第八話 捜索
夫婦の居室に朝日が差し込む。空気の澄んだ清々しい朝だ。
快晴を喜ぶ鳥のさえずりに、みつはそっと目を覚ました。
目を開けると、間近に磨徒の顔がある。
瞬時に耳まで赤くなるのを感じて、何か声をかけようと口を開くが、言葉は出てこなかった。
磨徒が静かに寝息を立てていることに気づいたからだ。
(旦那様の寝顔、はじめて見たな……)
通った鼻筋、長い睫毛、形の良い唇。すべてが無防備に目の前にあって。
逞しい腕はみつをしっかりと抱き寄せ、懐に囲いこむようにして離さない。
そう。二人は初めてひとつの布団で眠ったのだ。
(なんだか、恥ずかしいな…)
同衾はしたが、夫婦のいとなみに進むことはなかった。
顔を真っ赤にしたみつが布団の中に顔をうずめると、磨徒は困ったように、愛おしそうに、優しく頭を撫でて抱き締めてくれた。
みつの心の最奥には、月鬼がいる。
おぼろげな存在である月鬼の面影を磨徒に重ねながら、みつはあやかしの妻となった。
磨徒からは「俺に気がなくて構わない」と伝えられているが、それはつまり、夫婦のいとなみすらいらないということなのだろうか。
妻として、世継ぎを残すことすら放棄してしまっていいものだろうか。
みつの心が煩悶で揺れる。
自分はとてつもなくわがままな妻なのではないかと、今更ながら気づいたのだ。
目の前にある磨徒の寝顔を眺めていると、胸の奥がきゅっとしめつけられる。
この、どこまでも優しく繊細な旦那様を大切にしたい。
みつはそっと磨徒の背中に手を回し、懐に顔をうずめる。人間よりわずかに高いあやかしの体温に、心まであたたかくなるのを感じる。
「……すまない、寝入っていた。そろそろ起きなければな」
磨徒が目を覚ました。体を動かそうとして、自身の体にみつがしがみついていることに気づく。
起き上がるのを諦めたのか、ふっと優しく目を細めて、ゆっくりとみつの髪を梳く。
「旦那様、おはようございます。珍しく朝までお休みでしたね」
「こんなに眠ったのは久しぶりだ。お前が隣にいてくれて心休まったのかもしれない」
「そうだったら嬉しいです。あの……これからはその、こうして一緒に眠りたいです」
「ああ、俺もだ」
見つめあい、笑みを交わす。
互いに布団から出ることを惜しく感じていた。
ふたたび磨徒が口を開こうとしたところで、障子の向こうから声が届く。
「おはようございます。朝餉をお持ちしてもよろしいでしょうか」
お滝だ。普段なら早朝に磨徒が厨まで
一声かけにいくのだが、今朝はそれがなかったため確認に来てくれたのだろう。
「ああ、頼む」
「承知致しました。すぐにお持ちいたします」
お滝の影が見えなくなると同時に、二人は起き上がり身支度をはじめた。
みつはそっと別室に移り、香りよく華やかな着物に着替えて化粧を済ませる。
鏡に映るその顔は、まだほんのりと紅潮していた。
「那岐の姿が見えない」
朝餉を済ませ、那岐と流花を交えて話をしようとしていたところ、磨徒が深刻な面持ちで戻ってきた。
声をかけに行くと、那岐の部屋はもぬけの殻だった。
屋敷の中をくまなく探したがどこにも見当たらず、磨徒の表情には焦りの色が滲んでいる。
「どこへ行かれたのでしょうか?」
みつが尋ねると、流花はばつが悪そうに目を伏せる。
「あたしのせいかな。ナギ、お母さんのこと思い出しちゃったよね」
こめかみの薬布はすでにとれており、傷跡も残っていない。体だけは元通りだが、気持ちは曇ったままである。
「流花にも良くないところはあった。しかし、那岐も流花に危害を加えている。そこは反省すべきだ。そして今姿が見えないのは、他でもない那岐自身の問題だ。自分で自分を追い詰めて、心が悲鳴を上げているんだろう」
「すぐに探しに行きましょう。私、もう一度那岐様のお部屋を見て参ります!」
みつは着物の裾を持ち上げ、足早に廊下を渡っていく。
那岐は、かつて母と暮らした離れで現在も寝起きしている。
嵬族の敷地内にあるとはいえ、鬱蒼としげった暗い林の中を突っ切っていく必要があり、周囲に蠢く巨大な害虫も駆除されることなく生きている。
獣に踏み荒らされ、破壊された柵。視界を遮るほどに長くのびた雑草。
住み良く手入れされた形跡など微塵もなく、ここから先は余所者の居住地であると、目に入る全てが物語っている。
やがてたどり着いた崩れ落ちそうなあばら家は、きらびやかな母屋から断絶されたようなみすぼらしさだった。
「那岐様! いらっしゃいますか!?」
固く閉ざされた戸は、力一杯引いてもびくともしない。
後ろから追いかけてきた磨徒が、戸口に手をかけて勢い良く引けば、パラパラと木片を散らしながらそれは開いた。
「那岐、いるのか?」
薄汚れた玄関先、潰され体液を撒き散らした害虫の死体を避けながら、磨徒は履き物を脱いで部屋へと上がる。みつと流花もそれに続いた。
部屋の広さは十畳ほど。四隅には蜘蛛の巣がはっており、部屋の半分は書物と紙で埋まっていた。
隠れられそうな場所も見当たらない。
那岐の姿は見つけられなかった。
「那岐様、読書家でいらっしゃいますね。こんなにたくさんの書物を……」
「いやこれ、ぜんぶ化本じゃない。こんなの子供が読むものよ」
積み上がって崩れそうな本の山を見渡しながら、流花は眉をひそめた。
「普段の那岐はだいたい机に向かっているか、布団に横たわって本を読んでいる。読むことも書くことも好きなのだ」
机の脇に置いてある化本をぱらぱらとめくりながら、磨徒はわずかに目を細めた。
「机の上に何か書き置きが。これは何と書いてあるのですか……?」
机上に広がった紙束を手に取り、みつが視線を落とす。読めるあやかし文字は今のところわずかで、ほとんど解読できない。
「先刻ざっと目を通したが、どうやら何か話を書いているらしい。鬼の子供が人間の子供と旅に出る内容だった」
みつの手元にある紙束を指でなぞりながら、磨徒は内容を再確認し、大きく頷く。
「わぁ……でしたらこれは、那岐様の戯作……すごいです、読んでみたいです!」
「読ませてもらおう、那岐が戻ったら」
「はい……! お話の中に、那岐様の気持ちが隠されているような気がします」
内容は理解できないながらも、太く殴り付けるような筆跡で書かれた本文を目で追う。
物語の中で、那岐はあやかしと人間が手をとりあう姿を描いている。それは彼の願いであり、希望なのではないだろうか。
世を憎み、あやかしも人間も、そのすべてが疎ましく、疼く心を抑えられない那岐。
彼の心の内には、矛盾が渦巻いていた。
母は幸せになるべきだった、父から愛されてほしかったという、子が抱く当たり前の感情。
ついぞ叶うことのなかったその願いは、彼を苛む呪いとなり胸奥を灼き続けている。
本当は、人間に歩みよりたいのかもしれない。
三人はしばし那岐の心痛を思いながら、そっと目を閉じた。
「そろそろ行くか。那岐と話がしたい」
「はい、参りましょう!」
紙束を机の上に置くと、みつは磨徒と流花の顔を見渡しながら両拳を握った。
流花は反発するように顔をしかめ、磨徒は薄く笑みを浮かべた。
履き物を履き、重い扉をしっかりと閉めた磨徒は、顎に手を当ててしばし考え込む。
「那岐の行き先に心当たりはあるが……それにはみつの協力が必要になる」
「協力なんていくらでもします! どこへでも参ります!」
「お前を危険にさらしてしまうことになる……それが心配なのだ」
瞼を閉じ、眉根を寄せて磨徒は熟考する。
そんな姿を横目で見ていた流花が、口を尖らせながら磨徒の足を蹴る。
「なによぉ! あたしは危険にさらしてもいいわけ!? あたしのことも心配して!!」
「そうだな流花……危険が伴う場所だ、お前は留守番していてくれ」
「はああああ!? なんでよ!? なんでこいつは必要で、あたしは置いてくの!? 信じられない!」
ぎゃあぎゃあとわめき散らす流花は駄々っ子そのもので、みつはおろおろと取り乱し、磨徒は困ったように息をついた。
「これから目指すのは、堕嵬の途──嵬族の血を引きながら、一族を抜け、身を隠して生きる闇の住人達の棲み処だ」
「だかいのみち? 初めて聞くわ。そんなのあるの?」
流花が首をひねると、磨徒は静かに首肯する。
「ああ。あそこの住人は皆、半分人間の血を引いていてな。我らあやかしを拒絶している。道のりも険しいので行くからには命懸けだ。みつ、流花。それでもついてきてくれるか?」
みつと流花は、決意の眼差しで頷き合った。
「もちろんです!」
「あったりまえよ!」




