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第七話 正室と側室

「いい加減磨徒に会いにくんのをやめろ。嫁もらったばっかで、てめぇなんぞに構ってる時間ねぇだろうしよ」


「うっさいわね! 人間の嫁なんてただのお飾りでしょ! あたしは側室になるんだから!」


「は? 側室?」


 那岐が首をかしげながら、みつに視線を送る。聞いていないぞと、言外の圧がある。

 みつは困惑し、眉根を寄せながら口を開いた。


「流花様と旦那様は、想い合っていると聞いています」


「そーよ。そーしそーあいなの」


 胸を張る流花の言葉を耳にするや、那岐は盛大に吹き出し、腹を抱えて笑いだした。


「こいつはケッサクだな! 何勘違いしてんだよクソガキ。てめぇごとき、磨徒が相手にするわけねぇだろ」


「なによ! だってちっちゃい頃、好きだって言ってくれたもん!」


「そりゃ、ガキがそう来りゃあ、適当に機嫌とってやるもんだろ。磨徒はそういう気遣いをする奴だ」


 それは幼子とのたわむれであり、真に磨徒の心が流花にあるわけではないと、那岐が畳み掛ける。

 流花は次第に威勢を失い、やがて目に涙をためて俯いた。


「あ、あの那岐様……そのように否定されては、流花様がかわいそうです。旦那様も本心から流花様を愛しておいでかもしれません」


「……てめぇはいいのかよ、それで」


「……えっと、それは……もちろんです。お二人の気持ちを止めることはできません」


「ふぅん」


 いまいち納得のいかない様子で眉間に皺を寄せ、那岐が息を吐く。

 なぜ不快にさせてしまったのだろうかと考え込み、みつはうまく返答を紡げなかった。

 三者の間に居心地の悪い沈黙が流れる。


「あたしは、この女が陽のあたるこの部屋で、磨徒にぃと寝起きしてるって聞いて、気が狂うほど許せなかった」

 

 流花が涙声でつぶやく。目には溢れんばかりに涙がたまっている。


「磨徒は人間の嫁をやたら大切に扱ってるからな、てめぇが入る隙なんぞねぇよ」


 呆れたようにかぶりを振る那岐。目の前で涙をこらえている相手に、容赦ない追撃だ。

 

「人間の嫁なんて誰も愛さない! 汚らわしくて醜くて、生きていても疎まれるだけの存在よ!! はやく消えてくれたほうが、みんな喜ぶわ!」 


 噛みつくように那岐に食って掛かる流花は、殺意を剥き出しにした捕食者の顔になっていた。

 対する那岐の髪が一瞬、ゆらりと逆立ったかと思えば、目にも止まらぬ速さで流花の顔面を掴み、そのまま勢い良く畳に叩きつける。

 すさまじい破壊力に畳は粉砕され、流花の顔面は大きく床にめり込んだ。

 それだけでは気が済まないのか、こめかみを掴んだ指先に力を込めて頭蓋を破壊せんとする那岐に、みつがすがりつく。


「那岐様、いけません! 流花様が死んでしまいます!!」


「うるせぇ! こんな奴、死んじまえばいい!!」


「だめです! 仲良くしましょう! 旦那様が目指す世では、あやかしも人間も手を取り合って笑いあえるんです……! そうなってほしいから、私はみなさんと仲良くしたいんです!!」


 那岐のたくましく鍛え上げられた腕に抱きついた体勢のまま、その破壊衝動を静止せんと説得を続ける。

 目の色を変え獰猛な息づかいを漏らすその姿は、先日みつの腕にかぶりついた時と変わらない、あやかしの狩猟姿勢だ。

 掌で覆われているので流花の表情は見えないが、手足ががくがくと痙攣しているのを見れば、危険な状態にあるのが分かる。


「那岐様!! 人間の嫁は、必ずしも不幸ではありません……! 少なくとも私は今、幸せです!」


「幸せ……だと?」


 逆立っていた那岐の髪が、そっと重力に従って落ちる。それに伴って、ようやく流花の顔面から手を離した。

 流花の美しい相貌は血に染まり、見る影もなかった。

 場が鎮まった安堵感に、みつが膝をついて涙ぐむ。

 肝心の那岐は、虚ろな目で血にまみれた右手を眺めたあと、言葉を発することなく部屋を出ていった。




 流花が目を覚ましたのは、陽が沈み、薄暗くなった枕元に灯りをともした頃だった。

 あれからすぐにみつはお滝を呼び、流花を布団に寝かせると、あやかしの秘薬を飲ませ、傷ついたこめかみを覆うように薬布を貼った。

 意識を取り戻したはいいが、流花は虚ろな目で天井を見つめたまま動かない。

 容態を見たお滝の言では、数刻も経てば元気になるという話だったのだが……。

 

「流花様、今宵はこちらにお泊まりいただいて構わないそうです。ゆっくり休んでくださいね」


「……」


 ムスッと頬を膨らませて、流花は顔を背ける。

 あれだけ多弁だった娘が、別人のように大人しくなってしまった。

 しかしそれも無理のないことなのかもしれない。不意を突かれたとはいえ、人間の前で無様な姿を晒してしまったことに変わりはない。自尊心にも傷がつくというものだろう。

 


 みつがどのように話しかけるべきか長々と思案していると、そっと障子が開き、磨徒が部屋へと入ってきた。


「流花、話は那岐から聞いている。具合はどうだ?」


 傍らに腰かけた磨徒の姿を見るや、流花は大粒の涙を流し、子供のように泣きじゃくった。

 

「磨徒兄ぃ……! ナギにいじめられた! やっぱりあいつ大嫌い!!」


「痛かったな。那岐も反省しているが、俺がかわりに謝っておく。すまない」


「なんであんなにすぐ怒るの……乱暴者は嫌い」


 ぐすぐすと鼻をすすりながら、流花は恨めしげな目で磨徒を見上げる。

 磨徒は流花の頭にそっと手を置き軽く撫でると、すぐさま立ち上がり、脇に座るみつの手を引いた。


「流花にもよくないところがあったと思うぞ。一人になって考えてみるといい。おやすみ」


 みつを連れて部屋を出ていこうとする磨徒の背に、流花がすがりつくように声を上げる。


「磨徒にぃ待って! 一緒にいて!」


「また朝に様子を見に来る。ゆっくり休んでくれ」


 静かに障子を閉め、振り返ることなく磨徒は進んでいく。

 置き去りにされた流花が泣きわめく声は、屋敷の外まで響いた。


 


 二人が夫婦の寝室に戻ると、薄暗い部屋の中、磨徒が難しい顔をして深く息を吐いた。


「那岐のことについて話したい。聞いてくれるか?」


「もちろんです。灯りをつけましょうか」


 あやかしが使う灯りは、火ではない。

 妖力の塊に念を込めてこすると、任意の明るさで光るのだ。

 人間の庶民に浸透している行灯の心もとない明かりとは違い、部屋全体が柔らかく照らされる。

 向かい合って座れば、互いの顔がよく見える。


「まず話しておかねばならないのは、那岐は我らが父と、人間の嫁との間に生まれた子だ」


「そうだったのですね……そう言われると、髪の色も角の数も、旦那様とは違っておられますね」


 もともと両者の風貌がまるで違うとは感じていたため、納得のいく答えをもらえたことで、みつは冷静さを取り戻していく。


「そうだな。人間の血が半分流れていることで、那岐は幼き頃よりつまはじき者にされ、父からも暴力を受けていた。いつからか自身に流れる血を恨みはじめ、人間に対してもあやかしに対しても攻撃的になった」


「母君のことも、恨んでらっしゃるのでしょうか?」


「……それが、そうでもないのだ。那岐の母は(はつ)といい、物静かで心優しく、那岐のことも俺のこともよく可愛がってくれた」


「まぁ……それは、素敵な方だったのですね」


 嵬族の嫁候補が集められた広い寺の境内で、かつて見た光景をみつは忘れられない。

 嫁ぐことが決まれば、虐げられ悲惨な生活が待っていると信じていた娘たちは、一様に青ざめた顔で震えていた。

 あの場にいたのは、生活に困窮した家から半ば追い出される形で集まった者たちが大半であり、みつのように自ら志願した者は稀であった。

 だからこそみつは思う。あやかしの屋敷に嫁ぎ、穏やかに優しく息子を愛していた初は、強い人だったのだろうと。


「那岐は特に、父と母との関係に悩んでいた。父は大の人間嫌いで、あやかしである俺の母を正室とし、那岐の母のことは側室として迎えた。嵬族の歴史を見ても異例の決断でな……初との婚姻に至るまでに長々と渋り続け、嫁の候補として訪れた人間を六人殺している」 

 

「そんな……」


「そんな有り様だったので、例外なく初の扱いもひどいものだった。顔を見れば暴力をふるい、罵詈雑言を浴びせた。那岐が止めに入り、気を失うまで殴られることは毎晩のように続いた」


 みつは何と言葉を発していいのかわからず、ただただ目に涙を浮かべて話に耳を傾けている。


「そして那岐が十四になった年、初は父の手により殺された。那岐の目の前でだった。あれから十年が経つが、那岐はいまだに母を救えなかった己を呪い続けている」


「……話してくださって、ありがとうございます。那岐様はあの時、母君のことを想って……」


 みつは袖口で涙をぬぐいながら、那岐の心痛を思う。胸が引き裂かれんばかりに辛かっただろう。


「俺は、弟の心を救いたい。人間を虐げる世の終わりを作りたいのだ。そのためなら何でもする」


「立派なお心がけです。私も那岐様が……いえ、あやかしも人間も、皆が笑って暮らせる世を作りたいです」

 

「ありがとう。その心優しさに救われる。お前を妻にして本当に良かった」


 膝を立てて腰を浮かせた磨徒は、そのままみつとの距離をつめ、そっと両腕で小柄な妻を包み込んだ。


「あ……わっ……旦那さま……」


「俺は幼い頃から、住みよい都を作るために家の外で人脈をつくり、識者のもとを転々としながら知識を吸収し、必死に動き続けた。屋敷にはほとんど戻らなかった。那岐が傷ついて日々戦っていたというのに……」


 苦しげに吐き出す言葉は、一度堰をきってあふれでると、とどまるところを知らない。

 抱え込んでいたのだ、自責の念を。

 誰にも打ち明けることができずに磨徒の中で火種がくすぶっていた。


 磨徒の父雷我(らいが)は、生来の気質が狂暴であり、すべての生命に対してひとかけらの情も持ち合わせていなかった。

 幕府との関係は破綻寸前までこじれ、戦にまで発展するのではないかと囁かれていた。

 あやかしの都においても暴虐の限りをつくし、すべてを荒廃させることとなる。

 一代にして世は乱れ、悪政に民は嘆き、犯罪が横行した。

 悪辣なる愚王と揶揄されたその姿は、知性と理性を欠いた暴走する獣に他ならなかった。

 

「たまに家に帰ると、父は機嫌をよくして俺を誉めた。政に携わることが心底わずらわしかった父は、早々と俺に家督をゆずるつもりでいたようだ。自らが責務を投げ出したいがために、俺に期待をかけていた。俺がいる時は不思議と、初や那岐に暴力が向かなかったらしい」


「父君が亡くなるまで、旦那様は那岐様への暴力に気付かなかったのですか?」


「いや、気づいたのはもう少し早かった。初が殺された時だ。父は死因を偽って発表したが、不審な死であると幕府から抗議をうけ、執拗な取り調べが続いた。その際俺も真相を探るべく幕府と共に動いたのだが、それによりここまでの顛末を知ったのだ」


「まぁ……あやかし側としてではなく、幕府の側で動いたのですか?」


 それもまた、嵬族の歴史を見ても前代未聞のことだろう。

 磨徒にとっては本当にあやかしと人間の垣根などないのだと、驚かされる。


「俺は父の肩を持ちたいのではなく、真相を知りたかった。那岐も俺の前では真実を隠し無言を貫いていたが、ニ年ほど根気よく向き合って、ようやく話してくれた。すべてを知った時、目の前の世界が崩れ落ちるような絶望と失望に襲われたよ」


「助けられなかったのは、何も知らなかったからで、旦那様に非はありません。ご自分を責めないでください」


「何も知らないことは、時に罪であると俺は思う。だからこそ償いたいのだ」


 みつを抱き締める腕に力が入る。彼女の首筋に顔を埋めるようにして、磨徒は自身の中核に根付いた苦悩に表情をゆがめる。


「……旦那様は優しくて真面目な方ですから、ひとの痛みに敏感でいらっしゃるんですね。旦那様と那岐様のお心の辛くて痛いところを、私も一緒に担いたいです」


 大きな体で小柄な妻を頼りすがりつく磨徒のことを、支えられる存在でありたいとみつは思った。

 嵬族の長。すべてのあやかしを統べる者。皆が磨徒にひれ伏し、おののいて道をあける。

 けれど、彼にはいるのだろうか。心許せる存在が。ありのまま笑える居場所は、どこかにあるのだろうか。

 高みに座す者は、ほんとうは誰よりも孤独を知っているのかもしれない。

 

「……すまない。ありがとう。ここに来て間もないお前に、こんな話をするのは早すぎるのかもしれない……それでも、話しておきたいと思った。俺のことも那岐のことも、もっと知ってほしい」


「知りたいです、なんでも。家族ですもの」


 磨徒の背に手をのばし優しく撫でながら、みつは彼の肩に頬をすりよせた。

 それははじめての、男女としての触れ合いだった。

 それからの二人に言葉はなく、ただ静かに互いに体を預けて、瞑目するのだった。


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