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第二話 まやかしの婚儀

「お前のその奇怪な懸想、一切問題はない」


 しばし考え込む様子を見せていた磨徒は、右手で音を立てて膝を叩き、決心したように頷く。


「あ、あの……ご処断は……」


「このまま俺の妻でいてくれ」


 磨徒の目は澄みきっている。負の感情など一切ない衷心からの言葉だ。

 対するみつの瞳は、大きく揺らいでいた。


「そんな……! 少なからず不快な思いをされたはずです! この命をもって償います。どうかご処断を!」


 額を畳にこすりつけて、みつは悲痛な声をあげた。

 ほんのひととき、あやかしの妻としてあれたら、それでよかった。

 磨徒の部屋へと向かうまでの廊下の上で、ささやかな幸せに想いを馳せることができさえすれば、悔いはなかった。

 磨徒が己を選んでくれただけで、これまでの歩みがすべて報われた気がした。

 なればこそ。今、この時、この場所で、あやかしの頭領たる磨徒の手にかかって生涯を終えたかった。


 それなのに──。

 みつの頭に乗せられたのは、あたたかな掌だった。


「もう乱暴な真似はせん。顔を上げてくれ」


「そんな……」


 おずおずと顔を上げたみつは、涙をこぼし、情けなく鼻をすすっていた。

 これまで気丈に振る舞っていた妻の、なんとも気の抜けた表情に、磨徒の口許がわずかにゆるんだ。


「私は旦那様を想う気持ちよりも、月鬼さまを想う気持ちでいっぱいです。ですから──」


「俺への想いなど必要ない」


 ばさりと断ち切るような鋭い返答を受けて、みつは口を開いたまま固まっている。


「今度は俺が謝る番だな」


 わずかに目を伏せると、磨徒は両手を畳について頭を下げた。


「まずは、婚礼の儀での非礼を詫びる。手荒な真似をしてすまなかった」


「そんな、顔を上げてください! 私は人間です、あやかしの皆様からそのような扱いを受けるのは当然であると覚悟をしております」


 みつにとって眼前で起こっている事態は、信じがたいことだった。

 あやかしというのは、人間を嫌い、人間に対して非情なものであると、幼い頃から言い聞かせられてきたからだ。

 それなのに。よりによって、その頭領である磨徒が──。


 面を上げた磨徒は、言葉を続ける。


「俺はな、力に任せた統治には、いずれ綻びが出ると考えている」


「は、はい……」


「あやかしの世界は、今まさにそういった状態にある。嵬族と、その下につく五家が暴利をむさぼり、民を虐げている」


 妖力がすべてであるあやかしの世では、圧倒的な力を有した嵬族が自然な形で統治を始め、千年以上に渡りその支配は続いていた。

 やがてぽつぽつと頭角をあらわした有力者が出現し、五つの家にそれぞれの区分の管理を任せるようになった。それが五家である。


「人間とあやかしの関係も良くない。あやかしは生まれ持った力を振りかざし、人間を威圧し続けてきた。人間側も最近は、我らとの交易において優位に立とうと立ち回り、事実こちらの生活は圧迫されている」


「そうだったのですね……共存の道を選んだとはいえ、あやかし優位の力関係で、こちらが虐げられていると教わってきました」


「それは違うな。互いが常に上に立とうとし、策をめぐらせ、汚いやり方をもって腐りきったのが、今のあやかしと人間の関係だ」


 正確な力関係や内情などは、民には深く分からぬもの。みつもまた、己の間違った認識に目を丸くするばかりだった。


「そんな関係は遠からず破綻すると、旦那様は思ってらっしゃるのですか?」


「ああ、そうだ。すでにあちこち綻びは出ているからな……」


「何か解決策は?」


「ないことはない」


 そう言って磨徒は、まっすぐにみつに視線を合わせる。


「我らあやかしが、先に歩み寄る姿勢を見せることだ」


「歩み寄り……でございますか」


「そうだ。そうなのだが、まず俺が真っ先に行動を改めなければならない」


 苦々しく眉を寄せて目をつむると、磨徒は深く息を吐いた。


「歩み寄る姿勢を見せるに最適である婚礼の儀において、あのような仕打ちを……心より詫びる」


 美しく整った相貌に、反省と後悔の色が滲んでいる。あの場で感じた獰猛な息づかいは影をひそめ、まるで人が変わったようだ。


「あの、旦那様はもしかして、意図せずあのような事を?」


「……ああ、そうだ。お前に乱暴をはたらくつもりもなかったのだが、席につく前に人の血を飲まされてな。あれが回るとあやかしの本能が騒ぎだしてしまう。人間を見るとどうにも制御がきかず……」


「さようでございましたか。お気になさらないでください。私は踏まれても嫌ではありませんでした。月鬼様ならこうなさるだろうと思うと嬉しかったです」


 目を細めて幸福そうに微笑むみつを見て、磨徒はしばし言葉を失い、眉をひそめた。

 それもそうだ。到底分かりえぬ感情であるからだ。


「……お前にとって、婚礼の儀は屈辱の場になったのではないか?」


 あやかしの血に抗えぬ己の不甲斐なさを痛感した磨徒は、押し寄せる慚愧の念に表情をゆがめる。

 妻を娶る今日この日にこそ、理想とする“あやかしと人間の調和”を体現する行いを見せねばならなかった。それなのに──。


「私にとって此度の婚礼は、生きてきた証そのものにございます。人間に嫁ぐつもりはもとよりなく、あやかしの長たるあなた様を目指してここまで参りました」


「財を得たいわけでも、位を得たいわけでもなく、ただ書物に描かれた化け物に近づきたく……か。面白い奴だな」


「このままあなた様の妻でいてもよろしいと言葉をかけていただいたこと、感謝致します。なれば私も、旦那様の望む世が訪れるよう力を尽くします」


 目をみはるほど美しく三つ指をつき、頭を垂れる妻の姿に、磨徒はしばし息をのんだ。


「ああ、力をかしてくれ。俺は不甲斐ない男だ。思うところがあれば忌憚なく意見を聞かせてほしい」


「まあ、そのような……」


 気弱ともとれる言葉を、あやかしの頭領たる磨徒が口に出すのかと、みつは一瞬言葉に詰まった。

 しかしながらこれは、生来の気質から来るもの。磨徒は実直でやや融通のきかぬ所はあるが、己を卑下することはない。

 ただただ、行動を俯瞰して省みているに過ぎない。


「俺はまだまだ嵬族を束ねる器ではないが、頭首としてあるべき姿を目指し専心するつもりだ」


「ご立派でございます」


「俺に気がなくて構わない。ただ、人間とあやかしの共生を共に目指す、連れ合いでいてくれないか」


「私でよろしければ、喜んで」


 腐敗した外交と交易の有り様は、先ほど磨徒から耳にしたばかりだ。

 労働に支配され、俗世から隔絶された生活を送っていたみつにとっては、本の中に広がる世界よりもずっと遠くの出来事のように感じた。

 しかし、磨徒は長くその事に考えをめぐらせてきたのだ。

 他のあやかしが人間を蔑み罵る中、一人静かに真の共存と調和を探求してきた。


「旦那様は、あやかしの方から人間に歩み寄ると仰いました。そのお考えがまず、大きな歩み寄りでございます」


「そうか。その言葉に恥じぬよう、行動で示していかねばな」


「お側で支えさせてください」


 笑みを見せたみつの表情は晴れやかだった。

 月鬼への想いを磨徒に重ねて嫁いできたことを正直に告げ、その場で命を刈り取ってもらうつもりだったが、それは叶わず。

 おさまったのは、あやかしの頭領の妻の座である。

 想い人は月鬼のまま──まやかしの婚儀。まやかしの夫婦。

 さて、これよりこのまやかしの物語は、いかなる道を辿り、いかなる結末を迎えるのか。


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