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第28話:オフライン会合(陥落の儀)

 都内某所、閑静な高級住宅街――私は、深めのバケットハットを目深に被り、黒マスクで顔を覆い、周囲を警戒しながら歩いていた。


 私の名前は戌井(いぬい)くるみ。

 世間一般には、チャンネル登録者数二百万人を誇る超人気Vtuber『ワンダ・バウ』の「中の人(魂)」として知られている。


(⋯⋯ふん。ここが一ノ瀬奏のマンションね。いいとこ住んでんじゃない)


 見上げた先にはセキュリティ万全のデザイナーズマンション。

 私はマスクの下で、ふてぶてしく鼻を鳴らした。


 今回の訪問の目的は先日の動画で私がぶち上げた「マシロちゃんへの挑戦状」――そのコラボ配信に向けた、オフラインでの打ち合わせだ。


 表向きは「業界の先輩として、話題の新人にご挨拶に伺う」といったテイストだが私の腹の内は違う。


(ぽっと出の「猫」が、天下の「犬」様よりチヤホヤされるなんて百年早いのよ!)


 正直なところ面白くない。

 こちとら何年もかけてトークスキルを磨き、歌を練習し、炎上ギリギリの企画もこなしながら今の地位を築き上げてきたのだ。


 それをたまたま路地裏で拾われました? 耳と尻尾が本物です? それだけで同接世界一?

 

 冗談じゃない。業界の噂じゃ、あのマシロとかいう子どもは一ノ瀬奏にベッタリで、わがまま放題の「天狗」になってるって話じゃないか。

 

「⋯⋯歌姫だなんだって持ち上げられてるけど、どうせ中身は生意気なクソガキでしょ。よくいるのよね、この業界。ちょっとバズったからって勘違いしちゃって、スタッフにタメ口きくような子がさ」


 独り言が漏れる。

 今回のコラボ、ただのプロレスで終わらせるつもりはない。


 私の圧倒的なトーク力と歌唱力で、格の違いを見せつける。そして「Vtuberの世界はそんなに甘くないのよ子猫ちゃん」と、厳しく躾けてやるつもりだ。


 それがトップを走る者の責務でもある。

 そう意気込んで、マンションの敷地内へ入ろうとした、その時だった。


「――おいコラ。そこのカメラ持った兄ちゃん」


 植え込みの陰からドスの効いた低い声が響いた。

 ビクリとして足を止める。見れば電柱の影に隠れて望遠レンズを構えていた週刊誌の記者らしき男が、数人の男たちに取り囲まれている現場だった。


 記者を取り囲んでいる男たち。彼らの風貌は一言で言えば「異様」だった。


 スキンヘッドにサングラス、あるいは筋肉隆々のタンクトップ姿。どう見てもカタギではない、夜の街や建設現場で幅を利かせていそうな強面(こわもて)の男たちだ。


 だが、何よりも異様なのは――。


「ここのマンションは撮影禁止だニャン」


「マシロちゃんの平穏を乱す奴は、東京湾に沈めるニャーよ?」


「とっととSDカード置いて失せるニャ」


 彼らの頭の上にファンシーショップで売っていそうな「猫耳カチューシャ」が装着されていることだった。


(⋯⋯は?)


 私は我が目を疑った。


 屈強な男たちが真顔で猫耳をつけ、語尾に「ニャ」をつけて、記者を脅している。

 記者は顔面蒼白で「ひっ、すいません! データ消します! 許してください!」と涙目で逃げ出していった。


「よし。異常なしニャ」


「今日もマシロちゃんは俺たちが守るニャ」


「団長に報告だニャ」


 男たちは満足そうに頷き合うとまた植え込みの陰や、近くの公園のベンチへと散らばっていった。

 

(な、なんなのあれ⋯⋯!? 私兵? ファン? ていうか怖すぎるでしょ!)


 『shiro_cat』チャンネルのファンの団結力が異常だとは聞いていたが、まさかリアルで自警団が結成されているとは。


 私は背筋に冷たいものを感じながら彼らに気づかれないよう、そそくさとエントランスへ駆け込んだ。

 

 ⋯⋯まあいい。外野がどうあろうとマシロ本人が生意気な小娘であることに変わりはないはずだ。

 私は乱れた呼吸を整え、エレベーターで上階へと向かった。


 ピンポーン。


 インターホンを押す。

 さあ出てきなさい。伝説の天才作曲家・一ノ瀬奏と、その七光りで調子に乗っている猫娘。

 このワンダ・バウ様が、挨拶代わりに強烈な先制パンチ(トーク)をお見舞いしてあげるわ。


「はい。⋯⋯どうぞ、今開けます」


 インターホン越しにクールで落ち着いた女性の声が聞こえた。一ノ瀬奏だ。

 ロックが解除され、私は重厚な玄関ドアを開けた。


「失礼しまーす。ライブ・フロンティアの戌井ですけどー」


 わざと少しダルそうな、業界人っぽい口調で足を踏み入れる。

 広い玄関、その先に続く廊下へ――リビングのドアが開かれるとそこには洗練された空間が広がっていた。


 そして部屋の中央に立つ一人の女性。黒髪をラフに束ね、切れ長の瞳でこちらを見据える美女、一ノ瀬奏。画面越しに見るよりも数倍オーラと品がある。


「よくいらっしゃいました、戌井さん。⋯⋯遠いところをご足労いただいて」


「あ、いえ。どうも」


 思わず背筋が伸びてしまった。

 いけない、ペースを持っていかれる。私は咳払いを一つして、視線を巡らせた。


「一ノ瀬さん、私こと『ワンダ』の喧嘩を買った肝心のマシロちゃんはどこですか? まさか、怖気づいて部屋から出てこないとか?」


 挑発的な言葉を投げかけると⋯⋯奏さんは、ふっと口元を緩めた。


「怖がってはいませんよ。ただ、少し人見知りなだけです。⋯⋯マシロ、おいで。お客さんだよ」


 奏さんが、自分の背後に向かって手招きをした。


 その瞬間――私の視界の世界が変わった。


 奏さんの腰の後ろから、ひょこっと白い影が現れた。


「⋯⋯こん、にちは⋯⋯」


 そこにいたのは、この世のものとは思えない生物だった。


 透き通るような雪白の髪。

 右がサファイア、左がトパーズのように輝く、大きなオッドアイ。


 頭頂部にはふわふわの白い猫耳がついており、私の姿を確認すると「ピクンッ」と緊張したように跳ねた。


 そしてその服装だ。

 彼女は明らかにサイズが大きすぎる、ぶかぶかのグレーのパーカーを着ていた。


 袖からは指先がちょこんとしか出ておらず、裾は膝まで隠れるほど長い。いわゆる「彼氏シャツ」ならぬ「ママパーカー」状態。


 フードが少しずり落ちて、片方の耳が隠れそうになっているのを、小さな手でもぞもぞと直している。


 パーカーの裾の下からは、長く美しい純白の尻尾が伸びており、緊張のあまりピーン! と棒のように直立して固まっている。


「⋯⋯あの、えっと⋯⋯わんわんの、おねえちゃん?」


 鈴を転がすような、あどけない声。

 上目遣い、不安げに揺れる瞳。


 生意気なガキ? 天狗? どこにそんな要素がある。

 そこにいるのは、ただひたすらに「庇護欲」を暴力的なまでに刺激する、奇跡の生命体だった。


 ――プッツン。


 私の脳内で、何かが焼き切れる音がした。


 1秒。状況を理解する。

 2秒。可愛さが網膜から脳髄へ直接突き刺さる。

 3秒。全身の血液が沸騰し、思考回路がショートする。


「⋯⋯ッ!!!」


 私は膝から崩れ落ちた。

 音を立ててフローリングに手をつき、額を床に擦り付ける。

 完璧なまでの五体投地――土下座である。


「⋯⋯す、すみませんでしたぁぁぁっ!!!」


「みゃっ!?」


 私の奇行にマシロちゃんが驚いて奏さんの足にしがみつく。その仕草すらも吐血するほど可愛い。


「あ、あの、私、なんてことを⋯⋯! こんな、こんな天使に向かって『躾ける』だの『わからせる』だの⋯⋯! 死にます! 私のような汚れた大人は、今すぐ窓から飛び降りて死んでお詫びを⋯⋯ッ!」


「ちょ、ちょっと戌井さん!?」


 一ノ瀬さんが慌てた様子で声をかけてくるが、私の暴走は止まらない。

 床に額を押し付けたまま、私は叫んだ。


「可愛すぎるだろおおおおおおッ! なんだこれ! CGじゃないの!? え、その耳本物!? その尻尾のモフモフ具合は何!? あとそのパーカー! ブカブカパーカーは反則でしょ法に触れるでしょ! あざとい! いや、あざといを超えて芸術! ルーブル美術館に飾るべき!!」


「⋯⋯タナデ、わんわん、おかしくなった?」


「⋯⋯うん。壊れたみたいだね」


 マシロちゃんの純粋な問いかけが、グサリと胸に刺さる。

 私はガバッと顔を上げた。おそらく、目は血走り、鼻の下は伸びきっていることだろう。


「マシロちゃん! 初めまして! 戌井くるみです! いや、今日から貴女の下僕1号と呼んでください!」


 ズリズリと膝行(しっこう)して近づこうとすると、マシロちゃんは「ひぅッ」と小さく悲鳴を上げて、奏さんの後ろに完全に隠れてしまった。


 尻尾だけがちょろりと見えている。


「ああっ! 怖がらせてごめんなさい! でもその『隠れる』モーションも神がかってます! ありがとうございます! 眼福です!」


「⋯⋯戌井さん。落ち着いてください。流石に通報しますよ」


 奏さんの冷ややかな声で私はハッと我に返った。

 いけない。これではただの不審者だ⋯⋯私はトップVtuberワンダ・バウ、スマートでカッコいいお姉さんキャラ(自称)で売っているのだ。


 私は大きく深呼吸をし、乱れた髪を整え、何事もなかったかのように立ち上がった。

 ⋯⋯膝の震えは止まらないが。


「⋯⋯失礼しました。少々、未知の衝撃に取り乱してしまいました」


「少々⋯⋯?」


「いやー、噂には聞いていましたが、実物の破壊力は桁違いですね。核兵器並みですよこれ」


 私は改めてマシロちゃんに向き直り、精一杯の優しい笑顔を作った。


「驚かせてごめんね、マシロちゃん。私はくるみ。ネットの中では『ワンダ・バウ』っていう犬のお姉さんやってるの」


「⋯⋯わんわん?」


 マシロちゃんが、奏さんの腰から顔半分だけ出してこちらを見る。


「そう、わんわん。⋯⋯仲良くしてくれるかな?」


「⋯⋯わんわん、こわくない? マシロのこと、いじめない?」


 その言葉に、胸が締め付けられた。

 ああ、そうか。この子は、あの大手事務所の一件で大人に怯えているんだ。

 私がさっきまで抱いていた「躾けてやる」という邪念が、なんて浅ましく、愚かなものだったのか。


 私はその場に片膝をつき、目線の高さをマシロちゃんに合わせた。


「いじめないよ。絶対に。⋯⋯もし誰かがマシロちゃんをいじめたら、私がこの犬歯で噛みちぎってやるからね」


「⋯⋯かみちぎる」


「あ、ごめん。えっと、私が守ってあげるってこと!」


 私の必死な形相がおかしかったのか、マシロちゃんが「ふふっ」と小さく笑った。

 そして、おずおずと私の前に歩み出て、小さな手を差し出してきた。


「⋯⋯マシロも、わんわんと、あそびたい。よろしくね、くるみおねーちゃん」


 ずきゅーん。

 本日二度目の心臓停止。

 「おねーちゃん」。その響き。甘美すぎる。


 私は震える手で、その小さくて温かい手を握り返した。

 柔らかい。壊れてしまいそうだ。


「⋯⋯はい。こちらこそ、よろしくね」


 奏さんが呆れたように、でも少し安心したようにため息をつくのが聞こえた。


「まさか『暴れ犬』と謳われているワンダ・バウの中の人が、ここまでチョロいとは思いませんでしたよ」


「うるさいですね! これは不可抗力です! 人類なら誰だってこうなります!」


 私は立ち上がり、奏さんに向かって宣言した。


「一ノ瀬さん。コラボの話、予定変更です」


「ほう? 逃げますか?」


「違います! 『対決』なんて生ぬるい! 今回のコラボのテーマは『マシロちゃん布教&護衛スペシャル』です! 私が全身全霊でマシロちゃんの魅力を引き出し、同時にアンチどもを駆逐する番犬になります!」


「⋯⋯済みませんがそれは事務所の了解を得ているんでしょうか? 歌の勝負ですよね? マシロもやる気満々ですから」


「う、うぅ⋯⋯この天使と戦えと⋯⋯? わかりました、手加減はしません。プロとして最高のステージを用意します。でも、終わった後は全力で甘やかしますからね!」


 その後、打ち合わせと称してお茶をいただいたのだが、マシロちゃんが一生懸命運んでくれたクッキーを食べるのがもったいなくて、こっそりティッシュに包んで持ち帰ったのは、ここだけの秘密である。


 あー、早く家に帰って、ファンクラブ会員証(自作)を作らなきゃ。

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