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第16話:特訓!にゃんこ猛練習

 徹夜明けのハイなテンションのまま、私は寝室へ飛び込んだ。


「起きろマシロ! 朝だ! 歌の時間だ!」


「⋯⋯んぅ⋯⋯?」


 布団の山がもぞもぞと動き、そこから寝癖のついた白い頭と、片方だけ折れ曲がった猫耳がひょっこりと顔を出す。


 マシロはまだ夢の中らしく、オッドアイがとろんと溶けていた。


「⋯⋯たなで、おはよ⋯⋯」


「ああ、おはよう。そして、これを見ろ」


 私は刷り上がったばかりの楽譜を彼女の目の前にバッと広げた。

 まだインクの匂いが残る、出来立てのほやほやだ。


「できたぞ、マシロ。お前の曲だ」


 その言葉にマシロの目がパチクリと瞬いた。彼女は鼻をヒクつかせ、私を見上げる。

 昨日のような暗くて重たい空気はもうない。今の私はきっとマシロが好きな「キラキラしたタナデ」に戻っているはずだ。


「⋯⋯できた? 魔法?」


「ああ、特大の魔法だ。⋯⋯聴きたいか?」


 マシロは勢いよく布団を跳ね除け、ベッドの上で飛び跳ねた。

 尻尾がブンブンと振られ、枕にバシバシ当たっている。


「きく! きく!!」



       * * *



 朝食もそこそこに私たちは防音室へ雪崩れ込んだ。

 私はピアノの前に座り、深呼吸を一つ。


 マシロはいつもの「定位置」であるピアノの下ではなく、今日は私の隣に椅子を持ってきて座らせた。


「いくぞ」


 最初の和音を鳴らす。

 雨音をイメージした、静かで優しい導入部。

 そこから雲間から光が差すようにメロディが展開していく。


 マシロは膝の上で両手を握りしめ、食い入るように鍵盤を見つめていた。

 その瞳に私の奏でる音が光の粒子となって映り込んでいるのが分かる。

 サビに入り、転調して世界が広がる瞬間、彼女の猫耳がピンと立った。


 ――ジャン、と最後の余韻が消える。


「⋯⋯すごい」


 マシロがため息のように漏らした。


「これ、マシロの?」


「そうだ。マシロだけの歌だ」


「あったかい⋯⋯ツナマヨみたい!」


「⋯⋯まあ、最高の褒め言葉として受け取っておくよ」


 マシロなりの「大好き」の表現に苦笑しつつ、私は本題に入った。


「で、だ。これを今夜の配信で歌う」


「ん! うたう!」


「だが今回は難しいぞ。『きらきら星』みたいに簡単じゃない。歌詞も複雑だ」


「ふくざつ⋯⋯?」


 マシロが小首を傾げる。そう、ここが最大の難関だった。


 彼女の言語能力は三、四歳児レベルだから普段の会話はカタコトで通じるものの、歌詞となると話は変わる。


 特に私が今回の曲に込めた「想い」を表す言葉たちは、彼女にとって未知の呪文に近い。


「よし、特訓開始だ。まずはサビからいくぞ」


 私は歌詞カードを指差した。


「『雨上がりの約束』。はい」


「あめあが⋯⋯りの⋯⋯や、やそく?」


「惜しい。『や、く、そ、く』」


「や、く⋯⋯そく!」


「よし。次は『永遠に響くメロディ』」


「えー⋯⋯えん⋯⋯?」


 マシロの眉間にしわが寄る。


 「えいえん」という発音が難しいらしい。口をもごもごと動かし、舌の位置を確認している。


「えー、えん⋯⋯えーえん⋯⋯」


「そうそう、口を横に開いて。⋯⋯意味はな『ずーっと一緒』ってことだ」


「ずーっといっしょ?」


「私がマシロとずっと一緒にいること。それが『永遠』だ」


 そう教えると、マシロの顔がパァッと輝いた。


「えいえん! マシロ、えいえん、すき!」


「ふふ、現金なやつだな。じゃあ歌に乗せてみるぞ」


 ピアノを弾きながら、ゆっくりと歌わせる。

 ピッチは完璧だ。私が教えなくても、彼女の喉は正しい音程を知っている。

 だが、やはり発音が甘い。


「えーえんにぃ、ひびく、みゃろでぃ〜♪」


「ストップ。そこ、もう少しはっきり。『ひびく』だ」


「ひ、びく!」


「そう。次は猫語にならないように『みゃろでぃ』じゃない『メロディ』」


「みゃろ⋯⋯むぅ、めろでぃ!」


 失敗するたびにマシロの耳がぺたんと伏せられ、尻尾がシュンと下がって悔しそうだ。


 でも彼女は決して「やめる」とは言わない。

 私の顔を見上げ、真剣な眼差しで「もういっかい!」と訴えてくる。


(⋯⋯強くなったな、いや元々マシロは強い子なんだ)


 最初の頃の、怯えていた迷い猫の面影はない。

 今は一人の「表現者」としての炎が、その小さな体に宿り始めている。


 一時間ほどみっちりと練習を続けた頃にはマシロの声が少しかすれ始めた。


「よし、休憩しよう。喉を休めるぞ」


「マシロ、まだ、やる⋯⋯!」


「ダメだよ。喉は消耗品だから壊れたら治らない」


 私はマシロを抱き上げ、キッチンへ連れて行った。

 棚から取り出したのは高級マヌカハニーの瓶。喉のケアにはこれが一番だ。

 スプーン一杯分の黄金色の液体をすくい取る。


「ほら、口開けて。あーん」


「あーん」


 マシロが素直に口を開ける。

 小さなピンク色の舌の上に、とろりとしたハチミツを乗せてやる。

 彼女は目を丸くして、ペロペロと甘い雫を舐め取った。


「⋯⋯あまい!」


「だろ? これは喉のお薬だ。ゆっくり飲み込めよ」


 コクン、と小さな喉が動く。

 満足そうに口の周りを舐める姿は完全に餌をもらう雛鳥か、あるいは甘やかされた子猫そのものだ。


「おいしいか?」


「ん! タナデのあじ、する」


「⋯⋯私の味ってなんだよ」


 たぶん、私がよくコーヒーに入れているから、その匂いを覚えているのだろう。

 マシロはスプーンに残った最後の少しまで丁寧に舐めると、私の胸に頭を突っ込んできた。


「タナデ、ありがと。⋯⋯マシロ、がんばる!」


「ああ。期待してるぞ」


 頭を撫でるとゴロゴロというエンジン音が再始動した。

 ハチミツで潤った喉なら、さっきよりもっと良い声が出るはずだ。



       * * *



 休憩明けの練習は驚くほどスムーズだった。

 言葉の意味を噛み砕いて教えたことで、マシロの歌声に歌詞に沿った「感情」が宿ったのだ。


「つめたいあめ、ふってた⋯⋯でも、もう、こわくないよ⋯⋯♪」


 Aメロの語りかけるような低音。

 そこからBメロで徐々に熱を帯びていき――


「キミがくれた、なまえ⋯⋯えいえんに、ひびく、めろでぃ――!!」


 サビの高音が、防音室の空気を震わせた。

 突き抜けるようなハイトーンボイス。


 さっきまで苦戦していた「永遠」も「メロディ」も、今はしっかりと芯のある言葉として響いている。


 鳥肌が立った。

 ピアノを弾く指が震えそうになるのを必死で堪える。

 

 完成だ。

 いや、私の想像を超えている。

 これはもう私が作った曲じゃない。マシロが歌うことで初めて命を宿す、彼女自身の言葉だ。


 最後のフレーズを歌い終え、マシロがふぅ、と息を吐く。

 わずかな静寂ののち、私は鍵盤から手を離し、ゆっくりと拍手をした。


「⋯⋯完璧だ、マシロ」


「ほんと!?」


「ああ。世界中が腰を抜かすぞ」


 マシロは「わーい!」と両手を上げて喜び、椅子の上でくるくると回った。

 その無邪気な笑顔を見ながら、私は確信した。


 次の配信は、ただの「可愛い子猫のお歌」じゃ終わらない。

 これは一人のアーティストの誕生を告げる、歴史的な夜になる。


「よし、告知をするぞ」


 私はスマホを取り出し、SNSを開いた。

 まだ熱の冷めやらぬタイムラインに、爆弾を投下する。



 【重大発表】

 今夜20時より、新曲お披露目ライブを行います。

 タイトル『ねこのあしあと』

 歌:マシロ 作曲:タナデ

 世界一の「魔法」を、聴きに来てください。


 送信ボタンを押す。

 一瞬で「いいね」と「RT」の数字が跳ね上がり始めた。



「準備はいいか、マシロ」


「ん! いつでも、だいじょぶ!」


 尻尾をピンと立てて、頼もしく頷く相棒。

 私たちは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。


 さあ、世界をもう一度、驚かせてやろう。

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