第33話:完璧な(?)変装術
リビングのカーテンを閉め切り、薄暗くなった部屋の中央で私は腕を組んで仁王立ちしていた。
空気は重く張り詰めている――これから始まるのは単なる外出ではない。
敵(野次馬やパパラッチ)の目を欺き目的地へ到達し無事に帰還する。
そう、これは軍事作戦にも等しい重大なプロジェクトなのだ。
「――いいか、マシロ。いやエージェント・マシロ、よく聞くんだ」
私は極めて低い声で、ソファに正座しているマシロに語りかけた。
「我々はこれより極秘裏に『お外』へと潜入し、ターゲットである『楽器屋』を視察する。任務完了後は速やかに撤退して姿を消す。⋯⋯この作戦において最も重要なのは『正体がバレないこと』だ。理解できるか?」
マシロは私の深刻な表情を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
そして、キリッとした顔 (のつもりらしい)で、ビシッと敬礼をする。
「ん! わかった! さくせん、かいし!」
「うむ、いい返事だ」
私は満足げに頷くと背後に用意していたいくつかの紙袋をテーブルの上に広げた。
「敵はどこに潜んでいるかわからない。コンビニの店員、すれ違うサラリーマン、散歩中の犬⋯⋯全てが監視カメラだと思え」
「わんわんも!?」
「ああ、特に犬は鼻が利く。要注意だぞ」
「わんわん、すごい⋯⋯!」
感心している場合ではない。
私は紙袋の中から厳選したアイテムを取り出した。
「だが安心したまえエージェント・マシロ。こんなこともあろうかと私は君に合うサイズの『特殊迷彩装備(子供服)』を大量に取り寄せておいたのだ!」
「ふぉぉおおお!! タナデすごい!!」
ババーン! という効果音が聞こえんばかりの勢いで私は服を掲げた。
実はマシロを拾ってからというもの、ネットショッピングで「これマシロに着せたら絶対可愛いだろ」と思った服を片っ端からポチっていたのが、ここで役に立つとは。
「まずはその目立つ猫耳だ。これを隠蔽する」
私は大きなポンポンのついた厚手のニット帽を取り出した。
色は落ち着いたネイビーで内側はフリース素材になっており、チクチクしない高級品だ。
「これを、こう被る!」
スポッ――マシロの頭にニット帽を被せ、耳ごとすっぽりと覆う。
マシロの三角の耳が中に入ることで、ニット帽の両サイドが少しポコッと膨らんだが、まあ「デザインの範囲内」と言い張れなくもない。
「み、みみ⋯⋯ちょっと、ぺたんってする」
「我慢だエージェント・マシロ。それが君のヘルメットだ」
「へるめっちょ!」
マシロは鏡の前に行き、自分の姿を見て「おおー」と声を上げた。
「次は最大の難関、君の尻尾だ」
私は深刻な顔でマシロの背後に回った。
白くて長くてフサフサの尻尾――それはマシロのチャームポイントであり、同時に最大の「獣人バレ」要素。これをどう隠すか、以前からシミュレーションを重ねてきた私の頭脳はすでに正解を弾き出していた。
スカートの中に丸めて隠す? いや、それではお尻が異常に膨らんでしまう。
コートで隠す? 室内で脱げなくなるのは別のリスクがある。
そこで導き出された最適解が、これだ。
「着たまえ。ダボダボのサロペット(オーバーオール)だ!」
私はデニム生地のサロペットを差し出した。
通常よりも2サイズほど大きい、ビッグシルエットのデザイン。これを着せることで体のラインを曖昧にする。
そして――。
「いいか、尻尾を⋯⋯こうして、片方の足の筒の中に通すんだ!」
「あし!? しっぽ、あしになるの!?」
「そうだ! 左足と一緒に尻尾を収納する! このダボダボ加減なら、尻尾一本分くらい増えてもバレない⋯⋯!」
我ながら天才的な発想である。
マシロは「うー、うー」と唸りながら、片足立ちになって尻尾をズボンの裾に通そうと奮闘している。
「タナデ、これ、むずかしい⋯⋯」
「手伝おう。⋯⋯よし、入った」
装着完了――鏡を見る。
そこには左足だけ微妙にモコモコした寸胴な子供が立っていた。
マシロが歩いてみると尻尾が足に沿っているため、歩くたびに左足の裾が不思議な動きをしているが⋯⋯まあ、現代アート的なファッションだと思えば通るだろう⋯⋯きっと。
「うごきにくい⋯⋯ぺんぎんさんみたい」
「可愛いからヨシだ!」
「かわいいから、よし!」
マシロは単純で助かる。
最後に顔の隠蔽をほどこす。オッドアイは目立つがサングラスをかけさせると逆に「芸能人のお忍び」感が出て怪しまれる。
ここは古典的だが最強のアイテムを使う。
「仕上げだ。この『超大型マスク』を装着せよ」
大人用の不織布マスク(小さめサイズ)だが、マシロの小顔には十分すぎる大きさだ。
装着すると顔の半分以上が隠れ、目元しか見えなくなった。
さらにニット帽を目深に下ろす。
⋯⋯完成した。
そこにいるのは冬の寒さに完全防備した雪だるまのような、あるいは不審な毛玉のような、謎の生き物。
だが一見して「あのVtuberのマシロだ!」と気づく者はいないだろう。
ただの「厚着しすぎた子供」の範囲に収まっているはずだ。
「かんぺきだ⋯⋯」
「かんぺき?」
「ああ。どこからどう見てもただの不審⋯⋯いや、可愛い子供だ」
マシロは鏡の中でマスク越しにニコッと笑った(目が三日月になったので分かった)。
ポーズを取ろうとして尻尾を入れた左足がもつれ、よろめく。
「おっとと。⋯⋯きをつける」
「そのぎこちない動きも『子供特有のドジっ子』としてカモフラージュになるだろう」
さて次は私だ。
一ノ瀬奏も今や「時の人」として顔が割れている。
私はクローゼットから普段は絶対に着ないような明るいベージュのトレンチコートと黒縁の伊達メガネを取り出した。
髪はいつもの部屋に籠もっている配信外の無造作ヘアではなく、しっかりと後ろで束ねてキャップを被る。
「どうだ、マシロ」
「タナデ、なんか⋯⋯おしごとしてるひとみたい!」
「仕事はしてるぞ。⋯⋯よし、これで『敏腕女性編集者とその親戚の子供』という設定で行く」
私は鏡の前でメガネの位置を直した。
うん、怪しくない。たぶん。
⋯⋯いや、二人並ぶと「誘拐犯と被害者」に見えなくもないが、そこは私の堂々とした振る舞いでカバーするしかない。
私は玄関に向かい、革靴を履いた。
マシロも歩くたびに「よち、よち」とペンギンのような足取りでついてくる。
その姿があまりに愛らしくて、作戦中止してこのまま撮影会を始めたい衝動に駆られるが、グッと堪える。
「我々の正体はバレてはいけない。⋯⋯出来るかな、エージェント・マシロ!」
私が問いかけるとマシロはモコモコの服の中から、小さな拳を突き上げた。
「マシロ! できましゅ!」
「声が大きい! 外では小声だ!」
「⋯⋯できましゅ(小声)」
「よろしい。⋯⋯いざ、出発だ!」
私は玄関のドアノブに手をかけた。
ガチャリと重い金属音が響く。
ドアが開くと眩しい午後の日差しと外の空気が流れ込んできた。
マシロが眩しそうに目を細め、そしてすぐに期待に満ちた瞳で外の世界を見上げる。
「タナデ、おそと⋯⋯ひろい!」
「ああ。広いぞ。⋯⋯私から離れるなよ」
「ん! 離れない!」
私はマシロの小さな手(袖から指先が少ししか出ていない)を、しっかりと握りしめた。
その手は温かく少し汗ばんでいて彼女の緊張と興奮を伝えてくる。
スパイ大作戦、ミッション・スタート。
ターゲットは駅前の大型楽器店――敵は全世界の視線。
私とマシロの初めての「潜入活動」のようなお出かけが始まった。
⋯⋯まあ、エレベーターに乗った瞬間、鏡に映った自分たちが完全に「不審者ペア」そのものであることに気づいて、少しだけ冷や汗をかいたのは内緒だ。




