10.タイピン
ローザと一緒に行く初めての夜会。別に楽しみにしているわけではない。
改めていうが、いくらクソ可愛いとはいえ残念ながらあの憎らしいロザリモンドを到底好きになれるわけがないからだ。
ただ、王族として婚約者と共に夜会に行くのは当たり前だし、自分の色のドレスをプレゼントするのも当たり前の事。
自分の色を纏ったロザリモンドを見たいとか踊りたいとかそんなんじゃない。夜会なんてちっとも、楽しみなんかじゃないからな。
濡れた髪を乾かしながら、鼻歌を歌う姿はどう見ても初恋に浮かれる乙女である。周囲からすれば恋してるんだろうと、によによされているのだが、肝心のダリオンはそれに気付いてはいなかった。
「殿下、支度にはかなり早いですが……。」
朝からソワソワが止まらないダリオンにやんわりと老侍従アンソニーが釘を差す。
今まではたとえ大切な夜会の日であってもダリオンはギリギリに用意していた。
今日のようにいつも早めに用意してくれてありがたいのだが、しかしまだ朝だ、さすがに早すぎる。
早朝いつもと同じ時間にきっちり鍛錬をし、水浴びをしたダリオンは以前よりも精悍さが増し男ぶりが上がっている。
執務も全て片付け、資料も全て読み込んでいる。
早朝からいつにもまして張り切り全てを片付けたダリオンは案の定、夜会の準備をしたいと言い出したのだった。
このままでは、着替えたらすぐにロザリモンド嬢を迎えに行くと言い出しかねない。仕方ない、あれを出すか。
「殿下、では衣装をお持ちします。しかしくれぐれも早く迎えに行くのはおやめください。淑女は支度に時間がかかりますから。」
そう釘を差すとダリオンの衣装を並べた。興味なさげに衣装を眺めるダリオンの視線がある一点で釘付けになった。
タイピンとチーフがロザリモンドの瞳の色になっていたのだ。
ご機嫌に美しい光沢を放つチーフを手に取り広げたダリオンはほどこされている刺繍を凝視している。
そこにはロザリモンドの名前が刺繍されていたのだ。しかも、ほんのわずかだが糸目に歪みがある。
ダリオンの心がギュッと鷲掴みにされた。
「アンソニー、これは?」
握りしめたチーフを手に老侍従に問いただす。
「私の口からはなんとも。」
老侍従が口はつぐんだまま意味ありげな目で、そっとタイピンを指差した。ローザの瞳と同じ澄んだ碧。
ローザから手紙の一つも貰えず、若干拗ねていたダリオンはこのプライズに堕ちた。
(ローザなんと健気なんだ。ドレスのお返しにそっとこの様なものを手配してくるとは。しかも私にこれ見よがしに渡すでもなくそっと内緒でだと、なんと思慮深い)
ロザリモンドは別に思慮深いわけでもない。手紙など書いても読まぬだろうから、無駄なアクションは起こさぬだけである。
そしてこのタイピンとチーフは自分だけ恥をかきたくないためにそっと渡したに過ぎない。
それにそれらは彼女が自身の古いドレスを魔法の練習がてらリメイクしてちょっと失敗したため、ゴミ箱に突っ込んでいたものなのだ。
彼女はダリオンが身に着けるか否かわからないものに手間も費用もかけるような性格ではない。非常に合理的なのだ。
しかしこの瞬間、彼女に淡い恋心を抱いていたダリオンは抜き差しならぬ泥沼へと突き落とされた。
そして、残念なことに相変わらずダリオンとロザリモンドだけがそのことに気付いていないのだった。
☆☆☆☆☆
屋敷に着くと仏頂面のロザリモンドの兄のアズランがいた。
金髪碧眼の妹と同じ色合いの整った顔立ちの彼はかなりモテる。正直仏頂面すら絵になるという顔面偏差値の持ち主だ。
しかし、女性にかなりモテるが一方で超がつくほどのシスコンで有名な変人なのである。
ダリオンはこのアズランが苦手だった。なぜなら、国一番の叡智と名高い彼はいつも小難しい事を言うからだ。執務も勉強も全くしていないダリオンにとっては天敵のような人物だった。
しかし、今日はここで引くわけにはいかなかった。なんと言っても政略結婚で結ばれる将来の家族と仲良くする糸口を探らねばならない。
ダリオンは丹田にぐっと力を込めて笑顔を作るとにこやかにアズランに会釈した。
「ダリオン殿下、ご機嫌麗しく。最近は執務にも前向きになられたようで……。そういえば、最近の南部の収穫量の減少についてどう思われますか?」
慇懃な礼と共にいきなりぶっこんでこられる。しかし、先日執務室で埃を被っていた資料を全て読み込んだダリオンにとっては、タイムリーな話題だった。
私見とともに、アズランに資料をどれだけ読んでもわからなかった疑問点をぶつけることにした。せっかくの国1番の頭脳だ。使わない手はない。
アズランは教え方も超一流だった、国1番は伊達ではない。資料だけでは、理解できなかった疑問点が氷解していく。
わかるって何だか楽しいな、盛り上がる2人の顔に自然と笑みがこぼれる。
「あらっ?ダリオンにお兄様何だか楽しそうね。」
鈴を転がすような声、ローザだ。ダリオンは思わず贈られたタイピンを握りしめた。鼓動が高鳴る。
優雅に階段をおりてくる彼女の白い肌に深紅の薔薇のようなドレスが良く映える。
女神降臨。俺の頭にはその4文字熟語だけが浮かんだ。
「ダリオン殿下、実に良い表現です。端的でいて的確だ。」
アズランが激しく同意する。ここに同志がいた。しかし、同志よ。お前はシスコンだが、俺は婚約者を女神とたたえたにすぎない。それに俺はローザが好きなわけでは無い。
ダリオンは謎のマウンティングをして吸い寄せられるようにローザの元へ向かった。
「ダリオン、エスコートしてくださるの?」
びっくりしたようにつぶやくロザリモンドに胸を撃ち抜かれる。
ローザのキョトンとした顔が可愛い。いや、存在そのものがすでに可愛すぎる。誰にも見せたくない。これが、師匠が言っていたことなのか。
夜会は自分の髪と同じロイヤルレッドのドレスを纏ったローザを見せびらかせる大切な場所だと自分に言い聞かせる。アンソニーに感謝だな。
俺は、ローザに手を差し出した。マナーの講師をとっ捕まえてやつが音を上げるまで復習したんだ、完璧だ。
「お手をどうぞ。我が婚約者。」
頰を染めた妹にアズランがギリギリと歯ぎしりているが、素知らぬ顔で挨拶をしたふたりは馬車に乗り込んだ。




