第17話:ライブ間近の緊張
カチ、コチ、カチ、コチ。
お部屋の時計の音が、なんだか今日はとっても大きい。
まるで、見えない怪獣さんが、こっちに近づいてくる足音みたい。
マシロはソファの上で、お膝を抱えて小さくなっていた。
お部屋の電気は消えていて、機材のランプだけが、赤とか青にチカチカ光ってる。
いつもはキラキラしていて綺麗だなって思うのに、今日はなんだか怖い目に見えるの。
「⋯⋯ぅぅ」
なんだかお腹が、痛い。
悪いものを食べたわけじゃない。
高級な猫缶も、タナデがくれたハチミツも、全部おいしかった。
なのに、お臍のあたりがギューッて雑巾絞りみたいにねじれる感じがする。
(どうしよう⋯⋯)
マシロはお腹をさすりながら、タナデの方を見た。
タナデは机に向かって難しい顔をしてる。
画面には数字がいっぱい並んでる。
ヘッドホンをして、マウスをカチカチして、とっても真剣。
今夜は「ライブ」なんだって。
マシロの歌を世界中の人が聴きに来るんだって。
タナデは「楽しみだな」って笑ってた。
マシロも楽しみだった。
タナデの作った『ねこのあしあと』は、とっても素敵な魔法だから。
でも。
(もし、また⋯⋯『みゃっ!』ってなっちゃったら?)
嫌な想像が、頭の中にモクモクと広がる。
歌っている途中で、声が出なくなったら?
歌詞を間違えて「えーえん」が言えなくなったら?
そしたら、タナデはガッカリするかな。
画面の向こうの人たちは、また怖い言葉を投げてタナデをいじめるかな。
そう考えたら、もっとお腹が痛くなった。
息をするのも、ちょっと苦しい。
喉の奥に、大きな石が詰まってるみたい。
「⋯⋯ふぅ⋯⋯」
深呼吸しようとしたけど、うまくできない。
尻尾が、怖がって足の間に隠れちゃう。
マシロは毛布を頭から被って、お団子みたいに丸まった。
隠れたい。逃げたい。
でも、歌いたい。
心がふたつに割れて、ぐちゃぐちゃになっておかしくなりそう。
その時――ふわり、と。
マシロの頭の上から大好きな匂いが降ってきた。
コーヒーとタナデの匂い。
「⋯⋯マシロ?」
毛布がめくられて、光が入ってきた。
タナデがしゃがんでマシロを覗き込んでる。
いつもの鋭い目じゃなくてとっても優しい深い色の目。
「どうしたんだ。⋯⋯顔色が悪いぞ」
タナデの大きな手が、マシロのおでこに触れる。
ひんやりして、気持ちいい。
「⋯⋯タナデ、おなか、いたい」
「腹痛か? 食べすぎか?」
マシロは首を横に振った。
「ちがう⋯⋯ギュッてする、こわい」
マシロは胸のあたりをギュッと握りしめた。
「おうた、じょうずにうたえない⋯⋯」
「マシロ⋯⋯」
「タナデ⋯⋯マシロ、きらいなる?」
一番怖いことを口に出してしまった。
タナデはマシロを拾ってくれた。
でもマシロがダメな子だったら、またあの冷たい雨の中に捨てられちゃうかもしれない。
マシロの言葉を聞いたタナデは、少しだけ驚いた顔をして。
それから、ふっと優しく笑った。
「バカだなぁ、お前は」
タナデはマシロの頭を、わしゃわしゃと撫でた。
「嫌いになんてならないよ。たとえマシロが本番で盛大にコケても、歌詞を全部忘れても、私が全部笑い話にしてやる」
「⋯⋯ほんと?」
「ああ。それに失敗なんてさせない。私がいるだろ?」
タナデは自分の胸をドンと叩いた。
「私の伴奏は世界一だ。マシロがどんなにズレても私が必ず合わせてやる。マシロが転びそうになったら、音で支えてやる。⋯⋯だから何も考えずにマシロは気持ちよく歌えばいいんだ」
強い言葉、タナデの声を聞いているとお腹の中のギュッていう痛みが、少しずつ解けていく気がする。
「そうだ。⋯⋯いいものをやるよ」
タナデは机の方に行ってから何かを取り出した。
それは綺麗なリボンだった。
深い、夜空みたいな青色。ベルベット?っていうらしい、ふわふわした生地のリボン。真ん中には小さな銀色の鈴がついてる。
「これ、なに?」
「お守りだ」
「おまもり?」
「ああ。これを着けていれば、緊張しなくなる魔法のアイテムだよ」
タナデはマシロの後ろに回って、そのリボンを首に巻いてくれた。
きつくない、ふわりとした締め心地。
タナデの指先が首筋に触れて、くすぐったい。
「⋯⋯よし、似合うな」
タナデが満足そうに頷いた。マシロは手でリボンに触れてみた。
チリン、と小さな鈴の音が鳴った。
その音は、さっきまでの怖い時計の音を消し飛ばしてくれた。
「これは、マシロが私と繋がってる証だ。⋯⋯お前は独りじゃない。私が後ろで手綱を握ってる。だから安心して歌ってこい」
「⋯⋯ん!」
やっぱりタナデは魔法使いだ。
タナデの言う通りリボンのお守りから温かさが伝わって、体中がポカポカしてきた。
お腹の痛みなんて、もうどこかへ行っちゃった。
今ならどんな大きな声でも出せる気がする。
「タナデ、ありがとう! これ、すき!」
「気に入ったなら良かった。⋯⋯安物だけどな」
タナデは照れ隠しみたいに鼻をかいた。
ううん、安物じゃないよ。マシロにとっては、猫じゃらしよりもすごい宝物だもん。
「さて⋯⋯そろそろ時間だ。行くぞ、マシロ」
「うん!」
タナデが差し出した手を、マシロはギュッと握り返した。
マシロたちは手を繋いだまま、マイクとピアノが待っている「戦場」へと向かった。
* * *
ピアノの椅子に座る。
目の前には、あの「アミアミ」がついたマイク。
今日はもう、パンチしたりしない。ちゃんと歌を届けるための道具だって知ってるから。
タナデが隣に座る気配がする。
画面には「待機中」という文字。
数字が見える。
『同接:120,000人』
ゼロがいっぱいあるとすごい数の人が待ってるみたい。
でも、怖くない。
首元のリボンが、チリンと鳴ったから。
隣には、世界一の魔法使いがいるから。
タナデがこっちを見た。マシロもタナデを見た。
オッドアイと黒い瞳が重なる。
二人の呼吸がピタリと合う。
タナデの指が鍵盤の上に置かれる。
スゥッ、とマシロが息を吸い込む。
さあ、はじめよう。
マシロたちの奇跡の夜を。




