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第九話 堕嵬の途

 堕嵬の途への入り口は、那岐が住む離れからしばらく歩いたところにあり、嵬族の敷地からほど近い。

 わずかながら兵を集め、入念に装備を整えて出立したので、時刻は昼。高く昇った太陽がじりじりと肌を焼く。


「旦那様、はやく那岐様が見つかるといいですね」


 磨徒の半歩うしろを歩くみつは、体全体をすっぽりと被う紅い毛皮をまとっていた。

 遠目からでも目立つ色合いだが、堕嵬の途に棲む妖魔にはこの色が視認できないらしい。

 何があっても被っていろと、磨徒から渡されたものだ。


「必ず見つけ出して連れ帰る。今日中にだ!」


 流花や兵たちにも届く声をあげながら磨徒が振り返ると、一同奮い立ち、各々が高らかに咆哮した。

 集ったのは、嵬屋敷を守護する精鋭のあやかしばかりだ。

 立派な羽と嘴を持つ怪鳥、お滝の息子である白蛇、巨大な体が木々を突き抜けて、下からは顔も見えない山壁、何やらぶつぶつと呪詛を撒き散らしながら歩く、目玉のない女のあやかし……。

 四名集めるのもなかなか大変なことだった。

 広い敷地内を警固する守護のあやかし達は、計十名。その中から此度の面々を連れ出したことで、屋敷の守りは薄くなる。

 ゆえに時間をかけられない。陽が沈むまでにはと、皆の心が急いていた。

 


「ここが入り口だ。みつ、こちらへ」


 磨徒は、みつの手を引き傍らへと導く。

 突如現れる森の行き止まり。目の前にあるのは、天に向かって突き上げるようにそびえ立つ大きな岩戸だ。

 磨徒の額に浮かぶ嵬族の紋様を逆さにした刻印が、大きく岩肌に刻まれている。

 そしてその刻印の中央に、乾いた血のこびりついた短刀が深々と突き刺さっている。


「この短刀に人間の生き血を垂らすと、岩戸が開く」


 すまないが、と磨徒はみつに小刀を握らせる。

 現在、あやかしの都にはみつ以外の人間がいない。生き血が必要である以上、必ず現場まで同行させる必要があった。


「分かりました、血を垂らします。皆様、鼻をつまんでいてください」


「ああ、それなら大丈夫だ。あらかじめ全員が霊蘇(れいそ)を服用している。これを飲めば二、三日は人の血の香で正気を失うことはない」 


「承知しました。では、いきます」


 鋭利な小刀で指先をなぞれば、ぷつりと僅かに刃が沈み、鮮血が溢れ出す。

 ぽたりぽたりと、岩戸に刺さった単刀へ血を染み込ませると、轟音とともに中央から岩戸が割れ、道ができた。


「今だ! すぐに閉まるので全員、速やかに中へ!」


 磨徒の合図と同時に、皆が地を蹴り闇深い扉の向こうへ滑り込む。

 隔絶された世界へと誘われ、優雅に羽ばたきながら一行の背を追った美しい山鳥が、勢い良く閉じた岩戸に挟まれて断末魔の声を上げた。

 兵達が掲げる灯りに照らされて、岩の隙間から血飛沫が上がるのを見たみつが、思わず目を背ける。

 一切の躊躇を許さない、刹那の通行手形。

 各々の脳裏に自然によぎるのは、未知の場所に対する言い知れぬ不安と恐怖だった。


「寒いね、ここ。風もないのに、体全体が冷気で包まれるみたい」


 流花が腕をさすりながら、あたりを見回す。

 岩戸の先には、黒い森が広がっていた。道らしき道はなく、伸び放題の草木が足元を覆い隠す。

 天を仰げば、灰色に濁った空が不気味にこちらを睨んでいた。


「外は晴れておりましたのに、ここは曇りなのですね……雨が降らないといいのですが」


「この空間全体を、強い結界がおおっている。雨風も、人も動物も虫も、すべてを拒絶し遮断する。はるか昔、人間の術師が張ったものらしい」


「人間が作ったのですね、ここ……」


 切った指先に薬布をまきつけ、さらしで覆いながら、みつは毛皮の中で身をすくめた。

 岩戸を開くために人間の血を必要とするのは、人間の血をひく者以外をはじくためだろう。

 那岐には半分人間の血が流れている。この仕掛けについて知ってさえいれば、通過できるはずだ。


蛇羅(じゃら)、念のため獣避けの術法をかけなおしてくれるか」


「承知」 


 蛇羅と呼ばれたのは、お滝の息子である白蛇のあやかし。姿を消す、気配を殺す、結界を張るなど、潜行と防御の術を得意とする。

 詠唱が終わり、蛇羅が天に向かって薄桃色の粉を撒き散らした。きらきらと光るそれは、一行の体を優しく包み込む。体の表面が膜に包まれたようだ。

  

 一同は足早に前進するが、行く手を遮る者は現れない。

 獣の足跡は無数に散見されるが、一度も遭遇しないのは蛇羅の術が効いている証拠であろう。

 

 森はどこまでも無限に続いているようだった。

 焦る一行はだんだんと小走りになり、やがて疾走をはじめる。速度についていけないみつは、山壁が担いだ。


 

「旦那、はるか向こうに家屋が見えますぜ」


 上空を偵察していた怪鳥鼓烏(こがらす)が、磨徒の隣へと降り立ちながら報告を入れる。一同は足を止めた。


「結界の(きわ)に、小さな集落があるはずだ。俺も実際に見たことはないんだが、言い伝えでは家名を捨てた嵬族のはぐれ者が集って暮らしている」


「では、あれがその集落ですか」


「そのはずだ。このまま進むとどのくらいかかるか分かるか?」


「だいぶかかるでしょうな。宵の頃になるのでは?」


「そうか、急ごう」


 日暮れまでに戻ることは絶望的。されど引き返す選択肢はない。前進あるのみだ。

 一刻半ほど走ったところで、先頭を行く磨徒が立ち止まった。前方へ向かって石を投げると、空中で動きを止めた石が、じゅうじゅうと音を立てて溶けていく。

 どうやら目には見えない結界が張られているようだ。触れるものを溶かす強力な力が働いている。


「ここも恐らく人間の血で突破できる。みつ、頼めるか?」


「おまかせください」


 磨徒の頼みにより前方へと歩み出たみつは、先ほどの傷口をなぞるように刃を差し入れ、こぼれ落ちた血液を結界へ向けて飛ばす。

 音もなく、進行方向がわずかに光る。

 それを合図とし、磨徒がみつの手を引いて勢いよく進行方向へ駆ける。後続もその背を追った。


 結界を抜けた先は、異様な空間だった。

 視界は薄墨をぶちまけたように灰色に濁っている。

 おまけにいつの間にか、兵に持たせていた灯りが消えている。

 あやかしの世の灯りは、妖力の塊を作用させて光るものだ。その力が強制的にかき消えたということは──。


氣炎(きえん)


 前方へ腕をつきだし、磨徒は鋭く声を発する。

 あたりに鈍い閃光が走り、一瞬にして出現したのは一抱えもあろうかという灼熱の火球。轟々と音を立ててうねりを見せる。

 

「やはり、妖力が落ちているな。普段の二割程度の力しか出ない」


 磨徒が拳を握り込むと、火球は細長く縄のように天へと登りながら消えていく。

 あたりを緊迫感が支配するのと同時に、四方から無数の獣が顔を出した。

 筋肉質な体つきに、目が四つ。長いたてがみと二股に割れた尻尾。足には鋭利な刃物のような爪が光り、低く唸り声をあげている。


「何よこいつら! 見たことない獣だわ!!」


 体勢を低くして尻尾を立てる流花。

 その動きに触発されるように、周囲も戦闘態勢をとる。


「おそらく、ここの住人が呼び出したものだ。人間が、呪術をもって呼び出す獣を詛獣(そじゅう)という」 

 

「ではこれが詛獣……囲まれましたな、始末しますか?」


 よだれを垂らし喉をならす詛獣と距離をつめながら、鼓烏が磨徒に視線を送る。


「そうだな、一掃し前進する。山童子(やまわらし)は、みつを護り抜け!」


 磨徒が叫ぶと、山のようにそびえ立つ巨大なあやかし山童子は大きく咆哮を上げ、みつを高く抱えあげて後退する。

 二人を守る壁となるのは、磨徒や流花をはじめとした精鋭だ。各々得意の戦闘姿勢をとり、詛獣へと向かっていく。


「さぁて四つ足さん! あたしとあんた、どっちの爪が鋭いか勝負よ」


 目にも止まらぬ速度で詛獣の背後をとった流花は、手先足先を硬化させる秘技により鋼のように鋭く巨大化した右手を振り上げ、勢い良く獲物の肉を裂いた。

 さらに反撃せんと体をひねる相手の横っ面をえぐり取るように、左手で容赦のない追撃を加える。


「いっちょあがりぃ! どんどんかかってきなさい!」


 動きを止めることなく流花は身を翻し、次の獲物へと向かう。

 

 隣では眼を持たぬ女のあやかし亞荼(あだ)が、ぶつぶつと薄気味の悪い声色で何やら呟きながら、詛獣へと近づいていく。

 戦意を感じないその姿は、獣にとって隙の塊であり、かっこうの標的である。


「死地ヨリイズル……ワガ父母ノ……怨嗟ヲ詠フ……黄泉ノ門出ヨ……」


 ぽつぽつと聞こえるのは、童歌のような音階の歌だ。

 今にも飛びかからんという姿勢で亞荼を睨んでいた詛獣は、やがてがくがくと震えはじめ、ぺたりと地にうずくまる。


「渡レヤ渡レ、(かばね)里程(りてい)


 亞荼を囲んでいた三体の詛獣が皆、白目を剥きその場にひっくり返る。

 びくんびくんと痙攣を見せながら失禁するその姿を、上空から見つめていたみつは寒気をおぼえた。


「……散華(さんげ)


 亞荼のとどめの一言を合図として、三体の詛獣は内側から血を撒き散らして飛散した。周囲の草木に肉片がこびりつき、生臭いにおいが充満する。


 

 各々が縦横無尽に駆け回り、詛獣を狩った。

 仕留めても仕留めても群がってくる。

 きりがないと、それぞれが眉をひそめ、舌打ちをしたその時──。


斬覇(ざんぱ)


 磨徒の掌から、鋭く研ぎ澄まされた半円形の光の刃が無数に射出される。それらは意思を持ったように回転しながら、周囲に散らばる詛獣達の四肢を切り落としていく。

 磨徒が念を送った方向をめがけて飛んでいく刃である。

 本来一つを操ることも難しいとされる上級妖術だが、磨徒が自在に動かすことができる数は最大で百。桁外れの応用力だ。

 しかしこの強固な結界の中で出せる力は二割程度。現在空中を飛び交っている刃の数は二十。

 そのすさまじい切れ味によって、光の軌道上にあるものはすべて両断されていく。

 草木も獣も刻みつくし、やがて刃は霧散した。

 微塵切りにされた肉塊と斬り倒された木々が、視界のはるか先まで横たわり、死屍累々の有り様だった。

 

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