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第三話 あたらしい朝

「人間とあやかし、双方より希望者を募り、移住を体験させてみるというのも手だな」


「それは面白うございますね。互いに認可を受けて行き来するのであれば、事件や事故に巻き込まれることも少ないでしょうし」


 薄明かりの中、隣り合わせに敷いた夜具に包まれた二人が静かに声を重ねる。

 同衾することはないが、息づかいを感じる距離だ。手を伸ばせば相手に届く。


「実現すべくもう少し詰めてみるとしよう」


 晴れて夫婦となった磨徒とみつは、夜更けまで“人間とあやかしの共存と調和”について話し込んでいた。

 初夜を迎えた男女がすることとしては、恐ろしく色気のない話である。

 けれども、双方手応えを感じていた。

 想い合い寄り添う夫婦とは異なる二人。

 なればこそ、具体的な目標と着地点を決めて足並みを揃えたかった。


「そろそろ眠るか。お前も疲れているだろう」


 磨徒がそっと灯りを消す。

 障子から射し込む月明かりはやさしく、互いの相貌が青白く照らされる。


「おやすみなさいませ、旦那様」


「ああ」


 つかの間感じた静寂は、秋の虫が歌い上げる心地の良いしらべにより、かき消えていく。

 虫の声はあやかしの都でも変わらないのだなと、みつは不思議な安堵感に包まれながら寝返りをうった。


 その後みつは、半刻ほど眠れぬ時間が続いた。

 旦那様はもう寝入ってしまったかと寝返りをうてば、起きていたようで視線がかち合う。

 何やら腕組みをし、みつの方へ体を向けて考え込んでいる。


「旦那様は、眠らないのですか?」


「睡眠は半刻もとれば十分だ。頭を動かしていない時間こそ怠慢だと思うのでな」


「そんな、寝てください。寝る子は育つといいます」


「俺はもうどこも育たん」


 磨徒は、あやかしの中でも堂々たる体躯の持ち主だ。上背があり引き締まった体つきをしている。

 大抵のあやかしに対して大きく見下ろす形になるため威圧感が増し、初対面の者は身がすくんでしまう。

 穏やかな内面に反して、外面はいかつい雰囲気。ゆえに滑稽極まりないのだが、双方真顔である。

 

「育つのは体だけではありません。考える力も癒えます。きっと良い考えがまとまるようになりますよ」


「ほう、それは初耳だな」


「本当のことですよ。私も夜通し読本を眺めていたら、文字が頭に入ってこなくなりますもの。一旦寝るとすっきりいたしますよ」


「すっきりか……」


 平常よりほぼ睡眠をとらぬ磨徒には理解できない感覚である。

 しかしながら、そうした休息が思考力に直結すると聞けば、試したくなるというもの。


「では寝る」


「はい。よく眠れるよう、子守唄を歌って差し上げましょう」


「俺は幼子ではないぞ」


 不満げに眉をひそめる磨徒の反応は、その風貌に似つかわしくないもので、みつは愉快そうに肩を揺らす。


「旦那様がとても穏やかな方で、驚いております。こんなにも話しやすさを感じるのは、私に歩み寄ってくださっているからでしょうか」


「妻とは良き関係を築きたいのでな」


「ありがとうございます。私も、旦那様にとって良き妻でありたいと思います」


 そうして照れ臭そうに笑みを交わす二人は、やがて間がもたなくなったのか、もぞもぞと寝返りをうつ。

 どちらからともなく寝息があがる頃には、空が白みはじめていた。




「昨夜は、よく眠れましたでしょうか?」


 湯呑みに薄紅い色合いの茶を注ぎながら、お滝が尋ねる。

 てきぱきと配膳をこなす女中が他に数名おり、みつは一人一人に頭を下げ「私が率先して働くべきですのに」と謝っている。

 朝餉の膳を前に正座し、磨徒と向かい合うみつは、都でも位の高いあやかしが纏う上品な仕立ての着物をまとい、美しく化粧をほどこされていた。

 

 人間の世の結い髪とあやかしの世の結い髪はまるで別物である。

 あやかしの既婚女性は、基本的に晴れの日を除き髪を結うことがない。

 日常的に派手な結い髪を見せつけ歩く女は、ふしだらであると軽視される風潮がある。

 そういったわけで、今朝のみつはやや癖毛である黒髪をまっすぐにおろし、両耳の上に美しい花飾りをつけた姿だ。華やかで、ふわりと甘い香りをまとっている。

 珍しい獣の毛皮を肩にかけるように羽織り、嵬族の紋様が刻まれた耳飾りをつけた姿は、見違えるように美しかった。

 女中との立場の違いは一目見て明らか。本来口をきくべきではないほどに身分差がある。


「おかげさまで眠れました。けれど私、何もお手伝いをしなくて大丈夫でしょうか? 旦那様と同刻に膝を付き合わせて食事をするなど、不躾では……」


「人間とあやかしの夫婦に上下はない。俺は日中屋敷に在する時間が少ないのでな、朝夕はお前の顔を見ながら食事をとりたい」


「……承知致しました。ありがとうございます」


 深々と頭を下げるみつを視界の端でとらえながら、(ひつ)より飯をよそうお滝は、内心動揺を隠せなかった。

 あやかしと人間の夫婦が食事の席を同じくした例は、ここ数百年は見ない。

 異例の朝。別室にてそれぞれ食事をとるよう手配していたお滝の元へ姿を見せた磨徒は「俺の部屋に二人分頼む」と伝言した。

 さらりと告げられた一言ではあるが、それにより慣例を一新することとなる、重い通達でもあった。女中一同は目を丸くして、しばし言葉を失っていた。


(磨徒様のお考えが分かりませぬ……)


 磨徒が産声を上げたその日から、長きにわたって身の回りの世話をしてきたお滝だったが、寡黙で時に突飛な発言をするこの若者に対して、どこか不安をおぼえることが少なくなかった。

 己の内なる世界にこもりがちで本音を見せることの少ない磨徒が、妻帯して何か変わることを望んではいた。いたのだが、変わる方向性がお滝の考えのはるか斜め上を行っていた。


「のちほど膳を下げに参ります。どうぞごゆるりと」


 お滝が女中たちを連れて部屋をあとにすると、磨徒とみつは手を合わせ食事をはじめた。

 それぞれの膳には全く異なる料理が並んでいる。

 あやかしは基本的に肉を好んで食べるため、磨徒の膳の上には肉料理が多い。

 

「これは何のお肉ですか?」


「ヒツガミとナリマ、あとはウシだな」


「こちらにも牛がいるのですね!」


 聞き慣れない生き物の名が並び、みつは一瞬目を丸くしたが、牛と聞くや、どの料理がそうであろうかと目を輝かせた。

 人間の間で牛肉を食べることは一般的ではないが、獣肉商はおり、求めようと思えば手に入った。ただし、みつは食したことがない。


「ウシならあちこちにいるぞ。俺の好物だ」 


「そうなのですね! 私もいつか食べてみたいです」


「ならば夕餉で出すようお滝に伝えておく」


「わあ……楽しみです! ありがとうございます!」


 未知の味に対する興味で、みつの胸はいっぱいだった。思わず頬がゆるむ。


(月鬼様が仰っていたな、月を見ながら頬張る肉は格別だと──私も牛を食べたら、少しお気持ちが分かるかしら)


 脳裏には、生きたまま人の腕を食いちぎる月鬼の姿が鮮やかに描き出されている。

 血飛沫にまみれ、紅く染まったその姿こそ、みつの理想であり崇拝対象だ。


(月鬼様、私はもっともっとあなた様に近づいて参ります)


 無言で淡々と箸を動かしながらも、満面の笑みが崩れることはない。恋い慕う相手の存在は、どこにいてもみつの心を満たしてくれる。


「美味いか?」


 みつがあまりにも幸福そうなので、磨徒はよほど食事が口に合うのだろうと思い、声をかける。


「あっ……はい! とっても美味しいです!」


 現実に引き戻され、みつは慌てて首肯する。

 みつには専属の料理人がついている。

 人間が日頃口にする味というものをしっかりと学び研究した者達だ。

 みつが嫁入り前に食べていたものよりも数段格の高い料理が出されるため、何を食べても頬が落ちそうなほど美味だった。



 食事を終えるとすぐに、磨徒は屋敷を出ていった。五家との会合があり、その後も夜まで予定が詰まっている。家督を継いだことにより、しばらくは多忙になる。

 去り際にみつに残した言葉は「好きに過ごしてくれ」だった。

 

(……何をして過ごしましょう?)


 夫婦の居室の中央に正座し、みつは考え込んでいた。

 江戸にいた頃は、少しでも時間ができれば天明春待月を読みふけっていた。一冊あれば三日は笑顔でいられた。

 が、それらは輿入れ前に処分してしまっている。

 婚礼の儀のあと磨徒に殺されることで、己の人生を彩るつもりでいたからだ。

 人生における最大の楽しみを失ったようにも見えるが、みつはあくまで前向きである。

 なにしろ、あやかしに嫁ぐことができたのだ。

 しみったれたこれまでの人生など、捨てて後悔はない。

 人里を離れてあやかしの都に身を置くと、手の届かぬ存在だった月鬼に、わずかばかり近づけた気がした。 

 

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