務』でね。⋯⋯行き先はいつもの楽器店だ。裏口につけてくれると助かる」
「承知いたしました。ふふ、小さなスパイさんですね」
運転手さんがウインクした。マシロも慌てて帽子の上から敬礼をする。
車が滑るように動き出した。
――そこからは驚きの連続だった。
マシロは窓ガラスにマスクごとお顔をへばりつけて外を見た。
景色がどんどん後ろに流れていく。
「タナデ、みて! あかい目と、あおい目が、ピカピカしてる!」
「あれは信号機だ。青になったら進んでいいんだぞ」
「しんごーき! ⋯⋯あっち! あっちに、ピカピカのはこがいっぱいならんでる!」
「自動販売機だな。ジュースが買えるんだ」
「じゅーす! 魔法のはこ!」
路地裏の段ボールから見ていた景色とは全然違う。
空は広くて、高いビルがいっぱい建っていて、たくさんの人が歩いている。
犬さんを散歩させている人、自転車に乗っている人、笑いながら手を繋いでいる男の人と女の人。
世界はこんなに色がたくさんあったんだ。
マシロは嬉しくて胸がトクントクンと早鐘を打った。
「タナデ、すごい。おそと、すごい!」
「ふふ、そうか。⋯⋯でもマシロ、窓に張り付きすぎだ。任務中だってこと、忘れてないか?」
タナデに言われてマシロはハッとした。
そうだった⋯⋯マシロは今、エージェント・マシロなのだ。
慌てて姿勢を正し、キリッとした顔を作る。
「⋯⋯ま、マシロ、わすれてない。てきの、かんし、してるの」
「くくっ⋯⋯そうか。それは頼もしいな」
タナデがマシロの帽子のポンポンを撫でてくれた。
サングラスの奥のタナデの目は、とっても優しくてマシロはまた嬉しくなってしまった。
しばらくして、車がゆっくりと止まった。
「到着しましたよ」
降りた場所は建物の裏側にある静かな場所だった。
マシロがタナデと一緒にお礼を言って車を降りるとそこには「スタッフ専用」と書かれた重そうな扉があった。
「ここから入るぞ。⋯⋯準備はいいか?」
「ん! いつでも、いいよ!」
タナデが扉を開ける。
そこを抜けると――。
いきなり、視界が開けた。
そして、ふわっと木の香りと金属の匂いが混ざったような不思議な空気に包まれた。
「わぁ⋯⋯っ!」
マシロは息を呑んだ。
そこは音の宝石箱だった。
ものすごく広いお部屋の壁一面に色とりどりのギターが飾られている。
赤、青、黒、木の色。キラキラ光る塗装がライトを反射して星空みたいだ。
別の場所には金色のラッパや銀色の笛が兵隊さんみたいに整列している。
奥の方には大きなドラムセットがドーンと鎮座していて、王様の椅子みたいに見える。
「ここが、がっきやさん⋯⋯」
「そうだ。世界中の音が、ここに集まっているんだ」
タナデがマシロの手を引いて、ゆっくりと歩き出す。
お店の中にはポロロン、とギターを弾く音や誰かがピアノを試している音が小さく響いている。
それが全部混ざり合って、不思議と心地よい音楽になっている。
マシロは、見るもの全てに目を奪われた。
「タナデ、あれ、なに? おっきい!」
「あれはコントラバス。バイオリンのお父さんみたいなものだ」
「おとーさん! ⋯⋯あっちは? くねくねしてる!」
「サックスだな。ジャズにかかせない楽器だ」
マシロが指差すたびにタナデが丁寧に教えてくれる。
マシロはよちよち歩きながら、あっちを見たり、こっちを見たりと忙しい。
スパイ大作戦のことなんて、もうすっかり頭から飛んでいってしまった。
ふと、マシロの目にあるコーナーが飛び込んできた。
そこには小さな楽器がたくさん置いてあった。
タナデが教えてくれる⋯⋯カスタネット、トライアングル、マラカス。
マシロの背丈でも届く棚に、キラキラした丸い楽器があった。
「⋯⋯これ」
マシロは、そっと手を伸ばした。
丸い枠に銀色の小さな円盤がたくさんついている。
手に取るとシャラ⋯⋯と涼やかな音がした。
「タンバリンだ」
「たんばりん⋯⋯」
マシロは両手でそれを持って、振ってみた。
――シャンッ! シャンシャンッ!
明るくて元気な音が弾けた。
まるで光が音になったみたいでマシロの心も一緒に弾む。
「しゃん! しゃんしゃん!」
楽しくて、マシロはリズムに合わせて体を揺らした。
マスクの下で自然と笑顔がこぼれる。
タナデの方を見ると彼女は周囲を警戒しながらもマシロを見て口元を綻ばせていた。
(タナデ、わらってる。マシロも、たのしい!)
タナデが連れてきてくれた。
怖いと思っていたお外には、こんなに楽しい音が溢れていた。
マシロは嬉しくて、嬉しくて、たまらなくなった。
体中の血がポカポカして、今すぐ歌い出したいくらいの幸せが込み上げてくる。
その時だった。
マシロの体のある部分が感情に反応して「勝手に」動き出したのだ。
――ブンッ! ブンブンッ!
「⋯⋯っ!?」
マシロは固まった。
お尻⋯⋯というか、左足の太もものあたりで、何かが激しく暴れ始めた!
そう、マシロの尻尾、サロペットの中に無理やり収納されたその尻尾が、嬉しさのあまり全力で左右に振られ始めてしまった。
しかし、そこは狭いズボンの中。
尻尾は自由を求めて、分厚いデニム生地を内側から突き破ろうとする。
ボコッ! ボコボコッ! グワンッ!
マシロのダボダボのサロペットのお尻から左足にかけてが、まるで中に何かがいるかのように、不規則かつ激しく波打った。
「あ、あうっ⋯⋯! と、とまらない⋯⋯!」
「マシロ? どうした⋯⋯ッ!?」
周囲を見渡していたタナデが目を見開いて絶句した。
タナデの視線の先には、ひとりでに「ボコボコ」と変形を繰り返すマシロの下半身。
近くにいた店員さんが、ギョッとして二度見した。
「え⋯⋯? あの子の足⋯⋯なにあれ⋯⋯?」
「なんか、服の中で生きてるみたいに動いて⋯⋯」
ザワ⋯⋯と周囲の空気が変わる。
マシロは必死に尻尾を止めようとするけれど楽しい気持ちが止まらないから、尻尾も止まらない!
尻尾が暴れる振動で両手のタンバリンが弾かれる。
シャンシャンシャン!(タンバリンの音)
ボコッボコッボコッ!(尻尾が暴れる音)
「タ、タナデぇ⋯⋯! しっぽが、しっぽがぁ!」
マシロは涙目になってタナデを見上げた。
タナデは一瞬天を仰ぎ、すぐにマシロの前に立って周囲からの視線を遮った。
「しっ! 静かに! ⋯⋯えー、すみません! この子はちょっと、今、ポケットの中で『手品』の練習をしてまして!」
タナデが苦し紛れの言い訳を叫ぶ。
手品――ズボンの中で何かが暴れまわる手品なんて聞いたことがないよって顔をみんながしてる。
でも、マシロの尻尾はタナデの焦りを感じ取ってか、さらに勢いを増して「ボコンッ! ボコンッ!」とサロペットを突き上げちゃう。
楽器屋さんの冒険は、いきなり最大のピンチ(身バレの危機)を迎えてしまった。




