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第29話:コラボ配信『犬猫戦争』開幕!


『――配信開始まで、あと5秒、4、3⋯⋯』


 黒い待機画面に無数のペンライトの絵文字が流れている。

 今日の同接数は開始前から既に三十万人を超えていた。


 それもそのはず今日は業界最大手『ライブ・フロンティア』のトップスター、ワンダ・バウと彗星のごとく現れた個人勢のモンスターキッズ・マシロによる歴史的なコラボ配信なのだから。


 タイトルは『【世紀の決戦】犬vs猫! 歌姫の座を賭けた仁義なき戦い!【#マシロワンダ】』

 BGMがいつもの穏やかなものから激しいロック調のものへと切り替わる。


「――こんバウわー! みんなの忠犬、ワンダ・バウだよー! 今日は待ちに待った決戦の日! 吠え面かかせてやるから覚悟しなさいっ!」


 画面が切り替わった。


 画面の左半分には精巧なLive2Dで描かれた、犬耳の元気娘『ワンダ・バウ』。滑らかに動き、表情豊かにガッツポーズを決めている。


 そして右半分には高画質カメラで映し出された実写の『マシロ』。

 いつもの定位置であるピアノの前の椅子にちょこんと座り、少し大きめのヘッドホンを頭につけて、きょとんとした顔でカメラを見つめている。


「⋯⋯ん。⋯⋯こ、こんばんは。⋯⋯マシロ、です! がおー」


 マシロが、カメラに向かって小さな手で「ガオー」のポーズ(猫パンチ)をした。


 これは事前にタナデ(奏)から「最初は強そうにするんだぞ」と言い含められた演出だろうが、その破壊力は「強そう」ではなく「尊すぎて即死」レベルだった。


『うおおおおおおおおおおおお』

『ガオー助かる』

『開幕即死』

『 格 付 け 完 了 』

『これが伝説の実写猫耳⋯⋯!』

『ワンダ逃げて! 可愛さで殺されるぞ!』

『左:バーチャルの極致 右:現実の奇跡』

『夢の競演だああああ』


 本来なら、ここでワンダが「何よその可愛いポーズ! 媚びてんじゃないわよ!」とプロレスを仕掛ける予定だった。


 台本では、そうなっていたはずだ。


 しかし画面左のワンダのアバターは、ピクリとも動かなくなっていた。

 数秒の沈黙――放送事故か? と思われたその時。


「⋯⋯⋯⋯っはぁーーーーーーっ(クソデカ溜息)」


 マイクが音割れするほどの、深い、深すぎる吐息が聞こえた。


「ちょ、え、待って。無理。可愛い。え、今のガオー見た? みんな見た? スクショした!? 私はした!! 保存用と観賞用と布教用で三枚撮った!!」


 ワンダが早口でまくし立て始めた。

 アバターが荒ぶるように上下に揺れている。


「マシロちゃん! 今日のお洋服も素敵! そのちょっと萌え袖になってるニット、最高に似合ってるよ! あとヘッドホンで耳がちょっとペタンってなってるの、芸術点高すぎない!? ねえ、天使なの? 天使が地上に降りてきてVtuberやってるの!?」


「⋯⋯えっと、わんわん⋯⋯? たたかう、の?」


 マシロが首を傾げると、白い猫耳がピョコンと動いてヘッドホンの位置を直した。


「戦う!? 戦えるわけないじゃん! こんな可愛い生き物に攻撃したら、私が国連と全宇宙のファンから消されるわよ! もう私の負けでいいです! マシロちゃん優勝! 世界一!」


『ワンダwwwwww』

『キャラ崩壊してて草』

『チョロすぎて草』

『知ってた』

『これもうただの限界オタクだろw』

『「躾けてやる」とかなんとか言ってなかったっけ』

『ワンダ、俺ら側の人間だったか⋯⋯』



「あ、でも待って。マシロちゃん、ちょっと後ろ向いてみて?」


「うしろ? ⋯⋯こう?」


 マシロが素直にくるりと椅子の上で回転し、背中を向ける。

 そこには長く、美しく手入れされた真っ白な尻尾が、ゆらゆらと揺れていた。

 緊張がほぐれてきたのか、尻尾の先がご機嫌そうにリズムを刻んでいる。


「うわああああああああ! 尻尾! 尻尾おおおおおお! 動いてる! 生きてる! ねえ、それ触っていい!? モフってしたい! 顔埋めたい!」


 ワンダのアバターの手が、画面の右側(マシロの領域)に向かって必死に伸びるモーションをする。

 だが当然ながらそこには「次元の壁(配信画面の境界線)」がある。


「ああっ! くそっ! ここがデジタルの限界か! なんで私はLive2Dなんだ! 今すぐ3Dになってそのスタジオに瞬間移動したい! モニターが! モニターが邪魔なのよおおおおお!」


 ドンッ、ドンッ、とワンダ(の中の人)が実際に机かモニターを叩いている音がマイクに乗る。


「わんわん、だいじょうぶ⋯⋯?」


「大丈夫じゃない! マシロちゃんが可愛すぎて、私の理性という名の首輪が千切れそうなの!」


 その必死すぎる様子が面白かったのか、マシロが「ふふっ」と笑った。

 そして、照れ隠しのように手元のマイクスポンジをいじりだす。


「わんわん、おもしろいひと。⋯⋯マシロ、わんわんのこと、すき」


 その一言は核弾頭だった。

 ワンダが「ひゅっ」と息を呑んで静止する。

 そして、マシロは嬉しそうに目を細め、喉を鳴らした。


 ――ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴロゴロ⋯⋯。


 高性能マイクがその音を拾う。猫が安心しきった時に出す、あの神秘的な重低音。


 それがワンダのハイテンションな叫びで騒がしかった配信を一瞬で静寂に包み込み、そして視聴者の鼓膜を直接マッサージするように響き渡った。



『!?!?!?!?』

『うわああああああああああああ』

『ASMR助かる』

『脳が溶ける』

『ゴロゴロ音だ!! 本物のゴロゴロ音だ!!』

『尊すぎて心臓止まった』

『これは国宝に指定すべき音源』

『ヘッドホン推奨』

『ワンダ生きてるかー?』



「⋯⋯⋯⋯⋯⋯(昇天)」


 画面左のワンダのアバターが、白目をむいて魂が抜けているような表情(トラッキングミスによるバグかもしれないが、奇跡的なタイミングだ)になっていた。


「⋯⋯はっ! いかん、一瞬三途の川が見えたわ。お花畑でマシロちゃんが手招きしてた⋯⋯」


 ワンダは我に返ると居住まいを正すように咳払いをした。


「⋯⋯えー、コホン。視聴者の諸君。分かった? これが『本物』の威力よ。私、今日から『マシロちゃん親衛隊』の隊長を名乗ることにするから。異論は認めないわ」



『勝手に名乗るなワンダ』

『隊長! 一生ついていきます!』

『抜け駆けすんなw』

『俺が隊長だ』

『いや俺だ』

『ここでまさかの内紛勃発』



 もはや「対決」の空気は微塵もない。

 ただそこにあるのは、マシロを中心とした平和で幸せな世界だけだった。


 その時――マシロの横からスッと一枚のフリップ(カンペ)が差し出された。

 持っているのは画面外にいるタナデ(一ノ瀬奏)だ。


 フリップには、達筆な文字でこう書かれていた。


『そろそろ歌え。運営が困ってる』


 ワンダがそれを見て、ハッとした。


「あ、やべっ! そうだった! 今日は歌枠だった! プロデューサーのモンタナ先生からの冷たい視線を感じるわ!」


 ワンダはアバターの表情を「キリッ」としたものに切り替えた。


「ごめんねみんな、取り乱しちゃった。⋯⋯でも、私のマシロちゃんへの愛は伝わったと思う!」


「ん。わんわんの、だいすき、つたわった」


「うぅ、いい子⋯⋯。さて! 当初は『対決』の予定だったけど、こんなに仲良くなっちゃった私たちが争うなんて野暮よね?」


 ワンダが視聴者に問いかける。

 コメント欄も『わかる』『てぇてぇ(尊い)が見たい』『デュエット希望』で埋め尽くされる。


「だよねー! というわけで! 緊急企画変更! 『犬と猫のスペシャルデュエットライブ』を開催しまーす!」


 パチパチパチ、とマシロが拍手をする。


「マシロちゃん、準備はいい?」


「ん! マシロ、いつでもうたえる」


 マシロの表情が変わる。

 さっきまでの、ふにゃふにゃとした愛らしい幼児の顔から、一人の「歌い手」の顔へ。

 その瞳に、強い光が宿る。


 画面外の奏がピアノの鍵盤に手を置いた気配がした。


「曲は、みんなも知ってるあの曲。⋯⋯種族の壁を超えて、私たちが奏でるハーモニー、聴いてください」


 ワンダの声も、真剣なトーンに変わる。

 トップVtuberとしての矜持とマシロという「本物」へのリスペクトを込めて。


 一瞬の静寂。

 二人の息遣いが重なる。


 次の瞬間、奏のピアノが、美しいイントロを奏で始めた――。

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