第六話 五家の娘
「……この内容は良くない。読まない方がいい」
那岐から借りた化本を読めるようになりたいと申し出てすぐ。
パラパラと本を流し読みした磨徒は、バッサリとその要求を両断した。
「そんなぁ……どうしてですか? とっても面白そうですけど」
「偏見を助長する内容だ。お前には読ませたくない」
「私は平気です、いくら人間がひどく書かれ殺されていても。月鬼さまも人間をいたぶり殺すことを快楽としておりましたので」
うっとりとした眼でみつが頬を紅くすると、磨徒は呆れたようにかぶりをふった。
「その月鬼とやらには、何か目的があるのか? それともただ快楽に任せて人間を殺めるだけか?」
並べて敷かれた布団の上に座り、向かい合って言葉を交わす二人は夫婦そのものだ。
双方寝間着姿であり、濃紺の長襦袢を身にまとっている。
広大な屋敷には数十に渡る部屋が連なっているが、夫婦の居室は長い廊下を渡った先にある一室だ。
特に広いわけではなく、二組の布団を敷くのにちょうど良い程度。
質素倹約を信条とする磨徒は贅沢と無駄を嫌う傾向にあり、もともと用意されていた広間からこちらの部屋に移動したのだった。
「月鬼様は、人間を廃し物の怪だけが住む世を作ろうとなさっております。それが一族のためになると」
「一族のため……か。しかしそやつらは人間を食らい生きているのだろう。人間が絶えると困るのではないか?」
「それは……うっ……何か他の食べ物を……」
「であれば最初から他のものを食らっていればいい。人間を好んで食らうのは美味いからだろう。好物は大切に少しずつ食らう方が一族のためではないか? そもそも生き物のいとなみは、絶妙な力関係で成り立っている。たとえ疎ましく思う種でも、生きる上でどこかしらに役立っていると思うのだ」
磨徒の言い分に、みつは肩をすぼめて縮こまる。大切にしてきた月鬼の信念を否定され、何と言葉を返したらいいのか分からない。
「……いや、しかしそれは本の中の話。野暮な口出しをするのは良くないな。すまなかった」
目に見えてしょげかえるみつを見るや、磨徒は咳払いをして頭を下げる。
「謝らないでください。たしかに月鬼様は、後先考えないところがあります。でもかっこいいんです。好きなんです」
「そうか。良いと思うぞ。俺は、そうやって眼を輝かせているお前が好きだ」
「えっ……あっ、はい!」
みつの頬が紅く染まる。好きだという言葉の響きに、耳から火が出そうだ。低い囁き声を何度も頭の中で反芻しながら目が回る思いだった。
続く言葉がうまく出てこずにうつむくみつを見て、磨徒はやわらかに口角を上げる。
「化本では大きく脚色されていたが、俺が知る初代当主の話なら聞かせることができる。今夜はそれで許してくれないか?」
「ぜひお聞きしたいです、お願いします!」
みつは目を輝かせて身を乗り出す。くすりと笑みを見せた磨徒は、化本を枕元に置いて語りだした。
翌朝の朝餉では、みつの膳の上に肉料理が乗せられた。牛の肉を焼き、たれを絡めたものだ。
「わぁ……いい香り!」
「ウシを食わせると約束していたのを思い出してな。遅くなってすまない」
「いえ、とっても嬉しいです! 月鬼様も食べたことあるかしら」
箸を握ったままにこにこと湯気の上がる肉に鼻を近づけるみつは、少女のように声を弾ませる。
「月鬼も好きな味かもしれないな。冷めないうちに食うといい」
「はいっ! いただきます」
手を合わせ命をいただくことに感謝しながら、みつは一口大に切られた牛肉を口に運ぶ。
やわらかなそれを噛み締めればじゅわりと肉汁がわきだし、甘辛いたれと絡み合い、濃厚な風味が鼻を抜けていく。
「おいしいです! これがお肉!!」
初めて口にする味に、みつは大興奮だ。
白米と共に頬張り、一心不乱に堪能する。
肉を食べると、心なしか体力気力がみなぎってくるような気がする。
月鬼の好物(肉全般)を口にしているという高揚感もあり、みつは胸がいっぱいだった。
「うまそうに食うな」
「はいっ! おいしいです! お肉、好きになりました!」
「それは良かった。明日からはお前の分も肉料理を用意してもらおう」
「ありがとうございます! 私も毎日食べて、あやかしの皆さまのように体力をつけたいです」
みつの箸は止まらず、あっという間に間食してしまった。
磨徒の元へ嫁いでくるまで、食事に喜びを感じることなどなかった。ここに来て初めての感覚に、心身が満たされていく。
磨徒が政務で外出すると、みつは文机の前に腰を下ろした。
質の良い和紙に、たどたどしく筆を走らせる。
今朝、磨徒があやかし文字の手本を作っておいてくれたので、それを書き写しているところだ。
磨徒は人間の文字も読めるため、分かりやすい解説が、みつにも読める字で添えられている。
(文字の種類はひとつなのね、これは覚えやすそう)
あやかし言葉は表音文字であり、比較的覚えやすい。
もともとあやかしの言葉は日本語とほぼ変わらないため、日常会話にはたいした支障もない。
文字の音さえ覚えてしまえば後の読み書きは容易であると、磨徒も教えてくれた。
「おっはよーございまぁす!」
弾むような声色とともに、勢い良く部屋の障子が開く。
そのまま跳ねるようにしてみつの前に姿を現したのは、化け猫の少女だった。
頭から生えているのは猫の耳。長い尻尾もゆらゆらと揺れている。
赤茶色の髪を耳の下で二つに結っており、丈の短い着物をまとっているため、胸元も足も無防備に露出している。
「お客様……でしょうか?」
急な来客に、みつは筆を置いて軽く会釈する。
化け猫の少女は、不満げに口を尖らせ睨み付けてくる。
「あんたが磨徒にぃの嫁? あたしの方が可愛い」
「はい、確かに私は磨徒様の妻です。そしてあなたが可愛らしいことも事実です」
「だよね。あたし磨徒にぃの側室になるんだもん!」
「そう……なのですか?」
側室と聞いて言葉につまる。
正室を迎えたばかりである磨徒は、もう側室の話を進めているのだろうか。
みつの心中がかすかにざわめく。
「そうだよ! あたしは、ちっちゃい頃からずっとずっと、磨徒にぃのこと好きなの! だからお嫁さんにしてもらうの」
「えっと、その……そのお話はもうまとまっているのでしょうか? あなたのお名前を聞いても?」
「あたし、流花! 五家の累族の娘」
「五家……それで、旦那様と古い付き合いがあるのですね」
五家の説明は磨徒からあらかじめ聞いていたため、話がすんなりと頭に入ってくる。
嵬族と五家には密接な関わりがある。
当然互いの家を行き来することも多く、個々との親交も深い。
「話はまとまってる! だって昔、流花のこと好きだって言ってくれたもん」
「そうだったのですね……分かりました。流花様、これからよろしくお願いいたします」
情報を咀嚼し飲み込みながら、みつの心臓はばくばくと悲鳴をあげていた。
これまでの磨徒の言葉に合点がいく。
“俺に気がなくて構わない”
というのは、そういうことだったのか。
既に想う相手がいることは、向こうも同じだった……。
そんな事実をつきつけられ、みつの胸中が複雑に揺れる。
「ふーん。つまんない女」
間近に顔を近づけながら、ぐるりとみつの周囲を歩いてみせる流花は、憐れむような、嘲笑うような顔をしている。
「人間の嫁なんてさ、正室でも形だけ。嫌々押し付けられてるだけなんだから、愛されることなんて一生ない」
「……」
「代々そうだからねぇ! 疎まれ、蔑まれて散ってくの」
「……旦那様が選ぶのでしたら、側室をとることに何の問題もございません」
深く息を吸って、呼吸を整える。
そうだ。自らも月鬼への想いを抱えたまま嫁いできた。
磨徒にもまた、想う相手がいることは容易に想像がつく。
……たとえ、己と磨徒の間に愛という情が存在しなくても。
志を同じくする同志としてあれたらそれで良い。
「なによ、えらそーに! 問題ないとかって、あんたが決めることじゃないでしょ!」
「お気にさわったら申し訳ありません。あの、私は流花様と仲良くできたら嬉しいです」
「はぁ? 誰が人間なんかと仲良くすんのよ! 本当なら今すぐ食ってやりたいところよ」
苛立ちを隠しきれなくなった流花が、目の色を変えて牙を向く。獣の顔だ。
「朝からキーキーうるせぇなァ」
と、一瞬張りつめた空気で満たされた夫婦の居室に顔を見せたのは那岐だった。
気だるそうにあくびをしながら敷居を跨ぐ。
「げっ、ナギ……何しにきたのよ、帰りなさいよ」
「こっちのセリフだガキ。ここは俺んちだぜ」
睨み合う二人の間でみつは、おろおろと右往左往する。
どうやら仲が悪いらしい二人は、今にも取っ組み合いの喧嘩をはじめそうだ。
(旦那様、はやく帰ってきてください……!)




