第10話:楽しい配信と黒いコメント
あれから二日が経った。
チャンネル登録者数はその後も順調に増え続け五十万人を突破し、ネットニュースにも取り上げられ、私たちを取り囲む環境は激変していた。
だが配信を続けると決めた以上、いつまでも怯えて引きこもっているわけにはいかない。
「よし、マシロ。今日は難しいことはしない。ただ遊んでいればいいからな」
「あそぶ?」
「ああ。積み木でもしてろ」
私は様子見として二回目の配信を行うことにした。
タイトルは『マシロと積み木』。
歌は歌わない。ただの雑談枠という名の垂れ流しだ。
世間の熱狂が冷めないうちに、この「異常な存在」を日常に馴染ませ、あわよくば「よく分からんけどそういうもの」だと思わせる――それが狙いだった。
配信開始ボタンを押す――と同時に、同接数が一気に数千から1万人に膨れ上がった。
「たなで、これ、のっける!」
「はいはい、上手だね」
画面に映るのはリビングのローテーブルと積み木と格闘するマシロの手元、そして揺れる尻尾だけ。
マシロが積み木を崩して「あぅ!」と声を上げるたびに、コメント欄が高速で流れる。
【視聴者のコメント】
『マシロちゃん可愛いねぇ(*´ω`*)』
『本物やん、クソかわええ』
『かわいい』
『尊い』
『尻尾の動きが神』
『今日のASMR枠はここですか』
『これが偽物ってマ?』
ここまでは順調だった。
マシロは楽しそうだし、平和な時間が続いている。
しかし、視聴者が増えるにつれ、その「異物」は混ざり始めた。
『早くネタバラシしろよ』
『CG乙』
『親の声が邪魔』
『大人はいらないんだよ黙ってろ』
『これ児童労働じゃね? 通報した』
『どうせAIで加工しているガワだろ、中身おっさんかもなw』
アンチコメントだ。
有名税みたいなものだと分かってはいるが、実際に自分の――いや、マシロに向けられた悪意を目にすると、胃の腑が鉛のように重くなる。
(⋯⋯チッ、やっぱり湧いてきたな)
私は無言でNGユーザーに放り込んでいくが、膨大なコメント数のあまり多すぎて追いつかない。
イライラが募り⋯⋯眉間に皺が寄ってマウスをクリックする指に力がこもる。
その、ほんのわずかな空気の変化、野生の勘を持つ彼女は見逃さなかった。
「⋯⋯?」
マシロの手がふと止まる。
積み木を握ったまま、彼女は恐る恐る私の顔を見上げた。
さっきまでピコピコ動いていた猫耳が、ぺたんと力なく伏せられている。
「⋯⋯たなで、おこってる⋯⋯?」
不安そうな声。
マシロは私が画面の向こうの有象無象に苛立っていることを「自分に対して怒っている」と勘違いしてしまったのだ。
「――あっ、いや」
しまった、と思った。
子供や動物は保護者の感情に敏感だ。私のピリピリした空気が彼女を怯えさせてしまった。
「怒ってないよ。ごめんな、マシロ」
私は配信中であることを一瞬忘れ、カメラの画角の中に手を伸ばした。
伏せられた白い頭を優しく撫でる。
大丈夫だ、お前のせいじゃない。そう伝えるように指で耳の裏を掻いてやる。
すると、マシロは安心したように目を細め、私の掌に頭を擦り付けた。
「⋯⋯んぅ、⋯⋯たなでぇ⋯⋯」
甘えるような声で私にしがみつこうとする無防備な仕草。
それはどうしようもなく愛らしい光景だったはずだ。
それが画面の向こうの悪意にとっては、格好の餌食だった。
『はいはい、かわいい、かわいい』
『媚びんなよ』
『あざとすぎて吐き気する』
『これも全部計算ですよね?』
『これ虐待して無理やり従わせてるんじゃね?』
『こんな化け物、保健所に連れて行けよ』
『奇形児』
コメントの速度が加速する。
攻撃の矛先が私からマシロへと完全にシフトした。
その言葉の刃はあまりにも鋭利で汚かった。
「⋯⋯?」
マシロがモニターを見た。
彼女に漢字は読めないし、ひらがなだって怪しい。
そこに書かれている言葉の意味なんて、分かるはずがないんだ。
なのに。
マシロは流れる黒い文字の羅列をじっと見つめ、小さく体を震わせた。
(⋯⋯まさか伝わってるのか?)
言葉の意味ではなく、そこに込められた「敵意」や「嫌悪」という負の感情が。
画面から溢れ出るドス黒いオーラが、彼女の鋭敏な感性を刺しているように見える。
「⋯⋯これ、たなでを、いじめる⋯⋯?」
マシロがぽつりと呟いた。
彼女は自分が罵倒されていることよりも「この文字たちが大好きなカナデを傷つけている」ことを直感的に悟ったのだ。
マシロの瞳が潤み始める。
右の青と左の金が、悲しみで揺らぐ。
彼女は私の袖をギュッと握りしめ、画面に向かって小さく「うぅ⋯⋯」と唸り声を上げた。
泣きそうになりながら、それでも私を守ろうとするように。
「⋯⋯っ」
胸が締め付けられた。私は何をマシロに見せているんだ。
楽しい世界を教えてやるはずが、こんな大人の汚い掃き溜めを直視させて。
私の手が震えた。
これはただの遊びじゃない。戦いだ。
この子を守るためには、甘い考えじゃ生き残れないと私は痛感していた。




