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第25話:攻めて守る

 ばたん、と大きな音がして、知らない匂いの人たちがいなくなった。

 お部屋のなかが、しーんと静かになる。

 マシロは、タナデの服をぎゅっと握ったまま、しばらく動けなかった。


 こわかった。


 さっきの黒いお洋服の人たち、目がちっとも笑ってなかった。

 マシロをじろじろ見て、なんだか「食べ物」みたいに見てた。

 それに、タナデをいじめるみたいな、とげとげした声をだしてた。


「⋯⋯マシロ」


 上から、だいすきな声が降ってくる。

 さっきまでの氷みたいに冷たい声じゃない。

 マシロを包んでくれる、やわらかくて、あったかいタナデの声。


「もう大丈夫だよ。⋯⋯怖かっただろ、ごめんな」


 タナデがマシロをそっと抱きしめてくれた。

 くんくん、と鼻を動かす。


 タナデのにおいだ。お日さまとコーヒーとそれからマシロが安心する「タナデのにおい」。

 しらない人の、ツンとするインクみたいな匂いが消えていく。


「⋯⋯タナデ。タナデ、こわかった⋯⋯?」


「正直、少しだけ怖かった。でも、マシロを連れて行こうとする奴らの方が百倍怖かった。だから追い返したんだ」


 タナデの手がマシロの耳のうしろを、ゆっくり、優しくなでてくれる。

 これがマシロの一番の「とくべつ」。


 指先が毛並みに沈んで絶妙な力加減でカリカリされると、マシロのなかの「こわい」が全部とけて、なくなっちゃう。


「⋯⋯んぅ⋯⋯みゃうぅ⋯⋯」


 喉の奥が勝手に鳴りだす。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。


 マイクがなくても、タナデにはきっと聞こえてる。

 タナデがくすっと笑ったのが、胸に当たってる頭から伝わってきた。


「甘えん坊さんだな。今日は、ずっとこうしていようか」


「⋯⋯ん。きょうは、ここがマシロのいす!」


 マシロはタナデのお膝の上に、よいしょ、と座りなおした。

 ここなら、だれもマシロを捕まえられない。

 タナデの腕がマシロを囲んで、お城みたいに守ってくれるから。


 マシロは、タナデのお膝で丸くなって、尻尾をタナデの手首にくるんと巻きつけた。

 離さない。離したくない。


 タナデが「えーえん」って言ってくれたから、マシロはずっとここにいるの。


 でもタナデはマシロをなでながら、ときどき窓の方を見てた。

 お顔は優しいけど、目は、とっても難しいことを考えてる時の目。

 

 タナデが片手で、ちいさな機械⋯⋯スマホを手に取る。

 マシロは、タナデの指が動くのをじっと見ていた。



      * * *



 腕の中の温もり。ゴロゴロと鳴る心地よい振動。

 これだけは何があっても守り抜かなければならない。

 

 けれど状況は私が思っていた以上に深刻だ。


 スターライト・プロの阿久津がここまで直接乗り込んできたということは「タナデ」の正体が「一ノ瀬奏」であることも、そして「マシロ」が本物であるということも業界の裏側では既に公然の秘密になりつつあるということだ。

 

 今はまだ彼らが「独占」したいがために情報を止めているかもしれないが私が交渉を蹴った以上、彼らは次の手段に出るだろう。


 嫌がらせ、情報のリーク、あるいはマシロの「猫獣人」という存在を社会問題化させて、法的にマシロを隔離しようとするかもしれない。


(⋯⋯隠れ続けるのは、もう限界だな)


 これまではマシロを平穏な場所に置いておきたくて、なるべく外の世界とは遮断してきた。

 けれど守るということは、ただ閉じ込めることじゃない。

 降りかかる火の粉を、事前にすべて焼き払うだけの力を、私が持たなければ。


 私はスマホの連絡帳をスクロールした。

 かつて、一ノ瀬奏として活動していた頃、最も「敵」に回したくないと思っていた男。

 それと同時に真実のためなら相手が誰であろうと噛み付く、業界のハイエナ。


 週刊誌『フロントライン』の記者、佐藤。


 彼は私のスキャンダルを追っていたこともあったが、私の音楽を誰よりも正当に評価していた数少ない人間の一人でもある。その人間性はともかく能力でいえば間違いなく優秀だ。


「⋯⋯マシロ、少しだけお仕事の話をさせてくれ」


「ん⋯⋯。タナデ、おしごと?」


「うん、マシロを守るための、とっても大事なお仕事だよ」


 私は、佐藤の番号をタップした。

 数回のコールの後、聞き覚えのある、低くてがらがらな声が響いた。


『⋯⋯こりゃ珍しいな。死んだと思ってたぜ、一ノ瀬奏』


「お久しぶりです佐藤さん。⋯⋯特大のスクープ、興味ないですか?」


『ほう。お前が自らネタを持ち込むとはな。例の「猫耳の歌姫」のことか?』


 さすがに早い。

 私はマシロの柔らかい髪に指を通しながら、静かに、けれど決然と言い放った。


「ええ、独占取材を受け入れます。条件は⋯⋯スターライト・プロの汚いやり口を、実名で叩き潰すこと。それからマシロが『保護されるべき対象』ではなく『自由な意志を持つアーティスト』であることを、世界に知らしめること」


 電話の向こうで、佐藤が野卑な笑い声を上げるのが聞こえた。


『面白え。業界の巨人を敵に回すか。相変わらず尖ってるねぇお前さんは、いや今は狂犬だっけ?』


「狂犬なのは私のせいじゃないですよ。⋯⋯マシロに触れようとする奴らが、私をそうさせてるだけです」


 攻めて守る。

 マシロの存在をこちらから公に晒す、そしてそれは「私たちがコントロールする形」で。

 それがこれからの戦い方だ。


 電話を切り、私はマシロを見つめた。

 マシロは不思議そうに小首を傾げ、私の手に自分の頬をすり寄せてきた。


「タナデ。⋯⋯マシロ、うたう? うたったら、みんな、にこにこ?」


「ああ、マシロが歌えば世界中がマシロを好きになる。⋯⋯だからマシロは、ただ楽しく歌っていればいいんだよ」


 私はマシロをお膝から降ろすと、彼女の両頬を包み込んで、おでことおでこをコツンと合わせた。

 

 お外の世界は、マシロが思うよりずっと汚くて、残酷だ。

 でも私がその泥を全部被ってでも、この子が見る景色だけは美しいままでいさせてみせると誓った。

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